1958年のフランクフルト。アウシュヴィッツ収容所にいた元ナチスの親衛隊員が、規則に違反して教職に就いていることを知ったアウシュヴィッツに収容されていた過去を持つシモンヨハネスクリシュは友人で新聞記者のトーマスアンドレシマンスキとともに検事局を訪れる。アウシュヴィッツで何が行われていたか知らないのかと検事たちに詰め寄るトーマスだったが、そんな過去のことを掘り返してどうなるんだと一蹴される。そんな中ヨハンラドマン検事アレクサンダーフェーリングは唯一関心を示す。先輩検事たちには笑われるヨハンだったが、ユダヤ人検事総長フリッツバウワーゲルトフォスの後押しを得てアウシュヴィッツで何が起こったのかを追及することになる。
ナチスの犯罪はニュルンベルク裁判ですでに裁きは終了していて、ドイツはあの戦争やナチスのことは忘れて前を向いて歩いて行こうとしていた。しかし、それはうわべだけの解決でユダヤ人収容所で実際に何が行われていたかについてはドイツ国民初め全世界はまだ知らなかったのだった。
ヨハンがユダヤ人生存者協会に連絡をして、アウシュヴィッツで何が行われたかの証言を初めて聞くシーンが印象的だった。生存者の証言そのものがシーンとしてあるわけではなく、それを聞く側のヨハンの表情や記録係の女性の嗚咽でそれがどのような聞くに堪えないほどのものであったかを表現していた。
ヨハンたちはたくさんの生存者の証言の聞き取りをする一方、何食わぬ顔で普通に生活している元親衛隊たちの行方を探すという途方もない調査も開始する。
そんな作業に忙殺される中、元々この調査を始めるきっかけになったシモンは頑なに自分の経験を話そうとはしなかった。しかし、度重なるトーマスとヨハンの説得によりついにシモンがその重い口を開き、驚くべき真実が語られる。シモンには妻も娘もいた。妻は収容所で亡くなり、双子の娘たちは収容所で紳士的な医師に連れて行かれた。娘たちが優しそうな医師に連れて行かれたので安心していたシモンは後に娘たちが人体実験の道具にされたという事実を聞かされる。あの悪名高い“死の天使”ヨゼフメンゲレの双子実験で様々な病原菌を打たれ生きたまま解剖され、あげく背中合わせに縫い付けられたというのだ。
ここからヨハンのメンゲレ捜索が始まるが、権力側はメンゲレの居場所を把握していても知らんぷりを決め込んでいた。そんな組織の中でも秘密裡に協力してくれる人もいて、最終的にはモサドの力も借り、メンゲレを始めとする元親衛隊員が南米に潜んでいることを掴む。
この辺りはナチハンターなどのドキュメンタリーなどを見たことのある方なら分かると思いますが、多くの親衛隊員は戦後、新たな第三帝国の建設を夢見る南米勢力の協力を得てアルゼンチンなどに逃亡していたのです。(最終的にモサドはアイヒマンは捕らえましたが、メンゲレは最後まで逃げのびて1979年に海水浴中に心臓発作で死亡しました)歴史がそうである以上、もう何も変わらないのですがメンゲレを捕らえることができていたら、と思わずにいられませんでした。
途中、トーマスとヨハンが近くに住む元親衛隊員でいまはパン屋をやっている男の元を訪れるシーンも印象的でした。自分を抑えきれずその男と対峙するトーマスでしたが、小さな子供に優しく接し、ごく普通のパン屋の顔をした男の前でナチスの罪の糾弾に燃えているトーマスでさえ何も言えなかった。それほどにごく普通の人たちも元親衛隊員の中にはたくさんいたというのを示すシーンでした。
後半、ヨハンが実はトーマスもドイツ兵としてアウシュヴィッツで見張り役をしていた事実を知ったり、父親もナチ党員であったということを知り自暴自棄になっていまいますが、やはり最後にはきちんとこの裁判をやり抜くことを選びます。ヨハンが「ドイツ国民は永遠に黒を着るべきだ」と言っていたのが胸に刺さりました。もちろんそれは自暴自棄になったヨハンが投げやりに言った言葉ではあるのですが、それくらいの罪を犯してしまった自国民を自分の国で裁かなければ前に進めないということだったのだと思う。
もしこの裁判がなければ今現在のドイツはなかっただろう。自国の罪に真摯に向き合う姿勢。もちろんドイツ国内でもこの裁判に反対した勢力や妨害した勢力もあった中でそれでも実現した裁判。戦後70年経ってドイツと日本の立ち位置の違いを見れば、その結果は明らかだと言えると思う。
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