風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

東京都交響楽団 第994回定期演奏会Bシリーズ @サントリーホール(2月16日)

2024-03-08 21:05:39 | クラシック音楽




インバル&都響を聴くのは2019年以来、4年半ぶり。そんなに聴いていなかったのか・・・。
当時インバルの音作りがなんとなくワンパターンのように感じられてきてしまい、しばらくこのコンビの演奏会からは遠ざかっていたのだけれど。
久しぶりに聴くと、上記のような面は今もなきにしもあらずだけれど、やっぱり良いですねぇインバル&都響の音
このコンビからしか聴けない音が確かにある。

【ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 op.70】
5番11番に続いて、3回目のインバルのショスタコ。
相変わらず暗く厳しく深みのある音がちゃんと出てくれているインバルのショスタコ!
最近お気に入りの井上さんのショスタコと比べると、ショスタコらしい諧謔みは少なめだけれど、これはこれでとてもいい。これもとっても「ショスタコの音」。
インバルはオケの音を限界まで出し切ってくれるのも変わらずで、聴いていて気持ちがいい。なのに崩壊しない。
都響も良くも悪くも完璧過ぎる感もなくはないけれど、やっぱりすごく上手い。
そして、、、インバル元気!
今回最前列でインバルの真後ろで聴いていたのだけれど、変わらず鼻歌歌って、第一楽章では足でタンダンと力強くリズムまでとってた。
今日で88歳になられるんですよね・・・。すごいバイタリティだ・・・。

(20分間の休憩)

【バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》(日本語字幕付き)】
語り/ジェイ・レディモア
ソプラノ/冨平安希子
合唱/新国立劇場合唱団
児童合唱/東京少年少女合唱隊

バーンスタインの交響曲を聴くのは、ラトル&ツィメルマン&ロンドン響の『第2番 不安の時代』に続いて2回目。
今日最前列でその音に全身で浴びながら、バーンスタインの心に包まれているような、あるいはバーンスタインの頭の中に入っているような、そんな感覚を覚えました。
インバルや都響がどうよりも「バーンスタイン」を感じた。
LSOとバーンスタインを演奏しながらラトルがツィメルマンに「彼(レニー)がここにいた気がする」と何度も言っていたそうだけど、バーンスタインの曲にはそういうところがあるように思う。特にこの3番には。
今日の演奏にバーンスタイン特有の弾むような軽やかさが出ていたかは微妙だけど、その音の響きと色から”バーンスタインの心”はいっぱいに感じることができました。
目覚め、夜明け、宇宙、そしてこの世界。
それらとバーンスタインの個人的な心の葛藤を真っすぐに強く感じることできたのは、今日の歌詞と語りが当初予定されていたピサール版ではなく、バーンスタインによるオリジナル版だったからだと思う。私はこのオリジナル版、とてもいいと思う。

語りのジェイ・レディモアさん。私は彼女の真ん前の席だったのでPAを通してではなく直接音でその声を聴くことができました。
「Be the great name of Man!」このパワフルな空気、日本人には出せないものだろうな、と。日本人が悪いのではなく、歴史的、文化的に出せない空気のように思う。
神への疑い。人間と神の新たな約束。私(人間)がかけた新たな虹。インバルによるとこの曲の人と神との関係はバーンスタイン独自の感覚で、通常のユダヤ教の考えではないとのこと(バーンスタインはユダヤの考えだと言っているけれど)。
バーンスタインは「人間」を信じることができた人だったのだなと改めて感じた。人間の良心を。

合唱団は、静かな男声の迫力が特に印象に残ったな。あと、子供達の声。

演奏後は、今日88歳の誕生日を迎えるインバルに花束が贈られました
ハッピーバースデー、マエストロ

インバル スペシャルインタビュー 全4回(2015年12月)
バーンスタイン作品におけるユダヤ性とジャズ



Jaye Ladymore Performs Bernstein's "Kaddish" | Leonard Bernstein's Kaddish Symphony | GP on PBS

バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》(1963)

 『ウエスト・サイド・ストーリー』などミュージカルの作曲家として知られるレナード・バーンスタイン(1918〜90)は、シリアスなクラシック作品も多く残しており、また20世紀後半を代表する指揮者でもあった。彼はボストン交響楽団の創立75周年(1956年)を記念するため、同交響楽団とクーセヴィツキー音楽財団から新曲の委嘱を受けた。しかし1950年代半ばのバーンスタインには映画や舞台、コンサート作品など、他にも作曲プロジェクトがあり、1958年からはニューヨーク・フィルの音楽監督に就任するなど多忙を極めていた。彼が委嘱作品にとりかかったのは1961年頃で、オーケストラ、混声合唱、児童合唱、語り手、独唱ソプラノによる交響曲《カディッシュ》は、1963年に完成した。完成間際にはジョン・F・ケネディ大統領(1917〜63)が暗殺される事件(11月22日)が起こり、バーンスタインはこの曲を「ジョン・F・ケネディの思い出に」献呈することにした。
 曲名の《カディッシュ》は、 ユダヤ教の伝統的な日々の祈りで、死に言及しているわけではないが、葬儀において墓前で引用される主要な祈りでもある。また、神への讃歌であると同時に平和への祈りでもある。この平和と救いを願うアラム語・ヘブライ語の讃歌は、交響曲の中で歌われる。またバーンスタインが作った英語による語りもある。その内容は、現代における信仰の危機、深刻な社会問題についてで、作品が東西冷戦期に書かれたことを彷彿とさせる。ときおり聞かれる神に対する鮮烈な不信や怒りが神への冒瀆ではないかという意見も評論家からは出されたが、バーンスタインはこれらをユダヤ教の伝統にあるものと認識していた。
 曲は3つの楽章からなり、第1・第2楽章は2つに、第3楽章は3つの部分に分かれるが、全曲は続けて演奏される。

