風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

地球交響曲第九番プロジェクト ベートーヴェン第九演奏会 @サントリーホール(12月25日)

2019-12-30 16:04:09 | クラシック音楽


いよいよベートーヴェン・イヤーが始まりますね

今年のクリスマスは、サントリーホールへ第九の演奏会に行ってきました。
龍村仁監督の地球交響曲第九番の公開収録をかねた、小林研一郎さんの指揮による特別演奏会です。
龍村監督のお姿を拝見するのは、パシフィコ横浜にダライ・ラマ法王がいらしたとき以来なので、2016年11月以来3年ぶり。あのときの法王、話の途中で突然子供のようにててててっとステージ端へ行かれるからどうしたのかと思ったら、ちょうど最前列の端の席に着かれたばかりの龍村監督のお姿が。パシフィコ大ホールの五千人の聴衆を放って無邪気に監督に話しかけている法王(笑)。やあ、と軽く手をあげて挨拶している監督。仲の良い友人同士みたいで(実際そうなのだと思いますが)、微笑ましい光景でした

今日の席は、1階後方のセンター。第一部の映像もよく見えて、これまでの出演者の方達も近くにおられて、いいお席でした。
今回のチケットは表だっての一般発売はされていなかったけれど、私のような龍村監督ルートの方とコバケンさんルートの方のどちらが多かったのかな?私の後ろの席の人は「去年明治神宮の喫煙所で監督とお話しして~」と仰っていて「サントリーホールは初めて」とも仰っていたからおそらく龍村監督ルート。隣の席の人はずっとコバケンさんの話題をされていたので、コバケンさんルート。半々くらいだったのかな。

【第一部】
まず最初に地球交響曲のナレーションをされている榎木孝明さんが監督とトーク。榎木さんがぜひ改めて聞いていただきたいとのことで、「かつて人が、花や樹や鳥たちと~」のフレーズの朗読も(生ナレーション)。
今日のプログラムについては第九の演奏以外の情報は知らなかったのですが、榎木さんはきっといらっしゃるだろうなと思っていました。これまでの龍村監督関係のイベントに、いつもいらしていたので。砂曼荼羅のときは気付くと隣にいらして一緒に曼荼羅を覗きこまれていたりと、芸能人ぽくない行動の榎木さん。全曲上映会の明治神宮でもロビーのベンチでパンを食べていたら近くにいらっしゃったので「あ、榎木孝明だ」と見ていたら目が合ってしまい、困ってペコリと頭を下げたら「知り合いだっけ?」と不思議そうな顔をされてしまった。いやあなたは芸能人なんですから見られることに慣れてくださいと思ったけど、監督関係の集まりのときはそういう意識がないのかも。その後同じく明治神宮で休憩時間に誰もいない冬の庭でぽけーっと一人で空を眺めていたら、あちらから監督が歩いてこられるじゃないですか。私は一体どういう反応をすればと小心者ゆえ内心慌てていたら、すれ違いざまに監督の方からニコッと爽やかに笑いかけてくださったのでありました。ああ監督、大好き

続いて、今日客席に来られているこれまで出演された一部の方達(中嶋朋子さん、高野孝子さん、名嘉睦稔さん、雲龍さん、中澤宗幸ご夫妻、奈良裕之さん、星野直子さんなど)が名前を呼ばれ席を立たれて紹介。これまでの上映会などでお目にかかったことがある方が殆どだけれど、星野直子さんは今日初めてお会いしました。星野道夫さんは監督と同じくらいに私にとって特別な方なので、感慨深かったです。
先日急死された木内みどりさんからも出席のご返事をいただいていたそうで、「木内さ~ん。どこにいるの~?立って~!」と監督。「木内さんもこの会場にいらっしゃってると思います」と榎木さん。
ダライ・ラマ法王もいらしたりして、なんて来る前は思ったりしたが、さすがになかった(そりゃそうだ)。これまで行ったあらゆる会場の中で突出して警備が厳しかったのが法王の法話のときだったものな(法王ご自身はいつもの子供のような雰囲気だったけど、会場警備は天皇陛下の100倍くらい厳重だった)。

そして榎木さんのお話で、今日の撮影が第九番のクランクアップであることを知る。
そうだったのか・・・。今日撮影が入ることは知っていたけれど、それがクランクアップだとは思っていませんでした。

