風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第1894回 定期公演 Aプロ @NHKホール(10月14日)

2018-10-15 23:59:48 | クラシック音楽

@N響twitter

Aプロの2日目に行ってきました。
ブロムさん、とてもお元気そうで何よりです
91歳というと私の祖母よりも年上ですが、今日も4月と同じくずっと立って指揮をされていました。
以下、例によってクラシックは年に数えるほどの演奏会でしか聴かないド素人の自分用覚書のためだけの感想ですm(__)m


【モーツァルト:交響曲 第38番 ニ長調 K.504「プラハ」】
ブロムさん指揮の演奏で初めて繰り返しが冗長に感じられた、かも
N響の音は品もあって、暗い音色も迫力も出ていて、決して悪い演奏ではなかったのだけれど、モーツァルトは光と影の対比がもう少し鮮やかに感じられる演奏の方が私は好みだなあ…と。特に光の方は、音に羽が生えたような自由な軽みのようなものがもう少しあったらいいのになあ…と(えらそうにすみません)。
でもそれはもしかしたらN響というよりは、ブロムさんの特徴なのかもしれない。なぜなら今まで聴いたブロムさん指揮の演奏(ゲヴァントハウス&N響)の多くでそういう印象を受けたので。「ここはもう少し軽やかに演奏してくれた方が私は好きだな」と感じたことが度々あった。
そういう意味では今回twitter上で驚くほどの批判(曰く「N響の音から浮いている」と)を集めているコンマスのキュッヒルさんの音は、ド素人の私の耳には皆が騒いでいるような問題点は全く感じられず、それどころか「皆がキュッヒルさんのような解放感のある音で演奏をしたら、もっと面白い仕上がりになったのではないかしら」とか思いながら聴いておりましたです。 
まあ「モーツァルトの演奏はこうあるべし」というルールがあるわけではないので、単なる好みの問題なのですが。


【ブルックナー:交響曲 第9番 ニ短調(コールス校訂版) 】
ブロムさんのブルックナーは昨年ゲヴァントハウスとの七番を聴いていて、そのときはあまり心が動かされず(その直前にみなとみらいで聴いた同コンビのシューベルトは今もmy演奏会史上トップ3の演奏ですが)。なんというか、オケも指揮者も熱い演奏をしているけれど私の心は醒めている、みたいな感じだったのです。今日も一楽章の前半あたりまでは同じ感覚があって、「やっぱりブロムさんのブルックナーは私とは合わないのかなぁ」と思いながら聴いていたのですけど。そして最後まで聴き終わった今でも私的に100%肯定できる演奏だったわけでは決してなかったのだけれど(前半のモーツァルトと同じくオケの音の表現がやや一本調子気味に聴こえたことは否定しない)
でも、なんだかそういうものを全部超えて今日の演奏には心を動かされてしまったんですよね。強く。
「これはブルックナーから私たちへの贈り物であり、私たち演奏者からみなさまへの贈り物です」とブロムさんはインタビューで仰っていたけれど、本当にそうだなあと、とても自然に感じた演奏だったんです。
この「ギフト」という感覚はハイティンクやヤンソンスのマーラー9番でも感じられたもので(ハイティンクさんなどはそういう気持ちではたぶん振っていないと思うけれど)、作曲家の最晩年に作られた曲にはそういう風に感じさせる何かがやはりあるのだろうか。
もっとも今回のブロムシュテットの演奏が「告別」を前面に押し出したものだったかというと決してそうではなく、それよりもむしろ「人が生きるということ」について強く伝えていた演奏だったように私には感じられました。
3楽章の演奏からは人生の様々なものと闘って生きている(生きてきた)人間の姿と、”その時”が確実に迫りつつあるのだという静かな予感の両方が同時に感じられ。でもそれは決して大仰な感情の表出という形でではなく、ブロムさんがインタビューで仰っていたような「good-bye, good-bye」というようなもので。だからこそ一層の凄みと、胸に迫るものがあって。
「それでも」この世界は美しい場所なのだと、けれど自分はもうこの世界から去らねばならないのだと、ブルックナーが言っているようだった。そして「あまり人生を悲観的に考えなさんな。あなたが生きているこの世界はこんな素晴しい音楽がある素晴しい世界なのだから」とブロムさんが言ってくれているように感じられて、少し泣きそうになった。
ブロムさんの、そしてブルックナーの厳しさ、真面目さ、そして優しさがいっぱいにつまっているように感じられた今日の演奏は、今の私にとってはこれ以上ないギフトでした。
本当にありがとうございました、ブロムさん、N響の皆さん。
そうそう今日(14日)はフラ拍手があったんです。ブロムさんの対応は昨年のドイツレクイエムのときと同じ。殆どの人が追従しなかったのもあのときと同じでした。



ホルン&ワーグナーチューバ、ブラヴォーでございました!美しかった。
今回金管がみんな思い切り吹いていて気持ちよかったなあ
N響は、美しさと突き抜け感が両立しているところが好きです(ブロムさん指揮の演奏しか聴いたことがないけれど)。それって海外の一流オケでは頻繁に出会えるものですけど、日本のオケでは貴重に感じられる。
ところで今回金管と弦と木管の音が結構ズレてることが多かったように思うのだけれど(どの音も素晴らしかったけど)、そういうときに金管が全く遠慮していなくて「俺達は思い切り吹くんで頑張って合わせてください!マエストロもそれでOKとのことなんで!」てな感じに聴こえたのが面白かったです(実際がどうだったかは知らない)