 第1楽章は、序奏となる〈祈り〉と、主部にあたる〈カディッシュ1〉という構成。まずは合唱によるハミングを背景に〈祈り〉が始まる。フルートとハープによる謎めいた動機は弦楽器に受け継がれ、盛り上がる。この間に管楽器による突き刺さるような響きが挿入される。
 〈カディッシュ1〉に入り、合唱が歌い始めると、オーケストラが12音音列を使った不協和な動機を爆発させ、8分の7拍子と4分の3拍子が入り交じる変拍子の速いテンポの部分となる。合唱は手拍子も交え、エネルギッシュに進む。最後は「アーメン」を叫んで第1楽章が終わる。
 第2楽章の前半〈ディン・トラー〉は「裁きの場」。打楽器合奏が主導し、合唱のハミングを背景に語り手は、人間が起こした災いに満ちた世界における神の沈黙に対し、信仰の揺らぎを語る。やがて金管群による無調のファンファーレが始まり、心をかきむしる不協和な楽想が続く。曲は「アーメン」の合唱とともに高揚し、裁きが下されたかのような決然としたクライマックスに到達。最後は、8つのパートに分かれた合唱が各々のテンポで歌うカデンツァにより、瞑想的に「ディン・トラー」を閉じる。
 楽章の後半、8分の5拍子の〈カディッシュ2〉は、優しいオーケストラの伴奏に乗せたソプラノ独唱。三部形式で、神を讃美するソプラノの歌に、女声合唱は「アーメン」などで応えていく。中間部は16分の5拍子で盛り上がりを見せる。
 第3楽章は3部構成。〈スケルツォ〉はクラリネットとピッコロによる4分の3拍子の軽妙な動機で始まる。しかし無調のためか嘲笑的で皮相的だ。しかし語りが平和の虹とともに信仰を取り戻したことに触れると、変ト長調による希望の見える旋律が弦楽器を中心に麗しく奏される。この旋律は児童合唱によって導かれる〈カディッシュ3〉へとつながり、展開していく。
 〈フィナーレ〉は夢から現実への目覚めで、不協和な全奏によって始まる。弦楽による重々しい雰囲気が醸しだされ、静かになると、〈スケルツォ〉の後半で聴かれた希望の見える旋律とともに、神と人間との間に結ばれた契約に由来する生命の喜びや両者の共生が語られる。終結部は変拍子を使った賑やかな〈フーガ〉で、独唱ソプラノも加えた全ての合唱がオーケストラと華々しく共演する。最後に短く第1楽章冒頭の動機が回帰し、熱狂のうちに曲を閉じる。
谷口昭弘 @都響ホームページ

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NHK交響楽団 第2006回 定期公演 Bプロ @NHKホール(2月15日)

2024-03-02 15:10:11 | クラシック音楽



指揮 : パブロ・エラス=カサド
ヴァイオリン : アウグスティン・ハーデリヒ
ソプラノ : 吉田珠代

エラス・カサドが贈る祖国スペインにちなんだプログラム

「Bプログラム」では、パブロ・エラス・カサドが、祖国スペインにちなんだ音楽を取り上げる。ラヴェル《スペイン狂詩曲》は、20世紀初頭のフランスで花開いた異国趣味の産物。「ファ・ミ・レ・ド#」と下降する、熱帯夜のようにけだるい音階に導かれて、マラゲーニャやハバネラといった舞曲がスペイン風の情緒を醸し出す。とはいえ、これは緻密に計算された人工美、まぎれもなくラヴェル固有の世界でもある。

この曲を絶賛したというファリャ。その代表作《三角帽子》では、より開放的にフラメンコのリズムが躍動する。《スペイン狂詩曲》の〈祭り〉同様、《三角帽子》の終曲は、“ホタ”と呼ばれる民族舞踊で盛り上がるが、それまで温存されていたトロンボーンとテューバがここで初めて演奏に加わり、爆発的なクライマックスを築く手法は、ラヴェルの書き方にも似て極めて効果的だ。

エラス・カサドは2019年に《三角帽子》を録音したが、一時入手が困難になるくらい、このCDは評判を呼んだ。彼の持ち味である歯切れのよさと色彩感に、パワフルなN響の音圧が加われば、“鬼に金棒”の名演が生まれるかもしれない。

《ヴァイオリン協奏曲第2番》は、ツアーの道中にあったプロコフィエフが、スペインを含むヨーロッパ各地で書き継いで完成させ、初演はマドリードで行われた。

瞑想的な第1楽章に続くのは、ソリストのアウグスティン・ハーデリヒが「ヴァイオリン音楽史上、最も偉大なメロディ」で、「いつまでも終わってほしくない」と、惜しみない愛を注ぐ第2楽章。さらにはハバネラ風のリズムにカスタネットも加わり、目くるめく熱狂で終わる第3楽章。スペインのエッセンスに染まる一夜が満喫できるだろう。

NHK交響楽団ホームページ


友人からのお誘いで行ってきました。
ラヴェル、プロコフィエフ、ファリャ、と名前を並べるだけでもワクワクするバレエ・リュスの作曲家尽くしのプログラム。
とっても楽しかった

【ラヴェル/スペイン狂詩曲】
良い曲ですね~。
でも、隣の席の男性の鼻息?が大きくて、しばらく音楽に集中できず。。
4曲目「祭り」の頃にようやく集中できるようになり、最後は思いきり楽しむことができました。
エラス=カサドはオケの音色の美しさを保ちながらも限界まで鳴らしてくれて、綺麗な色がステージいっぱいに広がるのが見えた

【プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 作品63】
なにより、ハーデリヒの音・・・!
音の周りに爽やかな風が吹いているよう。良い意味での清潔感というのか。一音目から驚きました。
この風の感覚が常にそよいでいるから、端正な演奏だけど四角四面に感じない。
二楽章、美しかった。。。三楽章もすごく楽しかったです。
色々なヴァイオリニストでこの曲を予習したけど(カヴァコスとかヤンセンとか)、この人の演奏、好きだなあ。
昨年のクーシストにしても、N響は良いヴァイオリニストを呼びますね。
私の知らない素晴らしい演奏家が世界には沢山いるのだなぁ。こういう演奏家に出会えるのが定期の良いところですよね。って、いただいたチケットだけど笑

(20分間の休憩)

【ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」(全曲)】
いやぁ、良い演奏だった。。。楽しかった。。。
ファリャは、アチュカロさんのピアノリサイタルで聴いて以来、お気に入りの作曲家。
今日の演奏、アチュカロさんでアンダルシア幻想曲を聴いたときの感覚を思い出しました。
あのときに見えた、夜の帳の後ろでチラチラと蠢く多彩な原色の色。
今夜も夜の空気の中のカラフルな原色の色がはっきりと見えました。
ラストやりすぎなくらい大音量だったけど(楽しくてニコニコ笑顔で聴いてしまった。あれくらいやってくれていいよ!)、良い意味で音に透明感があって団子にならない。綺麗な色がまっすぐに見える。これは前半のラヴェルにもプロコにも共通していたので、エラス=カサドの音作りの特徴なのだろうな。
民俗色の強い演奏が好みの人にはもしかしたら物足りない演奏だったかもしれないけれど、私はアチュカロさんと今夜のエラス=カサドの演奏を聴いて、こういう演奏が実は最もファリャらしいのかもしれないと感じました。バレエ・リュスの音楽だもの

Falla - The Three-Cornered Hat - Proms 2013

この8:00~のスペイン風の情熱的な音楽、しばらく耳から離れなくて困った笑

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NHK交響楽団 第2004回定期公演Aプロ @NHKホール(2月4日)

2024-03-02 14:34:59 | クラシック音楽




信じる道を命がけで突き進む井上の“最後のN響定期”

[Aプログラム]は井上道義のライフワークであるショスタコーヴィチ。《交響曲第13番「バビ・ヤール」》は、第2次世界大戦中のウクライナで起きた、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺がテーマである。生存者によるドキュメンタリー小説が出版されているが、銃殺される直前、死体が折り重なる谷底に自ら飛び込んで難を逃れたという、生々しい体験談が記されている。今日の世界を見れば、残念なことに、これを歴史の1ページとして片づけることはできそうにない。

「想像を絶する現実を前にすると、ショスタコーヴィチの音楽すら空しく感じる。これを演奏する意味があるのか」と、井上は自問自答を繰り返してきた。だが、常に音楽する意味を問い続ける姿勢こそが、指揮者・井上の本質なのだと思う。

前半には、短い舞曲を演奏する。ヨハン・シュトラウス2世の《ポルカ「クラップフェンの森で」》の原題は、「パヴロフスクの森で」。ウィーン音楽のイメージがあるが、もともとはロシア皇帝の離宮を囲む、貴族の別荘地を描いている。鳥のさえずる平和な光景は、革命により一変した。

続くショスタコーヴィチ《舞台管弦楽のための組曲》は、同じ舞曲と言っても、まるで異なる様相を呈する。最も有名な「第2ワルツ」は当初、ソ連のプロパガンダ映画『第一軍用列車』で使われた。音楽はここで、革命をたたえるアイテムの一つに変貌している。

2024年限りでの引退を表明した井上道義。これは彼が指揮する最後のN響定期である。初共演から46年。途中に長いブランクはあったが、2008年からは毎年のように共演を重ねている。マエストロの破天荒な言動が、周囲との軋轢を生むことも少なくなかったはずだが、信じる道を命がけで突き進む彼の音楽が、時としてどれほど魅力的に響いたか。唯一無二の機会を逃してはなるまい。

NHK交響楽団ホームページ

・・・一曲目にカッコーのワルツは選んだのには訳がありますがそれはそれ。僕も愛したクライバーのより自然な演奏ができたはず。
面倒な名前の付いたドミトリーの別の面を見せてくれる4曲も3階席までチャーミングにねじくれたワルツとポルカを届けられたと信じてます。

2日目の2月4日の演奏はさらに確信に満ちたものになってくれた。ショスタコのうらぶれた哀愁のワルツは場末感が深まり、ポルカでさえもどこか空虚感が聞こえたと思う。
13番はこの日も録音ができたのでこの最高の、物語コンサートのような作品をいつか録音などで聞いていただけると思う。

井上さんのブログ


最近、演奏会の感想を書く気力なのか熱意なのかが落ちている。。
それなら書かなければいいのだけど、このブログは自分用覚書として思いのほか有用なのでやめられず。。とりあえず一ヶ月以内のアップだけは頑張ろう。
プライベートで色々あり演奏会がストレスになっていたり、でもそれを超える大きなものを生の音楽からもらえていたり、なこの頃です。

【ヨハン・シュトラウスII世/ポルカ「クラップフェンの森で」作品336】
初めて聴いたけれど、美しく楽しい曲ですね!井上さんはこういう軽やかな曲もとてもいい。最後のカッコー♪で奏者さんが「吹いてるのは私じゃないですよ~」なパフォーマンスのときに楽器の一部?を落としてしまうハプニングがあって和やかな笑いが起きたけれど、それも含め素敵な演奏でした

