風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル @すみだトリフォニーホール(10月21日)

2018-10-22 13:45:52 | クラシック音楽




J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002 より I.アルマンド & II.ドゥーブル
藤倉大/無伴奏ヴァイオリンのための《line by line》(2013)
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005 より III.ラルゴ & IV.アレグロ・アッサイ
ジョージ・ベンジャミン/独奏ヴァイオリンのための3つのミニアチュア(2001)
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002 より VII.テンポ・ディ・ボレーア & VIII.ドゥーブル
ミーシャ・ムローヴァ=アバド/ブラジル
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001 より III.シチリアーナ & IV.プレスト
プロコフィエフ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 作品115
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004 より V.シャコンヌ
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 より I.アダージョ(アンコール)
*休憩なし約80分


ほぼ半額でチケットを譲っていただけることになり(感謝)、錦糸町まで行ってまいりました。
ピアノ・リサイタルには時々行く私ですが、ヴァイオリン・リサイタルは初めて(と書いていて思い出した。10年前にロンドンのcadogan hallで葉加瀬太郎さんのに行っていた。あれ楽しかったな~♪)。客席は意外と空いていて、6割程度の埋まり具合だったでしょうか。数日前に横浜のフィリアホールでも同じリサイタルをされていたので、そのせいもあるのかも。ちなみに2016年のリサイタルとほぼ同じ構成とのこと(アバドとの間の息子さんのミーシャの曲だけ今回新たにプログラムに挿入されました)。

最初に通訳さんを伴って登場したムローヴァから、今日のリサイタルについての説明。
「プログラムは近現代曲と古典(バッハ)が交互になっていて、近現代曲ではストラディヴァリウス(1723年製”ジュールズ・フォーク”)を、バッハではガダニーニ(1750年製)を使用します。弓もそれぞれ使い分けます」と。「ガダニーニはストラディヴァイウスより半音下げています」と(それぞれのピッチ数も仰っていましたが覚えていない)。あと「楽曲間の拍手はしないくださいね」とのこと。
私の耳は老化で半~一音高く聴こえる耳になってしまっているので、今日のバッハは楽譜どおりに聴こえました(シャコンヌの楽譜を偶々見ただけだけど)。楽譜どおりに聴こえるからいいわけではないのですけどね。私が聴こえている音より更にもう半音下がったものが本来の当時の音ということなのだから…。
ところでyoutubeを見ているとこの半音低い音で演奏されている動画って意外と少なくて、今より若い頃?のムローヴァも、クレーメルもファウストもシャハムもヤンセンもヒラリー・ハーンも、特に半音下げてはいないのですよね。たまたま見つけた古楽オーケストラの方(名前はわからない)は下げていた。私はクラシックに詳しくないのですが、バッハの演奏で半音下げるのってあまりメジャーじゃないのでしょうか。大前提として私の耳がおかしい、という可能性も少なくないですが。

さて今日の演奏会ですが、現代曲とバッハの交互の演奏については違和感はありませんでした。とても自然に聴こえた。バッハの普遍性ですかね。
ただ単純な好みとして、やっぱり私はバッハが聴いていて楽しかったな。
前も書きましたが、私は趣味の一つとしてクラシックを聴いているだけなので(演奏会とその予習以外では殆ど聴かないし)、古楽奏法か否かとかどうでもよくて、どんな奏法でも「いい音楽だなあ」「いい演奏だなあ」と自分が気持ちよく聴ければそれでよいのです。なのでチェンバロやフォルテピアノに加えてモダンピアノでもバッハやモーツァルトが聴ける現代に生まれることができて本当によかったと思っているのである(選択肢が広がるからね)。
で、古楽にこだわりがあるというムローヴァのバッハですが、私はとても好きです。
「淡々と醒めて聴こえる」というネガティブなレビューもたまに見かけるけど、わからなくもないけど、こういうバッハも私は好きだ。たっぷり歌っていない分、純粋にバッハの音楽の素の凄さがわかって。ていうか、あれ、醒めて聴こえるかなあ?私には結構激しく聴こえるのだが(逆に一見たっぷり歌っていても醒めてる演奏というのも世の中結構あるよね…)。