それから、これまでの地球交響曲全曲の30分間のダイジェスト映像の上映。
今日ダイジェスト映像の上映があるなんて知らなかったから、とても嬉しい。
ステージから去り際に「短いから(我慢して)!」と監督(笑)。
そして私はといえば、スーザン・オズボーンの『浜辺の歌』が流れ出した途端にもう涙が溢れ出そうに・・・。
音楽の力って本当にすごくて、色んなことが蘇ってきて。
15歳のときの、NTTデータスペシャル『宇宙からの贈りもの』での龍村監督との最初の出会い。その3年後の『未来からの贈りもの』で星野さんに出会って。あの頃星野さんはまだお元気でアラスカにいらっしゃって、私は星野さんの写真集やエッセイをお守りのようにしていた。いつか星野さんに会いに行こう!と10代の私は本気で思ったりしていて(アラスカ一人旅は28歳のときに夢を叶えました)。その本の中に登場されていた奥様が、いますぐ近くの席に座っていらして、地球交響曲の映像を一緒に観ている・・・。
星野さんや木内さんだけでなく、ジャック・マイヨールさんも、佐藤初女さんも亡くなられて。
この27年が長い夢のように感じられる。

以前もここに書きましたが、龍村監督作品との出会いは、私にとって「こんな考え方があったとは」というものではなかったんです。物心ついた頃に(3~4歳の頃の記憶では)既にその感覚は私の中にあって、でも私の周囲の親や友人達にはそういうものを感じていそうな人はいなくて、ずっと一人でその感覚と一緒に生きてきて、世界でこんなことを感じている人間は自分一人なのではないかと諦めかけていた10代半ばの頃、龍村監督や谷川俊太郎さんの作品に出会って、「仲間に出会えた。自分は一人じゃなかったんだ」とほっとしたんです。だから龍村監督が仰ってくださった「魂の友」という言葉は、私にとってはどんな言葉よりも自然な言葉でした。
今日久しぶりに観て、やっぱりいいな、地球交響曲。
演出はしっかりなされているのに、龍村監督の作品からはこの手の作品にありがちなあざとさのようなものを感じないんですよね。あるいは嫌なあざとさじゃないというか。初女さんが「この笊をこう置いて撮ると効果的じゃないかしら?」とか積極的に提案されていたという裏話を以前アフタートークで聞いたことがあるけど(笑)、この方達の場合、そういう現実的なところも素敵だと思える。
ダイジェストの最後では、撮影済みの第九番の一部映像も上映。
そして、監督が再び拍手で呼びだされて、階段のないところから舞台によじ登り挨拶(笑)

(休憩)

【第二部】
“炎のコバケン”ことマエストロ・小林研一郎は、スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じて社会参加を応援するという「スペシャルオリンピックス(SO)」の趣旨に賛同し、2005年3月、SO冬季世界大会・長野の公式文化事業の一つとして白馬村でコンサートを開催しました。
「コバケンとその仲間たちオーケストラ」は、このコンサートを機に設立されました。プロ・アマ・障がいの有無を問わず、活動趣旨に賛同する不特定多数の演奏家たちとそれを支えるスタッフで構成され、知的障がいのある方々も招待し、「支え合い、共に生きる」ことで大きなエネルギーが生まれることをオーケストラという集合体で具現化することを目指して活動をしています。
(「コバケンとその仲間たちオーケストラ」とは)

第二部はオーケストラによる演奏会。私が唯一この曲を生で聴いたことがあったのが世界一の弦と言われるイスラエルフィルだったこともあり、今回のオケの音に慣れるまでに少々時間がかかってしまったのだけれど、第三楽章、あの”愛”を歌うメロディが流れてきたところで不意に「あ。あと少しで30年近く続いてきた地球交響曲の撮影が終わるんだ」ということを強く感じ、その音楽とともに胸が締め付けられる想いに。
音楽は時間である、と。そして時間は前へ前へと進むのだな、と。必ず終わりがくるのだな、と。どんなに寂しくても、音楽はとまらずに奏でられてゆく。

自分で最後を決められた人とそうでない人、どちらが幸せなのだろう。
前回この一階席に座って聴いたのがヤンソンスさんの最後の来日のときだったから、やはりヤンソンスさんのことを思い出してしまう。でもヤンソンスさんはいつが最後になってもおかしくないと意識して生きてこられた(意識せざるをえなかった)方でもあって。ハイティンクさんは自分の最後の演奏会を自分で決めた人で、今年9月に予定どおりにそれを終えた。龍村監督も、この第九番を最終章にすると決めていらっしゃる。
いずれにしても、自分で決めても決めなくても、どんな人も物も、永遠に続くものなどない。終わりは必ず来るんだ…。

でも――。
「終わり」とはなんだろう?
続いて演奏された第四楽章を聴きながら思う。

「ガイアシンフォニーはなぜ、こんなに長く続くことができたのですか?」
私がよく受ける質問である。その理由は私にははっきりしている。
人間なら誰しも持つであろう「喜び、哀しみ、怒り、寂しさ」という感情や、必ず起きる「誕生、不自由さ、死」という出来事を、「地球はひとつの生命体である」という根底に流れるテーマのもと、多様な出演者を通して、映像と音楽と言葉で構造化したのがガイアシンフォニーである。スクリーンの中の出演者たちの心の動きに共感しつつ、観客一人一人の感性が開かれ、自分の中に眠っている「自分という生命体はすべてのものに生かされているのだ」という体感が呼び起こされてくる。(中略)人間の身体は、もともとすべての自然、すべての生命とつながったものだ。”私”はもともと”我々”だったのだ。
(龍村 仁。公演プログラムより)

