風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

東京都交響楽団 第890回 定期演奏会Aシリーズ @東京文化会館(11月11日)

2019-11-14 22:43:12 | クラシック音楽




シフ&カペラ・アンドレア・バルカのベートーヴェンからいっぱいの幸福なエネルギーをもらってから3日。
一転して、神曲の地獄篇と血の日曜日事件の世界へ行ってまいりました。8ヶ月ぶりのインバル&東京都交響楽団です。


【チャイコフスキー:幻想曲《フランチェスカ・ダ・リミニ》op.32】
演奏が始まると・・・おお、“地獄”だ!!
このコンビ、こういう期待は本当に裏切りませんね~
今日来た目的はショスタコ11番の方だったけれど、この”地獄の音”が聴けただけでチケット代(3500円也)の元はとった。

が、真ん中のロマンス部分はもうちょい色気が欲しかったですー。ロシアものは演歌気味なくらいがちょうどよいのですー。

そして再びの地獄部分は、最後まで勢いが落ちることなくリアル地獄で最高でした(地獄行ったことないけど)
ただ最後の音ってあそこまで「ばぁ~~~~ん!!!!」と開放的に爆発する感じだったっけ…?予習で聴いたものは、もうすこし重く「ずーーーーーん」というニュアンスを含んだ音だったような気がするのだけど。と思い帰宅後にいくつか録音を聴いてみたら、やはりあそこまで開放的ではなかった。ロシア文学を読んだ後のような余韻が残る「ずーーーーーん」、結構素敵なのですけどね。

そして帰宅後に知ったのですが、これ、クランコの『オネーギン』の手紙のPDDの音楽だったんですね!今夜聴いていて全く気づかなかった。あの場面は個人的に音楽の印象が薄いからなあ…。冒頭の庭で友人達がダンスを踊る場面の音楽は大好きなのですけど。
ということは、オネーギンはフランチェスカ・ダ・リミニと同じ設定の場面でこの曲を使っているわけか(不倫の逢引き場面)。オネーギンは切り貼り音楽だから途中をカットして一気にラストのばぁーん!に繋げているけど、このばぁーん!がフランチェスカ・ダ・リミニでは地獄場面であることを考えると、ラストのタチヤーナの表情に一層「うわぁ~」と感じてしまいますね…。 ※オペラではなくバレエのオネーギンのことです。


【ショスタコーヴィチ:交響曲第11番 ト短調op.103《1905年》】
この曲を生で聴くのは2017年のネルソンス&ボストン響に続いて2回目。ネルソンス&ボストン響は同曲の録音でグラミー賞を受賞していますし、世間の評価は高いのだと思いますが、残念ながら私の好みとは合わず(youtubeで受賞したCDの録音を聴いてみたけど、サントリーホールでの印象と同じだった)。
そこでリベンジのために今回の演奏会へ来たのでありました。
3月にこのコンビで聴いたショスタコ5番がとてもよかったので期待大、だったのですが。

う~ん。。。。。。。。。。。。。。。。。
前回彼らのショスタコを聴いたときにショスタコって上手すぎないオケの方が合ってるのでは?と思ったのだけれど、、、やっぱり金管だけは別かも、、、。
ボストン響のときに当たり前に聴いていた箇所は実は当たり前ではなかったのだなあ・・・というところがしばしば。冒頭でトランペットがやっちゃったアレは別に構わないのです(おいっ!とは思ったが)、ああいうことはどのオケでもあると思うし。でもその後が・・・。前から感じていたのだけれど、日本のオケの金管の音って、弱音が”小さい音”ではなく”弱々しい音”に聞こえてしまうことが多いような気がする。金管の弱音を普通に聞こえさせるのって難しいことなのだなあ、と・・・。えらそうにごめんなさいっ でも気になってしまったの・・・。

そして今回もボストン響とは別の意味で、宮殿前に集まってきた民衆達の”悲痛”な想いは伝わってこず・・・。
この第2楽章は、圧政に虐げられてきた民衆達の堪えに堪えた怒りがこれ以上抑えきれずに爆発する緊迫感とか、それでも皇帝への最後の期待に縋ろうとする悲痛な民衆達の命がけの訴えとか、そういうものがあるはずだと私は思っているのです。
でも今夜の演奏は、とうに命を捨てる覚悟ができている民衆達が怒りを全開に爆発させていた感じというか。第4楽章も「これから起こる革命を予感させる」というよりは、現在革命本番真っ最中でもう間もなく成し遂げられそうな感じというか。ちょっと音が開放的すぎるように感じられてしまった。前半のチャイコフスキーもそうだったので、インバルさんの特徴だろうか。

とはいえ民衆の怒りがどれほど大きかったか、軍による殺戮がどれほど容赦ないものであったかということを感じることができた点では、ボストン響よりは好みでした。正直政府軍による民衆への発砲というより世界大戦の大編成軍隊の一斉攻撃のようでしたけど、感覚的に事件の暴力性を感じることができたのはよかったです。少なくともインバル×都響が聴かせてくれるスケールの大きい開放感と良い意味で雑味のあるあの音が貴重であることは確かだと思う。

しかし一度でいいからこの曲を思いきり好みの演奏で生で聴いてみたいものであるなあ。ネット上にはそういう演奏はごろごろあるのに。
ハイティンク&コンセルトヘボウも、ゲルギエフ&マリインスキーも、すごく好みです。ヤンソンス&フィラデルフィア管は残念ながらネルソンス系だったけれど(というよりネルソンスがヤンソンスさん系なのか)。

今の香港の状況を見ていると、こういう作品を自分の日常と直接結びつけずに聴いていられることが決して当たり前ではないことを痛感する。彼らは今まさにその只中にいるのだから。そして日本も、5年後10年後も今と変わらずにいるという保証は全くない。
シフは15,16日の演奏会、大丈夫なのかな…。会場にくる人達も…。高速道路封鎖や夜間外出禁止令の可能性というニュースが出ているけれど…。
そして今ふと思い出しましたが、ベルリンの壁崩壊の記念式典でいつも演奏されているのは、ベートーヴェンでしたね。先日の壁崩壊30年の記念式典でも、バレンボイム&シュターツカペレ・ベルリンが第五番を演奏したそうです。
30年前、壁崩壊の翌月のクリスマスの特別コンサートで演奏されたのは第九番でした。オケと合唱にはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、東ドイツ、西ドイツと、かつて敵対し合った国の音楽家たちが集まり、壁が取り払われた喜びを分かち合ったそうです。このとき指揮したバーンスタインは、第4楽章の「歓喜の歌」の歌詞の一部を変更して歌わせたのだとか。「Freude(フロイデ=歓喜)」を「Freiheit(フライハイト=自由)」に。
「ベルリンの壁」崩壊から30年。あの年に演奏された特別な「第九」とは

そういえば5年前の11月9日、ベルリンの壁崩壊25周年の日に東京でイスラエルフィルと幸福感あふれる第九を聴かせてくださったメータさん(同じ日にバレンボイム&SKBはベルリンで第九を演奏していたんですよね)、いまベルリンフィルと来日中ですね あの夜の第九の響きはいまも耳に残っています。健康にお気をつけて長くお元気でいていただきたいです。 

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