【ショスタコーヴィチ/舞台管弦楽のための組曲第1番-「行進曲」「リリック・ワルツ」「小さなポルカ」「ワルツ第2番」】
井上さんってロシアで生活されてたことがあるのかな?と聴きながら感じてました。それくらい”ロシア”の音がしていた(私はロシア行ったことないけど)。
ご自身がブログでも書かれている”うらぶれた哀愁”のようなもの。曲自体もそうだけど、井上さんの音からそれが感じられて、ああ、ロシアだ・・・としみじみと感じながら聴いておりました。
後半のバビ・ヤール目当てでとったチケットだったけれど、前半でこんな演奏が聴けるとは嬉しい驚き。
そして改めて井上さんにはショスタコーヴィチの音楽がよく似合う。

(20分間の休憩)

【ショスタコーヴィチ/交響曲第13番変ロ短調作品113「バビ・ヤール」】
バス:アレクセイ・ティホミーロフ
男声合唱:オルフェイ・ドレンガル男声合唱団

字幕なしでもある程度ついていけるくらいには歌詞を頭にいれていったけれど、それでも所々迷子になってしまったので、やはり字幕は欲しかったなぁ・・・。井上さんのブログによると井上さんは字幕を希望したようだけれど、N響側が「音楽に集中したいお客さんもいるから」と主張したようで(実際、この後の大フィルでは字幕ありだったそうです)。
それはともかく、演奏は素晴らしかった。
これは井上さんの特徴でもあるように思うけれど、リアルなドキュメンタリーのようなバビ・ヤールというよりは、情熱的でありながら音楽的な美しさも兼ね備えたバビ・ヤール、という風に感じられました(ティホミーロフの独唱もオルフェイ・ドレンガル男声合唱団の合唱も)。そしてそれゆえの凄みといいますか、しばらく後を引いて消えない、そんな演奏だった。
この曲、個人的には第二楽章の「ユーモア」がとても好き。音の軽やかさに包まれた毒。
そして、第五楽章「出世」。ストーリーのようなこの曲を第一楽章からずっと聴いてきて、最後の最後の弦の響きのとてつもない美しさにやられました。。。あれはコンマスの郷古さんかな。
この曲って予習のときは独裁国家の恐怖のようなイメージが強かったけれど、今日の演奏を聴いて、最後の最後の言葉にできないほどのあの美しい弦の響きを聴いて(これはもちろん井上さんの指示によるものと思う)、まだ僅かに、でも確かに残っている人間という生き物に対する希望、信頼、救いをショスタコーヴィチが見せてくれているように感じられました。
こんな曲だったのか・・・、と。
それを今の世界情勢の中で聴く重み・・・。
忘れられない演奏となりました。

井上道義に聞く―2024年2月「最後のN響定期出演」でショスタコーヴィチを指揮

2024年末指揮者引退に向けてカウントダウン進行中(SPICE)

 



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札幌交響楽団 東京公演2024 @サントリーホール(1月31日)

2024-02-22 21:04:02 | クラシック音楽



マティアス・バーメルト(指揮)、イアン・ボストリッジ(テノール)、アレッシオ・アレグリーニ(ホルン)

【ブリテン:セレナード~テノール、ホルンと弦楽のための】
これはもう、ボストリッジ&アレグリーニの素晴らしさに尽きる。。。
自然豊かな英国の田舎の風景と空気が見えるよう。。。
ホルンと人の声、たった二人だけであれだけの世界を作り出せちゃうんだねえ。。。
札幌交響楽団も、静かで涼しげで透明感のあるいい音してました。この曲にとてもよく合っていた

(20分間の休憩)

【ブルックナー:交響曲第6番】
冒頭から、その音にすっかり惹きつけられてしまった。
初めてハイティンク&ロンドン響でブルックナーを聴いて感動して以来いくつもブルックナーを聴いてきたけれど、こういう音のブルックナーを聴けたのはあの時以来で、とてもとても嬉しかった。。。
解放的で、自然で、素朴で、温かく、美しくて。
1楽章と4楽章のフィナーレも盛り上げ切ってくれて、素晴らしかった。
もう少し抑揚があってもいいかもとも思ったけど、そんなことは全く気にならないくらい好みな響きを聴かせてもらえて、心の底から嬉しく、感動しました。
そして4楽章!予習のときから思っていたけれど、私、この4楽章が大好きです。
6番って演奏機会が少ない曲とのことだけど、こんなに素晴らしい曲なのになぜだろう。2楽章だってあんなに美しいのに。
でも来年メナ&N響でも聴くことができるようなので、絶対に行きたいと思います!
こんな演奏を聴かせてくださったバーメルトさんに心からの感謝を。
最前列の席だったので、お顔もよく見えました
この3月で札響を去られるそうだけれど、またこの方のブルックナーを聴ける機会があるといいなあ。

会場を出たところでは、ホクレンから片栗粉と大豆ミートが配られていました。ありがたくいただきました


【1月定期演奏会・東京公演】マティアス・バーメルト メッセージ



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イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノリサイタル @サントリーホール(1月27日)

2024-02-20 23:59:51 | クラシック音楽



ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 op.45
シューマン:交響的練習曲 op.13(遺作変奏付き)
(20分間の休憩)
シベリウス:悲しきワルツ op.44
シューベルト:楽興の時 D780 op.94
ショパン:ノクターン ホ長調 Op. 62-2(アンコール)