でも冷たい演奏ではないけど、たしかに感情や優しさが前面に出た演奏ではないですよね。
んー、でもなんか、いいのだよなあ。今回のバッハ、どれもみんなよかった。特に彼女のシャコンヌは、バッハの厳しさのようなものが感じられて、それゆえのこの作曲家の懐の深さやスケールの大きさのようなものが感じられて、好きなんです。(※ちなみに変奏曲であるこの曲の楽譜が目に浮かんでくるようなわかりやすい演奏はヒラリー・ハーンのデビューアルバムのそれでした@youtube
私は万物創成の源のような存在は信じているけれど、いわゆる宗教的な神様の存在は信じていなくて。ただ本当に苦しいとき、人間の力ではどうしようもないものに直面したときには「神様!」と思ってしまいます(苦しいときの神頼みとはよく言ったものだ)。それは万物創成の神様とは少しだけ違うもので。
弱くて罪深くて苦しくてどうしようもない人間がこの世界で生きていくためには、そういう神様(例えばキリスト教のマリアのようなもの)が必要だったのだと思う。今も昔も。だって私達は弱くて罪深くて苦しくてどうしようもない存在だから。そしてそういう神様を人間が「いる」と思ったなら、それは「いる」んだよね。
というようなことをムローヴァのシャコンヌを聴きながら、思ったのでありました。一見人間臭くない演奏のようで、それゆえかえって私には人間臭い何かが感じられた、というか。
ちなみにそういう風なことを考えることができた演奏だったというだけで、ムローヴァさんがどういうおつもりで演奏されていたかとか、彼女の人生や性格がどうとかは無関係ですよ。ソ連から亡命し、父親が違う3人のお子さんがいて、そのうち一人は作曲家で、ある意味自由でレッツエンジョイな人生を歩んでおられる方なのではなかろうか、とも思ったり。
こうして改めて考えると、やっぱり今回の現代曲→バッハの交互の演奏というのはなかなか効果的なプログラムだったのかもしれませんね。

半額で行ってしまったけど、本当に行ってよかったです。
この後は、サントリーホールのポリーニの振替リサイタルへ行ってきました。感想は後日(素晴らしかったです)。



写真は全てすみだトリフォニーホールのtwitterより(©三浦興一さん)


この衣装、素敵だった。足元はピンクの可愛らしいサンダル^^。ムローヴァは今58歳だけど、日本の若くはない女性達もこういう格好をどんどんするといいよねー、と思う。


アンコール後のカーテンコールではムローヴァに呼ばれて《line by line》の作曲者、藤倉大さんが客席から登場されました。

Viktoria Mullova: Chaconne (J.S. Bach Partita No. 2 in D minor, BMV 1004)

こちらは今日と一緒で半音低く聴こえる方のシャコンヌ。2010年holland festivalより。いい演奏だよねえ

※2024年3月追記

覚書として。藤倉さんって、古典の良さが全くわからないと公言されている方なんですね。「僕、古典クラシック音楽が苦手で、ほとんどの場合、どう楽しんで良いか分かんないです。だから自分で曲書くしかないか!って思って(はた迷惑を承知で)作曲してるんですけどね笑」と。

シューベルトのグレートやブルックナーの繰り返しの素晴らしさが全く理解できないようで(マジ!?)。古典リスペクトのメシアンが作曲したトゥーランガリラについても「繰り返さずに一回でいいのに」みたいなことを仰っている。うーん、シューベルトもブルックナーもあの繰り返しがいいのに。東洋思想にも通じる永遠性の心地よさというか。こんなに感覚が違うのでは、逆に私が藤倉さんの作品の魅力がわからないのもさもありなん。。

 

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