冒頭でカメラマンやデザイナー、スタイリストなどがジーアやファッション業界に関して短いコメントを話していくシーンがあるが、その中で一人の男性が言う台詞がもっともこの作品、ジーアそのものを端的に表している気がする。
「ファッションは芸術ではない。まして、ファッションは文化なんかじゃない。ファッションは宣伝だ。ファッションは商業的な広告に過ぎない。」
もし、ファッションが芸術だったら、もし文化だったら、ジーアももう少し救われたのかもしれない。
退屈なブロンド美人ばかりだった1980年代のモデル界にまさしく革命を起こしたスーパーモデル、ジーアアンジェリーナジョリー。彼女の自由奔放な生き方とその裏にあった孤独や哀しみ、麻薬、エイズ、セレブリティからの転落を描くこの作品。
麻薬によって身を滅ぼしていく主人公に同情はしない。彼女のトラウマや孤独や哀しみをたいしたものではないと言うつもりはないが、それでも麻薬に頼って生きることを肯定するつもりはさらさらない。恋人リンダエリザベスミッチェルだって彼女を愛してくれていたのに。この恋人リンダの哀しみを思うと涙が出た。どんなに愛しても自分が麻薬に勝てないという哀しみ。麻薬に溺れる愛する人を怖いとさえ思ってしまう哀しみ。どんなに訴えてもジーアには届かない。ジーアは孤独な精神のもろい人だったが、そのもろさが周囲の人を傷つけたし、麻薬によってハッピーになった人なんて誰一人としていない。それでも、やめられない麻薬の恐怖…「愛」じゃ救えないなんてホントに救いがないよな…
ジーアの人生を振り返ると、彼女がとても精神的に弱い人だったことが分かる。彼女は子どもの頃、母親マーセデスルールという精神的支柱を失くし、大人になりきれていない17歳でいきなり大人の世界に足を踏み入れる。アメリカの17歳だから、日本人の17歳と同じには語れないけど、それでも彼女はまだまだ自分自身が未熟で不安定なまま不安定なファッション業界というところに足を踏み入れてしまった。事務所の社長フェイダナウェイは母親のように良くしてくれた。ジーアはSOSを何度も出していた。「少し休みたい。写真の勉強がしたい。少し考える時間が欲しい」と。良くしてくれた事務所の社長もやはりどこかではジーアは“商品”だったのだろう。「今、たくさん働けば、あとでいくらでもそんなことはできる」そう言って休ませてはくれなかった。少しでも休めば次の子が取って代わる世界。もし、休んでいてもジーアがその現実を受け入れることができたかどうかは定かではない。
マーセデスルールが演じる母親が自分をかばうのに一生懸命な感じがして違和感を感じたが、このワタクシの感じた違和感というのは作り手側の意図的なものだったような気がする。多分、こういう母親だったということをそのままに見せたかったんだろうと。ジーアに起こったことを母親のせいにだけするのは責任転嫁だと思うけど、この母親にも責任の一端はあったんじゃないかと思わせる。
ジーアが死んだ後に父親が「自分の娘なんだから自分の人生をなげうってでも救ってやらなければいけなかった。」と言うシーンがあるが、死んでからじゃ遅いよ。本当に人生をなげうってでも助けてあげて欲しかった。
このジーア、まるでアンジェリーナジョリーそのものだ。のちにアンジー自身も認めているようにこの役にはあまりにも自分でも恐ろしいくらいにハマリこんでしまっていたらしい。あの妖しげな美しさ、奔放な生き方、物言い、ナイフが好きなところ、何もかもジーアとアンジーは似ている。自分がバイセクシャルなことや、過去の自傷グセ、SM趣味、ドラッグの経験などアンジーは包み隠さずに話す。そんな彼女も今では2児の養子を持ち、1児の実の子と合わせて3児の母である。彼女が「トゥームレイダー」の撮影でカンボジアに行き、その現状を知り、国連大使にまでなったことは、彼女の人生を救ったという意味でも大きな意味を持つのではないだろうか。
彼女が「ピープル」誌で“世界でもっとも美しい人”に選ばれたとき、同じく国連の仕事をしているアーティストが「彼女は映画の中ではなく、スッピンでアフリカで赤ちゃんを抱いているときが一番美しい」と話していたが、NHK衛星で放映している「アクターズスタジオインタビュー」に登場した時のナチュラルメイクの彼女を見たときは、本当に映画に出ているときより数段美しくこのコメントにももの凄く納得がいった。
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麻薬に関しては私もcokyさんに賛成!
どんなに辛い人生でも麻薬に逃げてはいけないと思います。
最後に彼女の友達がジーアは死ぬ間際、子どもたちに麻薬を克服してっていうメッセージを残したがってたって証言しているので、この作品を見て麻薬の怖さを認識することがジーアへの弔いになるかと思います。
もう少し何かが違えば救われたかも、と思わずにはいられなかった。あの母親には怒りを感じるし、父親にも同じく怒りを感じました。アメリカの家庭は、義務教育を終えると子供は自立するのが当たり前かもしれないけど、あんな時でさえ、一緒に暮らして子供を支えたり守ったりしようとしないものなのでしょうか?「スタンドアップ」を観た時も同じような事を思ったんですけど。日本だったら即行で親が迎えにきそうですよね。それがいいのか悪いのかは分からないけれど。。。
アンジーの世界でもっとも美しい人に選ばれた時の「スッピンで~」というコメント、私も読みましたが、これは今のアンジーにとって最高の褒め言葉だったと思います。