最近色々いっぱいいっぱいで、また感想をためてしまった。。書かなきゃいけない演奏会が6つもある。。

さて、今回のポゴさんの演奏会。どの曲も過去に聴いたことがある曲ばかりだし、楽興の時は1年前にも聴いてるし・・・と直前まで行くかどうか迷ったけれど、結局今年も行ってしまった。

今回いつもより良いRB席だったので、響きがとても美しかったです。そりゃぁそうよね、4000円も違うのだもの(RB席12000円、P席8000円)。

今回も本番前のポロポロあり。でも今回は具体的な曲ではなかったように聴こえました。

ポゴさんお得意のショパンOp.45はもちろんだけど、シューマンが素晴らしかったなぁ。どんなに強音でも音が透明なまま真っすぐに届いてきて、前回よりも一曲一曲に鮮やかな違いが感じられたような気がして、全ての曲に聴き入ってしまいました。
後半のシベリウスも、前回聴いたときよりもより美しく深みのある演奏に感じられて、とてもとても良かった。

、、、のだけれど。

昨年あれほど素晴らしい演奏を聴かせてくれたシューベルトが、1曲目から前回とだいぶ弾き方が違い、サラサラと速めに進んでいき。6曲目もまるでジャズのようで、少なくとも私は寂寥感のようなものは全く感じられなかったのでありました。
ポゴさんって演奏会毎に違う演奏をすると聞いたことがあったけど、こういうことかしら。。
まぁ、これも生演奏の面白さということで。。

アンコールで弾かれたショパンOp.62-2はシューベルトほどの違和感はなかったけれど、やはりこれまで聴いたときほどには心に響かなかったのが正直なところでありました。でも最後の一音は、相変わらずものすごく美しかった

来年は上岡さん&読響とプロコフィエフの協奏曲ですね。大好きなショスタコーヴィチ11番とセットだし、絶対に行くつもりです。来年のリサイタルは、ラヴェルが聴きたいなぁ(でも前回と全然違う演奏されたらどうしよう


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イアン・ボストリッジ シューベルト「白鳥の歌」 @神奈川県立音楽堂(1月19日)

2024-01-25 22:30:36 | クラシック音楽




youtubeで光子さんとの「美しき水車小屋の娘」を観て衝撃を受けてから、一度生で聴いてみたいと思っていたイアン・ボストリッジ
我が町に来てくれた~

このホールの客層は相変わらずプロっぽい人が多め
今回のプログラム構成はちょっと面白くて、まずシューベルトの「白鳥の歌」の第1~7曲(詩:レルシュタープ)が歌われ、休憩を挟んでベートーヴェンの「遥かなる恋人に寄す」、続いて「白鳥の歌」の第8~13曲(詩:ハイネ)と14曲(詩:ザイドル)が歌われました。
とてもとても素晴らしい演奏会でした。

どちらの曲も、聴くのは初めて。
チケットを購入したのが直前だったため対訳レベルとまではいかなかったけれど、予習はしていったので各曲の大体の歌詞は頭に入って聴けました。

【シューベルト:白鳥の歌 第1曲「愛の使い」~第7曲「別れ」】
第4曲「セレナーデ」以降に引き込まれました。第7曲「別れ」の軽やかさもとてもよかった。
ボストリッジは高めの声、夢見る甘さ、暗さ、純粋さ(ストーカーぽさとも言う笑)、微かな狂気の具合が理想的!そして、リアルさ。
等身大で共感できる、そんなシューベルト。

(20分間の休憩)

【ベートーヴェン:遥かなる恋人に寄す】
一曲目から引き込まれました。うまく言えないのだけれど、ボストリッジの声にすごくピッタリで。
この曲って一見明るい音楽なのだけれど、とても美しく切ない曲のように感じられました。
第6曲のボストリッジの声を聴きながら、愛の憧れをそのまま音にしたらこういう音になるのだろうと、そんな風に感じました。
この歌の「恋人」は本当に存在しているのだろうか。
存在していたとして、その存在自体が手の届かない遠い「憧れ」なのではないか。
たとえ心は通じ合っていても、この世界では結ばれることが許されない相手なのではないか。
そんな風にも聴こえました。

【シューベルト:「白鳥の歌」第8曲「アトラス」~第14曲「鳩の便り」】
第12曲「海辺にて」の甘く柔らかな声、よかったな〜。
第13曲「ドッペルゲンガー」の青年らしい狂気も。
一転して第14曲「鳩の便り」で明るく軽やかに終了。・・・のはずなのだけど。この「鳩の便り」も、ただ明るく軽やかなのではなくて、その中にどこか悲しみのようなものがあるように今日の歌からは感じられました。シューベルトが作曲した最後の歌と思って聴いているからなのか。でもボストリッジの歌い方からもそういう感じを受けたような、そんな感じがしたのでした。

【シューベルト:さすらい人の月に寄せる歌 Op.80-4, D870(アンコール)】
冒頭のピアノがカッコイイ!
ボストリッジのことばかり書いてしまったけれど、今回の公演、同じくらいジュリアス・ドレイクのピアノの豊かな表現力にも魅了されました。ボストリッジとの相性抜群で、お互いに信頼して歌っている&弾いているのが伝わってきた。

【シューベルト:弔いの鐘 Op.80-2、D871(アンコール)】
ピアノの歌も、美しかったなぁ。ボストリッジの伸びやかな声、美しかった…。

【シューベルト:夕映えの中で D799(アンコール)】
この曲で最後なのだな、とわかる歌い方。聴かせてくださいました〜。ブラヴォー

本当に良い夜だったこの独特の後味は、オケの演奏会からはもらえない感覚。
地元でこんな演奏会が聴けるのは本当にありがたいです。
神奈川県立音楽堂、いつまでも頑張ってください。応援してます!!

