風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第1975回定期公演 Cプロ @NHKホール(1月21日)

2023-01-22 23:13:26 | クラシック音楽




【ラフマニノフ/幻想曲「岩」作品7】
《幻想曲「岩」》は、弱冠20歳のラフマニノフの管弦楽作品である。ソ連の音楽学者アペチャーンによると、4手版ピアノ譜の自筆譜に「《幻想曲》/黄金色(こがねいろ)の雨雲が一夜を過ごした/巨人のように切り立った岩の胸もとで/レールモントフ」とあり、また自筆総譜の筆写譜にも、この曲がレールモントフの詩『切り立つ岩(断崖)』(1841)の印象にもとづいて書かれ、最初の2行を題辞とした旨が書かれているという。原詩は8行からなり、以前にはリムスキー・コルサコフらによって少なくとも15以上の歌曲が作られていた。
原詩には詩人が翻訳していたハイネなどドイツ語詩からの影響が認められる。また同じくこの冒頭2行を題辞として展開した作品に、チェーホフの短編小説『旅中』(1886)があり、ここでは雪をまとった松の木が南国の椰子(やし)を、切り立つ断崖が去った雲を想い涙するハイネ=レールモントフの寓意的情景が源泉になっている。老境の絶望的に不幸な男と若い娘が偶然、駅馬車の宿駅に居あわせ、会話を通じて互いに一筋の理解を見いだすも、やがて時間が来て娘は去り、見送る男に粉雪が重く降り積もる─。
実は《幻想曲》の標題はこの『旅中』でもあった。ラフマニノフは敬愛するチェーホフに出版譜を贈り、そこに「同じ題辞をもつ短編小説『旅中』の内容が本作の標題となりました」と認(したた)めている。作品は標題つき単一楽章のため交響詩にも類し、冒頭、半音で下行する暗澹(あんたん)とした第1主題、軽やかに飛翔する第2主題、どこか感傷的でさまざまに姿を変える第3主題を軸に展開する。ここには原詩の対照性を柱としつつも、一連の標題を総合したような世界観が感じられる。まさに先達との創造的対話の結晶と言える作品である。
N響HPより

今回初めて聴く曲です。
ラフマニノフがこんな曲を書いていたことも、知りませんでした。
もととなったチェーホフの小説、いかにもロシアという感じですね。読んでみたいな。
クラシック音楽を聴くようになってから受けた意外な恩恵の一つが、自分の興味の対象が世界の様々な芸術へ一気に広がったことです。クラシックの音楽家達の多くは文学や美術からもインスピレーションを受けているので、私の中でもそれらに関する興味がどんどん広がっていく。おかげで一生読むことなどなかったであろうトーマス・マンまで読んでしまっている(面白いです!まだ読み終わってないけど)。E.T.A.ホフマンも。

さて、ソヒエフはやはりいい指揮者ですね。
先週に続いて、N響からとても美しい音を引き出していました。日本のオケからこんなに色彩豊かな音を聴くのは、私が今まで聴いた中では、デュトワと彼だけ。
ソヒエフが作り出す音は、想像していたとおり、先週のドイツプロよりも今週のロシアプロの方がずっと合っているように感じました。
ただ、これはソヒエフの端正な音楽作りのせいなのか、N響にも理由があるのかはわかりませんが、私には突き抜け感がイマヒトツ足りなく感じられてしまったんですよね・・・。これは先週も少し感じたことですが。
『岩』も、雪の美しさのような情景は感じられたのだけど、暗い心の悲痛や状況の悲惨さのようなものは、私は今日の演奏からは殆ど感じられず・・・。予習で聴いたスヴェトラーノフ指揮他いくつかの演奏からはそれが感じられたのだけれど・・・。

【チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」】
この曲は、2019年にゲルギエフ&マリインスキー管で聴いてとても感動した大好きな曲。
「ロシアの風俗、粗野なところもあるけどおおらかで温かく、色気もあって、大地の土の匂い。それらの美しさ。」
これは当時彼らの演奏から感じた私の感想です。
ヒヨコが最初に見た相手を親と思うように、私はこの曲をそういう演奏で刷り込まれてしまっているため、今日のソヒエフ&N響の丁寧で端正な演奏は、『岩』と同じく、3楽章くらいまではもう一歩物足りなく感じられたのが正直なところでした。幾度かハッとする物凄く美しい音が聴こえましたし、悪くはない、悪くはないのだけれど・・・というモヤモヤした気持ちで聴いておりました。ソヒエフの丁寧さは良くも悪くもだなと。
でも。
4楽章、とてもよかったな。。。
この楽章では、ソヒエフの音楽の誠実さのようなものに強く心打たれました。
特に四楽章の最後、加速してオケを煽ることをしなかったところ。
これはSNS情報によると楽譜どおりなのだそうですが、とても誠実で清澄に感じられ、かつあれほどの輝かしさを出せるのは素晴らしいと感じましたし、胸に迫りました。今の世界情勢で煽るチャイコフスキーを聴くのは精神的にきついということもありますし、こういう繊細で美しいチャイコフスキーに、今まで知らなかった形の「音楽がもつ力」をソヒエフから教えてもらったような気がします。ソヒエフの母国への愛情も感じました。
最強寒波が近づく真冬の東京で、心の中に温かく、熱いものが残った演奏会でした。
ありがとう、ソヒエフ。

一方で、ソヒエフはボリショイのオケだとどういう音楽を聴かせるのだろう?という興味も強く感じました。でもそれを聴ける機会は当分(二度と?)なさそうかな。。
そういえばボリショイのソローキンさんは、どうされてるだろう。あの一見不愛想でシャイで親日家な熱い指揮者さん。ロシアのウクライナ侵攻直後にロンドンのロイヤルオペラハウスからバレエの客演指揮を解雇されたというニュースを聞いたのが最後だけれど。モスクワでは今も指揮されているのだろうか。あの良い意味で洗練されていない演奏が懐かしいです(ジゼルまでロシア風に調理していたあの演奏)。早く平和な世の中になりますように…。

※追記:
そうだ、これを書き忘れていた。
[Cプログラム]の《交響詩「岩」》は、タイトルだけ聞くと断崖絶壁の光景を思い浮かべるが、旅の宿で出会った中年男と若い女性の束の間の交流を描いた、チェーホフの短編小説がもとになっている。旅立つ女を見送る男に雪が積もり、岩のように見えるという訳である。若きラフマニノフの作品をチャイコフスキーが激賞し、初演の指揮を約束したが、彼は間もなく世を去ってしまう。本来は同じ年に書かれた《悲愴交響曲》を組み合わせたかったが、《悲愴》の演奏に特別な思いを抱くソヒエフは、首を縦に振らなかった。またいつか別の機会を探りたい。
N響HPより
今のソヒエフに《悲愴》の指揮を提案するって、、、N響は無邪気&無神経すぎません…?

『冬の日の幻想』の解説(千葉フィル)







終演後は、明治神宮の龍村監督との思い出の場所をお散歩しました。

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