
「ワールドオブライズ」を見た劇場から少し離れた劇場へ15分でダッシュで移動して見たこの作品。初めチラシで見たときには、インディーズのヘンテコなオシャレさだけを狙った作品なのかと思ったけど、予告編を見ると、ライアンゴスリングがいい味出してそうだったし、なんと言っても大好きなパトリシアクラークソンが出てる。アカデミー賞脚本賞にノミネートもされているし、これは間違いないなと思った。(ワタクシはアカデミー賞の中でも特に脚本賞には注目しています。原作の映画化やリメイクが増える中、やはり映画のために書かれた優れた脚本というものは特に貴重だと思うからです)
自分を出産するために母親が死んでしまい、そのトラウマで人とのつながりを避けて暮らす青年ラース(ゴスリング)がある日、等身大のリアルドールをネットで購入する。これ実際にはいわゆるダッチワイフ。。。なんだけど、ラースはそのリアルドール、ビアンカを本当の人間の女性として扱い、(そして、“二人”は“プラトニック”な関係だ)兄のガスポールシュナイダーと兄の奥さんカリンエミリーモーティマーに紹介する。ビックリ仰天した(そりゃそうだわな…)兄夫婦が精神科医のバーマン先生(クラークソン)に相談に行くと、なんと先生はラースの話に付き合えと言う。それが、ラースのためだと。戸惑いながらもラースの芝居(?)に付き合う彼ら。その芝居は次第に小さな町中の人たちに広がっていく。
お兄さんの奥さんが妊娠したことで、自分の母親が自分を産んで死んでしまったことへの恐怖が再びラースに押し寄せてきたからなのか、職場でやたらとラースを誘ってくる女の子マーゴケリガーナーが現れたからなのか、ラースが人形を買おうと思ったきっかけははっきりとは示されないから分からないのだけど、それを取り囲む町の人々の優しさにじーんとなる。実際にそんな人が周りにいたら、かなりひくと思うんだけど、お兄さんの奥さんカリンが劇中に言うように、みんながそんな芝居に付き合ってくれるのはラースがとてもいい子でみんながラースを愛しているからなのだろう。
ラースを演じるライアンゴスリングは悲しげな目をしたハンサムさんで、「16歳の合衆国」や「きみに読む物語」でもとてもいい演技をしていたが、今回は彼がハンサムさんだということを忘れてしまいそうなほど、ドン臭くていまいち冴えないラースを非常にうまく演じていた。特殊メイクもなにもしていないのに、これがライアンゴスリング?と自分の目を疑ってしまうことが劇中何度もあった。
そして、パトリシアクラークソンは今回もなんでこんなにカッコいいんだろう?ってくらいカッコいい中年女性を演じていた。この人に関してはカッコいいという形容しかできなくてほんと申し訳ないって感じだ。
今回、新しい発見だったのはラースのお兄さんの奥さんを演じたエミリーモーティマーかな。彼女のフィルモグラフィーを見ると、見た映画にたくさん出演しているんだけど、ぜんぜん印象に残っていない。そんなに大きい役でもなかったんだろうけど。今回のこのカリンはある意味おいしい役ではあったと思うんだけど、ちょっとハスキーな声で演じる彼女が一生懸命なカリンにとてもよく合っていたと思う。
結局最後は、ラースの中でビアンカに死が訪れ、「なぁんだ、必要なくなったら都合よく殺しちゃうのかよ?」ってそのときは思ってしまったんだけど、あとからよく考えると、バーマン先生が言っていたように、それこそがラースが必要としていたプロセスだったんだろうなと思えるようになった。ラースはビアンカを通して初めてちゃんと人を関わりを持つことの素晴らしさを知ったんだもんね。一人の青年の心の傷が癒えていくさまを奇抜な発想ではあるけれども、丁寧に描いたいい作品だった。
自分を出産するために母親が死んでしまい、そのトラウマで人とのつながりを避けて暮らす青年ラース(ゴスリング)がある日、等身大のリアルドールをネットで購入する。これ実際にはいわゆるダッチワイフ。。。なんだけど、ラースはそのリアルドール、ビアンカを本当の人間の女性として扱い、(そして、“二人”は“プラトニック”な関係だ)兄のガスポールシュナイダーと兄の奥さんカリンエミリーモーティマーに紹介する。ビックリ仰天した(そりゃそうだわな…)兄夫婦が精神科医のバーマン先生(クラークソン)に相談に行くと、なんと先生はラースの話に付き合えと言う。それが、ラースのためだと。戸惑いながらもラースの芝居(?)に付き合う彼ら。その芝居は次第に小さな町中の人たちに広がっていく。
お兄さんの奥さんが妊娠したことで、自分の母親が自分を産んで死んでしまったことへの恐怖が再びラースに押し寄せてきたからなのか、職場でやたらとラースを誘ってくる女の子マーゴケリガーナーが現れたからなのか、ラースが人形を買おうと思ったきっかけははっきりとは示されないから分からないのだけど、それを取り囲む町の人々の優しさにじーんとなる。実際にそんな人が周りにいたら、かなりひくと思うんだけど、お兄さんの奥さんカリンが劇中に言うように、みんながそんな芝居に付き合ってくれるのはラースがとてもいい子でみんながラースを愛しているからなのだろう。
ラースを演じるライアンゴスリングは悲しげな目をしたハンサムさんで、「16歳の合衆国」や「きみに読む物語」でもとてもいい演技をしていたが、今回は彼がハンサムさんだということを忘れてしまいそうなほど、ドン臭くていまいち冴えないラースを非常にうまく演じていた。特殊メイクもなにもしていないのに、これがライアンゴスリング?と自分の目を疑ってしまうことが劇中何度もあった。
そして、パトリシアクラークソンは今回もなんでこんなにカッコいいんだろう?ってくらいカッコいい中年女性を演じていた。この人に関してはカッコいいという形容しかできなくてほんと申し訳ないって感じだ。
今回、新しい発見だったのはラースのお兄さんの奥さんを演じたエミリーモーティマーかな。彼女のフィルモグラフィーを見ると、見た映画にたくさん出演しているんだけど、ぜんぜん印象に残っていない。そんなに大きい役でもなかったんだろうけど。今回のこのカリンはある意味おいしい役ではあったと思うんだけど、ちょっとハスキーな声で演じる彼女が一生懸命なカリンにとてもよく合っていたと思う。
結局最後は、ラースの中でビアンカに死が訪れ、「なぁんだ、必要なくなったら都合よく殺しちゃうのかよ?」ってそのときは思ってしまったんだけど、あとからよく考えると、バーマン先生が言っていたように、それこそがラースが必要としていたプロセスだったんだろうなと思えるようになった。ラースはビアンカを通して初めてちゃんと人を関わりを持つことの素晴らしさを知ったんだもんね。一人の青年の心の傷が癒えていくさまを奇抜な発想ではあるけれども、丁寧に描いたいい作品だった。
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