で、31日のサントリーホールのバーメルト&札響の演奏会のチケットも急遽買い足してしまった。。。演奏会って本当に中毒だ。。。ボストリッジのブリテンと、バーメルトさんのブルックナー6番。楽しみ




イアン・ボストリッジ シューベルト「白鳥の歌」メッセージ!2024.1.19 音楽堂ヘリテージ・コンサート

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NHK交響楽団 第2001回定期公演 Aプロ @NHKホール(1月14日)

2024-01-25 20:03:59 | クラシック音楽




1年ぶりにソヒエフ&N響を聴いてきました。
昨年はドイツプロロシアプロを聴けたので、今年はフランスプロのAプロを。

【ビゼー(シチェドリン編):バレエ音楽「カルメン組曲」】
素晴らしかった
今まで聴いたソヒエフの演奏の中で一番感動しました。
冒頭から(鐘が鳴ってるあたり)、すっかり引き込まれてしまった。
このバレエはyoutubeでザハロワ&ロヂキンのボリショイコンビで観たことがあって、そのときに「ロシア人って意外とラテンが似合う!」と感じたのだけど、今回この作品が旧ソビエト連邦の作曲家シチェドリンによる編曲であることを知り、さもありなんと。確かに音楽にソビエト味も混じっているように感じる。

1967年に『カルメン』をモチーフにしたバレエが上演されることになり、主演のプリマドンナだったマイヤ・プリセツカヤは最初ショスタコーヴィチに、次いでハチャトゥリアンに編曲を依頼したが、両者とも「ビゼーの祟りが怖い」という理由で断り、仕方なくプリセツカヤの夫であったシチェドリンが編曲することになった。
(wikipedia)

そんなビゼー作曲のフランス味とシチェドリン編曲のソビエト味のミックスされたバレエ音楽が、ソヒエフの個性にピッタリ。
フランスの軽いお洒落感、ソビエトの冷いドライさ、ソヒエフお得意の色彩豊かな美しい音作りと繊細な情景描写、キレのいいリズム感。美しいだけじゃない、ちゃんとソビエトの音も出てて、完璧でした。
さすがボリショイ指揮者。
ブラボー
※あえて言うならちょっとだけ音が真面目に感じられたけど、それはN響だから半分、ソヒエフだから半分かも

(20分間の休憩)

【ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」】
マ・メール・ロワは以前ラトル&ロンドン響で聴いて、とても感動した曲。予習はデュトワ&モントリオール響でしました。
しかし演奏が始まると、、、ん・・・?なんか私が知ってる曲と違う・・・??
紡車の踊りも間奏曲もないような・・・。
ソヒエフがカットしてるのか・・・?
帰宅してからわかりました。
私が親しんでいたのは「バレエ版」で、今回演奏されたのは「組曲版」のマ・メール・ロワだったのでした。
ソヒエフのファンタジー味いっぱいな音作りはこの曲にピッタリで、美しかった
ただ妖精の園のフィナーレなどはもう少し突き抜け感があっても嬉しいかな、とはちょっと感じました。
ソヒエフの音楽は、丁寧すぎるというか音にもう一歩突き抜け感が欲しくなるときが時々ある(完全に個人的好みですが)

【ラヴェル:バレエ音楽「ラ・ヴァルス」】
この曲を聴くのは、デュトワ&新日フィルラトル&ロンドン響に続いて3回目。
私が感銘を受けたのは、計画性を感じさせずにワルツが崩れていくゾワゾワ感と美しさを感じさせてくれたデュトワ&新日フィルの演奏でした。
で、今回のソヒエフはというと。
ソヒエフは昨年の「ダフニスとクロエ」組曲の終演後に「フランスの作品、特にラヴェルは感覚的でフレキシブルな音楽と思われがちだが、実はまったく逆。ルバートの指示一つとっても、計算し尽くされ、構造的に書かれている。今日のN響のようにきっちり弾くことで、初めて曲の真価が伝わるのだ」と言っていたそうで、今回のラ・ヴァルスもその言葉どおりきっちり演奏された印象でした。つまり、あまり私の好みとはいえない
ラヴェルなので計画性はあって当然だけど、それが表に出ていない演奏が私は好きなのです。
ただ、ゾワゾワした不穏さ少なめの前向きなラ・ヴァルスと捉えるなら、思っていたより悪くはなかったかと(最初からあまり期待していなかったせいもあるけど…)。明るさと暗さが入り乱れる綺麗な色が舞台上に見えたのは、ソヒエフのおかげと思う。

Cプロのプロコフィエフのロメジュリ(ソヒエフ編)もとても興味があったのだけれど、きりがないので今回はこのAプロのみで。ソヒエフは今秋にミュンヘンフィルと来日とのことだけど、私はそれは見送る予定。なので次回ソヒエフを聴けるのは来年1月。ストラヴィンスキーの「プルチネッラ」がプログラムにあるようなので、聴きに行けたらいいな(ソヒエフに合ってそう)

昨年の今年のソヒエフの公演を聴いて、改めてオケの音作りって指揮者の技術、職人芸なのだなと実感しました。ソヒエフが振るとN響がまるでウィーンフィルのような音になる。これはデュトワで初めて知ったことで、ソヒエフの音にも同じものを感じる。きっとソヒエフはどのオケからもあの「ソヒエフの音」を出せるのではないろうか。




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プラハ交響楽団「わが祖国」 @サントリーホール(1月11日)