"私"というものの終わりは必ずくるけれど、”私達”が消えるわけではない。
その”私”と”私達”の境界の曖昧さ、全てのものは繋がり、生と死は同義であり、終わりと始まりは同義であるという感覚は、ベジャールの第九から受けたものと同じで。
ダライ・ラマ法王も「死とは何か」という質問に、同じように仰っていて。
地球交響曲の第一番で描かれていたケルトの文化も。
そして私が子供の頃から肌で感じてきたものも、みんな同じ。

地球交響曲集大成となる「第九番」に流れるテーマは、人間たちのシンフォニーです。
ベートーヴェンの「第九」で歌われるシラーの詩のなかに
「すべての世界の人々は兄弟になる。そういう優しい世界、素晴らしい世界が来る。戦争が起こって、人々と人々の心が、諍いのなかで苦しみのなかにいても、それを神の力はいつの間にか優しく結び合わせる」という意味の部分があります。
「それはいつのまにか、みんなの努力によって元に戻るのだよ。
だから我々はつねにひたむきに生きるということを止めてはならない」
(地球交響曲第九番製作に向けて)


第四楽章の最後に繰り返される合唱。
それはベートーヴェンの最後のメッセージであり、龍村監督の最後のメッセージ。
でもそれは”最後”ではなく、私達全ての中でこれからも生き続けるものなのだと。

第四楽章のオケと合唱のハーモニーと熱量、素晴らしかった。
今回、合唱団も一般からの募集でした。ベジャールの第九でも、様々な人種やバックグラウンドの人達が参加していたのを思い出します。この第九の音楽にはそんなあらゆる異なったものを全て受け入れてしまう大きさがあることを改めて思い知らされる。最初は気になったオケの音も、最後には全く気にならなくなり、というよりもこれでなければならないのだ、とまで感じてしまっていました。そんな音楽を作り出してくださったのは、コバケンさん。
そして演奏後のコバケンさんのオケや合唱団やソリスト達への感謝の表現が半端ない(笑)。各楽章の間にも毎回オケに頭を下げていらしたし。お隣の方が「コバケンはこういうのが好きだからなあ」と笑っていた。”炎のコバケン”、その音楽とともにたっぷり体感させていただきました。ブラボー!
そんなコバケンさん、舞台袖に何度も誰かを呼びに行くけど、応答がないようで。そして客席に向かって「監督をお呼びしたいんですが、舞台袖にはいらっしゃらないみたいで。龍村監督~~~!!!客席にいらっしゃいますか~~~???」。
客席にいらっしゃった監督、再び階段のない場所からステージにずり上げられる(今度はコバケンさんのサポートで)笑。

コバケンさん:今日は龍村監督のおかげで特別な空気の演奏会をさせていただくことができました。ベートーヴェンの作品はもちろん素晴らしいのだけれど、ベートーヴェンの音楽にある”それを超えた何か”を演奏会で出せるかどうかは別のことで。今日は仲間たちオーケストラが本当に献身的に演奏してくれて、合唱も献身的で、そういう特別な演奏ができた。なので、(監督に向かって身体を下げて)いい映画が撮れたのではないかと思います(笑)

龍村監督:(客席に向かって)すべてここにいる、この地球交響曲を支えてくださった皆様のおかげです。ありがとう。

それは私達の言葉です。地球交響曲という作品をこの世界に生み出してくださった監督に、誰もが「ありがとう」と思っているはずですよ。
そしていっぱいの拍手に送られてコバケンさんと退場しながら、コバケンさんとご自分を指さされて「同い年!」と

撮影は終わったけれど、第九番の製作はまだまだ続きます。
どうかどうかお元気でご無事で、第九番が出来上がりますように。
完成を楽しみにしています。

【楽団】コバケンとその仲間たちオーケストラ

【出演】生野 やよい(ソプラノ)
    山下 牧子(メゾソプラノ)
    笛田 博昭(テノール)
    寺田 功治(バリトン)
【合唱】コバケンと歌う「第九」合唱団

©龍村ゆかり
階段のないところからよじ登る監督

©龍村ゆかり
監督を呼びに行く?炎のマエストロ

以下は、私が撮った写真です。
クリスマスの装いのサントリーホールとその周辺















メリークリスマス、シャンシャン
相変わらずのおっきいぬいぐるみ感


世界一可愛いほっぺ、世界一可愛い内股


おやすみシャン
ライブカメラは終わっちゃったけど、一年後に中国に還るまでいっぱい会いにくるからね


子供のような無邪気な寝顔で爆睡中のシンシン


眠ってしまった妻&娘の分もしっかり営業してくれる、上野家の大黒柱リーリー
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