そして計画外にラトル×ロンドン響を全曲コンプリートしてしまった身には、さらに今年はアムステルダムまで遠征してしまった身には、こういう演奏が1500円で聴けるのは本当に本当にありがたい。。
N響さん、どうかどうかこのシステムやめないでくださいまし。サントリーホールの方はちゃんとした券を買っておりますので。。


※オマケ
Herbert Blomstedt at 90

ベルリンフィルからの素敵すぎる大好き動画。ブロムさんへの愛情に溢れていますよネ。曲の当てっこをしているコメント欄も楽しい
そういえば今回ブルックナーの3楽章冒頭でブロムさんの歌声を思い出して笑いそうになったらどうしましょうと思っていたのだけれど、実際は弦の素晴らしい音色のおかげで救われました笑


友人と最後に一緒に聴いた演奏は、ブロムさん×ゲヴァントハウスのブルックナー7番でした。彼女はブルックナーは苦手だけど好きな曲ばかり聴いているのもよくないからと、来たようでした。演奏終了後はゲヴァントハウスの金管の音にすごく感動していました。あのときとても嬉しそうにスタンディングオーベーションをして拍手をしていた姿を覚えているので(友人は物静かな性格であまりそういうことを積極的にやるタイプではないのです)、早すぎる突然の死だったけれど、少し救われる気分になります。
彼女は「ブルックナーは苦手だけど、9番だけは大好き」とよく言っていました。私はその頃9番がどういう曲か知らなくて。もう少し早く聴いていれば友人と話せたのにな、と残念に思います。
でも今日(これを書いている15日)は友人の月命日なんですが、月命日であることを忘れていていつものように退社時に職場の給湯室でカップを洗っていたら、ふととても強く友人の気配を感じたんです。それは友人がいつもいた時間、場所だったのですが。友人が亡くなってからあそこまで強くそれを感じたのは今日が初めてで。もしかしたらそろそろ天国にも慣れてきた友人がちょっとだけ会いに来てくれたのかな、と感じています。


Bruckner - Symphony No 9 - Blomstedt

今回の私の9番ブロムさんver.の予習はこの演奏だったので、N響の演奏が特別に速いとは私は感じませんでした(他の指揮者の演奏に比べるともちろん格段に速いですが)。ただ今回はこの予習演奏よりも厳しさや凄みのようなものがより強く出た演奏だったな、とは感じました。
ちなみに私は演奏の「速度」というものが殆ど気にならない人間で、それよりもその音楽に自然に身を委ねられるか否かがいつも重要なんです。なのでポゴレリッチが言う「速度よりパルス」という言葉はとてもしっくりきます。


◎ブルックナーのこと
 私は最初からマーラーよりブルックナーの方がずっと好きでした。マーラーは、とくに若い時はあまり好きではありませんでした。というのも、神経質であまりにも分裂的だからです。反対にブルックナーの世界観には一つのまとまりがあります。ずっと後になってマーラーも好きになりましたけどね。 ブルックナーとの関わりはとても長いです。私は10代の青年の頃、初めてブルックナーの交響曲を聞いた時のことを覚えています。それはまさに今回演奏する「第4交響曲」でした(*注:2012年来日時です)。確か13歳か14歳だったと思いますね。スウェーデンのイェーテボリに住む生徒でした。イェーテボリには素晴らしいコンサートホールとオーケストラがあって、彼らのブルックナー演奏はとても強い印象を私に残しました。そのコンサートを聴き、兄と一緒に家に帰った後、2人で旋律を覚えようとしたのです。忘れまいと口ずさみました。当時はちゃんとしたスコアを買うお金もなかったものですから、覚えておくために歌うしかなかったのです。鳥みたいに・・・。(歌う…) 「忘れちゃダメだ!」と思いました。当時は録音もありませんでしたし、店に行って何かを買うこともできませんでした。ですから、書き残す必要があったのです。私はその音楽に完全に夢中になりました。理由はきっと――そこには美しい自然の景色があるからですね。山々やずっと続く地平線といった美しい世界。マーラーの場合は街が目に浮かびます。都市の音楽です。しかしブルックナーは田舎の音楽です。私はそれがとても好きです。後になってどうしてマーラーがあんな風なのか理解しましたし、彼の音楽が好きになりました。私たちは多かれ少なかれ彼と同じように分裂的な状況に置かれていますから。私たちは田舎が好きですが、都市に住んでいます。ですから色々な衝突を知っています。仕事、宗教、哲学など・・・。しかしブルックナーの世界は違います。自由な世界です。天国のようです。ブルックナーは私の人生です。 この種の音楽は崇高さをもっています。私が思うに、現代人は以前にも増してこうした音楽を好むようになっています。私たちの生活は引き裂かれるような緊張感に満ちています。悲劇もとても多い。津波だけではありません。家族の中、政治・・・。悲劇がいっぱいあります。
ブルックナーの世界は平和と美の世界です。しかしそれは脱力すると言う意味の平和ではありません。夢に満ちています。常にドラマの解決があります。そして日本に来てブルックナーを指揮するときはいつも聴衆に恵まれます。日本人が彼の音楽を深く理解しているからだと思います。

(ヘルベルト・ブロムシュテット @2012年バンベルク響来日公演プログラムより

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