2024-01-13 21:05:08 | クラシック音楽




仲間たちオーケストラとの第九以来、二度目のコバケンさん指揮。
今回の演奏会に行こうと思ったのは、龍村監督が亡くなられてちょうど1年であるためと、「わが祖国」がコバケンさんも来られた監督を偲ぶ会で上演されたプラハの春音楽祭のドキュメンタリーと重なったため、でした。
15歳ではじめて監督の作品に出会ってから、32年。
今日でひと区切りにしようという思いもあり、やってきました。
ちなみに、私の2024年の演奏会初めでもあります。

「わが祖国」を聴くのは、アルトリヒテルさん&チェコフィルに続いて2回目。
亡くなった友人との思い出のある演奏会でもあります。
プラハ交響楽団を聴くのは初めてだけど、第一曲のヴィシェフラドから、The チェコの音
以前も書きましたが、私が好きなオケの音ツートップはウィーンフィルとチェコフィルで、今回のプラハ響はそれに並ぶレベルで好きな音でございました。
少し暗めの、ドイツのオケほど重厚じゃない、独特の翳りと素朴な温かみのあるローカルな音。その街の歴史や空気を感じさせてくれる音。
やっぱりこの曲はこういう音で聴きたいよねぇ、と改めて感じました。もっと上手なオケはあるだろうけれど、上手い下手じゃないんだよねぇ。
ブラニークの最後は、客席の上方に「チェコ」が見えた。20年前に一度だけ行った、あの国の空気を肌で感じさせてくれました。
どうやら私は中~東欧の音が好きなのだなぁ。
コバケンさんとプラハ響はあまり共演経験がないせいか意思の疎通が十分でないところや音がばらけ気味なところもあったけれど(Xの情報によると初客演で、リハも前日1日だけだったとか)、個人的にはそれを超えるに余りある心に響く演奏を聴かせてくださいました。
弦も管も私の好みにぴったりの良い音だったなぁ。ハープもティンパニも素晴らしかった。あと、カジュアル服で頭にバンダナのホルンさん!初めて聴く音だった。まるで人間の声のような。ホルンであんな音が出るんだねぇ。

第二曲「モルダウ」の最初に例のメロディーが登場するところ、コバケンさんは指揮棒を振らず、胸に片手をあてて客席の上方を斜めに向いておられて。これはいつものコバケンさんなのだけれど、なんとなくホールの客席で龍村監督が聴いていらっしゃるような気がして、胸がいっぱいになってしまいました。
前日にドキュメンタリーを見なおしていたので、なおさら胸に響きました。

プラハ響の皆さん、一人一人がP席にも笑みをくださって、温かな雰囲気のオーケストラだった
西欧のオーケストラと違って、舞台上の空気が東欧。プログラムのメンバー表を見ると、おそらく奏者さん達はチェコ人の方が殆どなのではないかな。

最後にコバケンさんがマイクを持ってご挨拶。概要はこんな感じ↓
「手が届きそうで届かなかったところもありましたが、この曲は彼らのアンセムのようなもの。本来海外のオーケストラ公演ではアンコールがあるものですが、これほどの演奏の後にアンコールはできません。代わりに、彼らに拍手を送ってください」。

13日にはコバケンさんの故郷いわき市でも、同プログラムが演奏されるそうです。
この曲を聴き終わったときの感覚って第九と似てるなと感じる。民族の勝利というゴールを超えて、人類の平和、幸福を目指している、そんな音楽に聴こえる。






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NHK交響楽団 第2000回定期公演 Aプロ @NHKホール(12月17日)

2023-12-31 01:54:43 | 日々いろいろ




この演奏会で、過去最多だった私の演奏会尽くしの一年も〆。

N響の記念すべき第2000回定期公演。第1000回は37年前だったといえばその稀少さがわかるというもの。
同じペースていけば、第3000回は37年後。その頃私はどうしているかな…。

マーラーは1番、2番、9番しか聴いたことがないので、今回聴く8番ももちろん初めて。
「一千人の交響曲」という大層な名前が付けられているけれど、初演時の演奏は実際に千人規模の編成だったとのこと。
もっとも今回のN響は300人くらい?だったようですが、それでも普段私が聴く演奏に比べれば十分に大編成で、舞台が人と楽器で埋め尽くされていました

この曲自体は予習で聴いたときは、第一部の大編成で主張される「神を称えよ!」が煩く感じられて辟易してしまいマーラーが嫌いになりそうだったのだけれど、実際に聴いてもその感覚が完全に払拭されたわけではなかったのだけれど、ところどころで聴こえてくる「マーラーな音」が楽しかった。
個人的には、この曲は第二部の方が美しさが感じられて好きだな。それでも予習のときは全く良さがわからなかったのだけれど。今日の演奏では、途中で(私が)中だるみしつつも、壮大なフィナーレの音の響きの美しさは圧倒的で、嫌な感覚を覚えることなく「音の宇宙」を実感することができました。
録音で聴きたい曲ではないけれど、生で聴くと楽しいですね。N響の弛緩することのない集中力のある演奏も、とてもよかった。なにより、苦手なこの曲を音楽的に楽しむことができたのは、ルイージの品よく開放的でドラマチックな音楽作りのおかげが大きかったのではないかと想像する。

第2000回という記念すべき公演をこうして聴くことができて、イベント好きとはいえない私も、なんだか幸せな気分になることができました。最後にホールを満たしたあの音の宇宙の色とともに、忘れない公演となりました。
まぁ、好きな曲か?と言われると、今もそうとは言えないけれど(マーラーに限らないけど、女性に無条件の愛と救済を求めるような夢見がちな歌詞にもあまり共感できない…)。
そうそう、バンダを照らす?左右のライトがここぞというときにオンになって、その効果も楽しかったです🎵

駆け足で感想をあげてしまったけれど、今年の感想を今年のうちにあげることができて、ほっとしました。音楽に浸りきることができたこの一年、本当に幸せでした。来年はどんな年になるのか想像がつかないけれど、良い年になるといいな。

皆さま、今年も当ブログにお越しくださり、ありがとうございました。

よいお年をお迎えください!

