シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

神々と男たち

2011-04-15 | シネマ か行

1996年にアルジェリアで起きた武装イスラム集団によるフランス人修道士の誘拐、殺害を描く。アルジェリアのキリスト教修道院ではフランスから派遣された修道士たちが地元のイスラム教徒のアルジェリア人たちと良好な関係を結びながら慎ましやかに生活していた。修道士の中には医者マイケルロンズデールもいて、村にある唯一の病院としての役割も果たし、修道士たちは村人たちが開くイスラム教に関連したお祭りにも招待されるなど、彼らは異なる宗教でありながら、隣人として仲良く暮らしていた。それが、アルジェリア軍とイスラム武装勢力との争いに巻き込まれることになる。

フランスから派遣されている彼らには帰るところがあり、キリスト教徒であるクロアチア人たちが殺害された事件のあと、修道士たちはそれぞれにここにとどまるべきかフランスに帰るべきか迷う。アルジェリア軍は修道院を軍隊に守らせることを提案するが、修道長であるクリスチャンランベールウィルソンは、修道院が武装することに反対し、軍の要請は断ってしまう。修道士たちの中には初め帰ることを望んだ者もいたが最終的には全員がそこに残ることを希望するようになる。

この映画が「良い映画」であるということはよく分かるのですが、なにしろ修道士たちの生活があまりにも淡々と、ミサの様子もきちんと描かれているので、申し訳ないんだけど非常に眠くなる。彼らの讃美歌もまた眠気を誘うのですよ…

彼らがキリスト教の信念に基づいて、あの場に残るという決心をしたことはものすごく勇気がいったことだったと思う。ワタクシは宗教というものを信じていないので、その信念に基づいて命の危険を冒せるという心境を理解するのは難しいんだけど、彼らがあそこに残ったのは、自分たちの信仰を守るだけではなく、村人たちとの良好な関係というものも関連していたのかなと考えると理解できるような気がする。自分たちに帰る国があるからと言って、簡単に危険に瀕した村人たちを置いて自分たちだけが逃げるわけにはいかないという気持ちが彼らの中にあったんじゃないかなぁと思う。そして、その気持ちを信仰というもので支えていたのかなと思う。

いつもはやたらとセクシーな役どころが多いランベールウィルソンが、修道長を演じていたので少しビックリしました。それも一番信念を強くもった人でした。彼らの中で初めは恐怖のあまり「帰りたい」と思っていた修道士たちの気持ちが「やっぱり残ろう」と強く思うまでの過程もとても静かに描かれていたので、ちょっといまいち彼らの心の変化というものを感じ取ることができなかったのが残念でした。全体的に粛々と進む中でぼーっとしてしまったワタクシが悪いのかもしれません…

原題も日本語の通りで「神々と男たち」なんですが、この「神々」という表現が少し気になります。キリスト教の神は唯一絶対神で神は一人なはずだし、「キリスト教」と「イスラム教」でカウントするとしてもそもそもキリスト教とイスラム教の神は同じ神ですよね。とすると、この「神々」というのは何を指しているのか?存在としてはただ一人だけど、それぞれの心の中にある存在を指して複数形になっているのでしょうか?


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