シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

光の雨

2013-03-25 | シネマ は行

立松和平の「光の雨」という小説を映画化する。というのが物語の始まりで、その中で語られる連合赤軍の山岳ベース事件は劇中劇という形になっている二重構造の映画です。この「映画化する」という部分もドキュメンタリーではなく劇なので、三重構造ということになるのかな。

「光の雨」の映画化にあたり、メイキング映像を依頼された阿南萩原聖人は、樽見監督大杉蓮に話を聞いたり出演者のオーディションの様子を撮影している。若い役者たちは30年前に起こった山岳ベース事件に対して理解できないままに演技を続けている。そんな中樽見監督があの時代の自分自身の古傷に耐えられず失踪してしまい、阿南が続きを撮影することになる。

山岳ベース事件からあさま山荘事件については「実録連合赤軍あさま山荘への道程」(2007年)のほうが詳しく描かれているが、こちらの「光の雨」のほうが製作年が2001年なので、本格的にこの事件について扱った映画としてはこちらのほうが最初ということらしい。

この作品は、映画のメイキングとその出来上がった劇中劇という構造が好きではないという理由で低い評価を受けている部分もあるようなのですが、ワタクシは結構この構造が好きでした。30年前に連合赤軍が起こした事件のことを現代の若者が理解できないのは当然のことだと思うし、その役を演じきったあと、「どうして私が殺されなければいけなかったの?」という感想を役者が語るところも率直な感じして好きでした。あの時代にどんな思想があったにしても、そして彼らが自分の意志であの場所に行ったんだとしても本当にあんな若い人たちの命がどうしてあんなふうに奪われなければいけなかったのか?というのは当然の疑問だと思う。

森恒夫(こちらでは架空の名前が使われているので倉重鉄太郎とされている)を演じた山本太郎の迫力がすごかったですね。ワタクシは大阪の人間なので大丈夫だけど、あの大阪弁でまくしたてられたらものすごく怖かっただろうなと単純にそう感じた。「実録連合赤軍~」のほうでは森を演じた役者さんは大阪弁ではなかった気がするんだけど、森の実際の経歴を見ると大阪出身なのでおそらく山本太郎のしゃべり方の方が近かったんじゃないかなと思う。「実録連合赤軍~」のほうの地曳豪が良くなかったというわけではなく、あちらは冷酷な指導者といったふうでこちらとは対照的でした。方言以外の部分ではどちらが実際の森に近かったかは分かりません。

こちらでは思想的な説明というのが「実録連合赤軍~」ほど克明ではないので、本当にあの山岳ベースがただのカルト集団の暴力事件としてしか捉えられないんじゃないかという危険性をはらんでいるような気はした。いや、思想うんぬんがあれば正当化されるという話ではまったくないのだけど。この2作品を見てワタクシ自身もはっきり言ってとても混乱している。あれは本当に一体何だったのか?森と永田(この作品では上杉和枝)裕木奈江の異常性が彼らの思想的な暴力性と不幸なことにまみれあい、山岳ベースの密室性が加わってこんなことが起こってしまったというのが、ワタクシの中の結論的なものなのだけど、それが合っているのかは分からない。

その「なんやよう分からんなぁ」という感覚をこれを演じる若い役者たちが代弁してくれたような気がしたから、ワタクシはこの二重構造の作品を良いと思ったのかもしれない。当時の彼らからすれば、撮影がすべて終了して無邪気に雪合戦を始めた現代の若者を見たら失望してしまうのかもしれないけど、ワタクシはあのラストシーンを肯定的に捉えることができた。思想的には当時の彼らより未熟でも当時の彼らよりいい加減な気持ちで現代の若者が生きているとは限らないということがひとりひとりのインタビューを聞いて理解することができたし、特に最後の倉重を演じた役者のインタビューがとても良かった。

最後のナレーションで「僕らの夢を君たちに継いでくれとは決して言わない」とある。これはこの物語を語ってきた坂口弘(この作品では玉井潔)池内万作の後悔の言葉だと捉えて良いのだろう。

映画的な迫力で言えば断然「実録連合赤軍~」のほうでしょう。事件が凄惨なだけにこちらの映画に救いを求めてしまったのはワタクシの甘さなのかもしれません。



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