 

ソプラノ:ジャクリン・ワーグナー
ソプラノ:ヴァレンティーナ・ファルカシュ
ソプラノ:三宅理恵アルト:オレシア・ペトロヴァ
アルト:カトリオーナ・モリソン
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:ルーク・ストリフ
バス:ダーヴィッド・シュテフェンス

合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団

[Aプログラム]のマーラー《交響曲第8番「一千人の交響曲」》は、ファン投票により、3つの候補曲から選ばれた。名前通りの大編成を必要とするため、100年近い歴史を持つN響が演奏するのも、今回でようやく5回目である。戦後間もない山田和男(一雄)指揮の日本初演に続き、若杉弘、デュトワ、パーヴォ・ヤルヴィといった歴代のタイトル指揮者が、ここぞという時に取り上げてきた。マーラーへの思い入れの強さでは、ルイージも負けていない。彼の推薦する欧米のトップ歌手たち、そして大人数の合唱団がNHKホールに集結する。

実演でしか真価が伝わらない曲がいくつかあると思うが、この作品など、その最たるものだろう。マーラー自身は「これまでの交響曲は、すべてこの曲の序奏に過ぎない」と豪語し、初演も大成功を収めたが、ドイツの音楽美学者アドルノなどは「題材が崇高だからと言って、作品も崇高とは限らない」といった意味のことを述べているし、他にもこの曲に対する否定的見解は少なくない。確かに「聖なるもの」一辺倒で、猥雑な要素がない点は、マーラーの作品としてはかなり異色である。中世の讃歌(第1部)とゲーテの『ファウスト』(第2部)を無理につなぎ合わせたような構成も、一見不自然に感じられる。

しかし、圧倒的な音響空間に身を浸すことで、作品の全体像や、「宇宙の響き」を具現化しようとしたマーラーの意図に、多少なりとも迫れるのではないか。めったにない機会、生で聴くことを特に強くお勧めしたい。
N響HP








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クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル @サントリーホール(12月13日)

2023-12-31 01:36:30 | クラシック音楽




ショパン:
   ノクターン第2番 変ホ長調 Op. 9-2
   ノクターン第5番 嬰へ長調 Op. 15-2
   ノクターン第16番 変ホ長調 Op. 55-2
   ノクターン第18番 ホ長調 Op. 62-2
   ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 「葬送」 Op. 35


(休憩)

ドビュッシー:版画
シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 Op. 10
ラフマニノフ:13の前奏曲 Op. 32-12(アンコール)
ラフマニノフ:10の前奏曲 Op. 23-4(アンコール)


同プログラムを弾いた4日のSNSの感想で「ショパンが陰翳に乏しく流しているように聴こえる」というものを見かけたので、そしてツィメさんは時々そういう演奏をすることがあるので(そう聴こえることがあるので)少し心配していたのだけど、とんでもない。
今日のショパンは、ノクターンもソナタも、最初から最後までとても丁寧に真摯に弾いてくださっていました。
確かにOp62-2などはポゴレリッチの演奏などに比べるとサラサラと弾いているように聴こえるところもあったけれど、確信をもって弾いている音に、これはこれでツィメルマンの解釈なのだろうと感じることができました。

「ツィメルマンの音」で弾かれるドビュッシーもとても素晴らしかったけれど(ツィメさんはこういう曲もお得意ですよね!)、演奏会後に印象に残ったのは、やはりポーランドの音楽であるショパンとシマノフスキでした。
ポーランドの血の音というか、魂の音というか、そういうものを強く感じた。
(録音で弾いていなかった終曲の星がキラキラ見えるような高音のフレーズ部分を今日は弾いていたように感じたのだけれど、気のせいかな

アンコールのラフマニノフも素晴らしかった。4日のアンコールはop.23-4の一曲のみだったそうなので、今日は二曲弾いてくれて嬉しかったな。Op.32-12はシマノフスキの曲?と思ったら、ラフマニノフだった。
「ツィメルマンの音」で弾かれるラフマニノフがこんなに素晴らしいとは、意外でした。
濃厚なコッテリさがあるわけではないのに、アッサリ軽いわけでもなくて。うまく言えないのだけど、正面からの真っすぐな美しさと深みが真っすぐに心の奥に届く。
唯一無二のピアニストだな、と改めて感じました。
一昨年に続いてこんな演奏を聴かせてくれて、心から感謝です。

このリサイタルでは、彼のヒューマニストとしての側面も改めて確認した。ピアノ・ソナタ(ショパンのピアノソナタ2番)の前、「武器で物事を解決することはできない。にもかかわらず、EUはこの不必要な戦争をさらなる武器をもって解決しようとしている」とドイツの聴取の前で語ったのである。この夜の最後には、「戦争で犠牲になった双方の側の息子たちに、ロシアの作曲家の作品を」と言って密やかな小品を弾いた。ラフマニノフの前奏曲作品23の第4番「アンダンテ・カンタービレ」だった。

 クリスチャン・ツィメルマンというひとりのピアニストのリサイタルを聴きながら、現実の喜びや悲しみも含めて、自分が何か大きな世界につながっていることを実感させてくれるような稀有な夕べだった。

(中村真人:【海外公演レポート】ニュルンベルクのクリスチャン・ツィメルマン







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