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2013年通信簿 49 藪田安彦

2013-12-21 01:31:07 | 千葉ロッテ

49 藪田安彦 投手 40歳 年俸1億円

【2013年成績】 E 8試合 0勝0敗0S 防御率2.25 8回 8被安打 0被本塁打 6与四球 1与死球 6奪三振

生命線であるストレートの力が落ちてきていましたので厳しいシーズンになるだろうとは思っていましたが、まさか一軍で投げることなく終わるとは小野とともに想定外です。
その小野と同じく今季限りでユニフォームを脱ぐことになったのは年齢的にも仕方のないところで、またそれだけ右肩痛の状態が悪かったということなのでしょう。
納得のいくまで投げ込むというスタイルの藪田が投げられないジレンマに苦しんだであろうことは想像に難くなく、また引退セレモニーでのピッチングはかなりな痛々しさがありました。
公式なコメントはどうあれ本人としては不本意な終わり方であろうことが哀しく、また故障の怖さを痛感した藪田の引き際です。

浦和での数字はやや四死球の数が多いもののそれなりのものではありますが、おそらくは春先に投げただけでその後はほとんどその動静が聞かれないぐらいに消息を絶った感じもあった藪田ですから、いろいろと模索をして諦めずに治療に専念をしていたのでしょう。
その努力が報われなかったのは辛い現実ですが、先発としてパッとしなかったところでの中継ぎ転向で2005年、2010年の二度の日本一に貢献をしてくれたことはファンとしても喜ばしく、藪田にとっても胸を張れる実績ですので、その7年間の399試合、年平均で57試合の代償と考えれば後悔はなかったのではないかと思いたいです。
ただやはりもう一度でも藪田の勇姿を見たかったと、その最後が惜しまれますが、今はただありがとうの言葉を贈りたいです。
メジャーでは思ったような活躍はできませんでしたが3勝と記憶にも記録にも残るピッチングを、今後の第二の人生で役立ててくれればと願います。

2007年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿
2012年通信簿


【オリオン村査定】 1億円 → 任意引退 ※9/29に引退表明

 

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14 コメント

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Unknown (Jun)
2013-12-21 07:51:57
同級生の選手が、これで姿を消しました。寂しいです.....。
オリオン村では失敗時の糾弾が厳しかった薮田ですが、調子が悪くても、打たれた翌日も、淡々と投げれる姿が素晴らしいと思ってました。
高めのストレートで空振りを取れるのは、見ててカッコイイですよね。
そして引退試合の、あの球を見て、ボロボロになるまで頑張ってたんだなぁと胸が熱くなりました。本当にお疲れ様でした。
能力はあるけれど、まだ若いブルペン陣に、ぜひ中継ぎのノウハウと心構えを伝授してあげて欲しいです。
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これからの薮田 (大垣のロッテファン)
2013-12-21 08:57:18
引退の時のスピーチが凄かったです。よくあれだけすらすらと、そして滑らかな文脈で、長きにわたってはなされたな、と感動しました。ああいう上手い演説、それも原稿なしに行えるということは、相当頭の回転がいい人でないとできないでしょう。テレビでやる青年の主張なども原稿をチラ見しながらするのですから、薮田のアナーザーサイドをしっかりと見せてもらった感じがします。昔の佐々木みたいにプロ野球ニュースとか、それに限らず、テレビで司会やタレントとして活躍するか、本なども書いてみてほdしいですね。
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藪田投手お疲れ様でした。 (柏マリン ロッテファン歴40年)
2013-12-21 09:14:27
1996年ドラフト2位での入団。当初は主に先発で起用されていましたがローテどころか一軍定着もできない中途半端な存在でした。
本人が引退セレモニーで語った通りボビー・バレンタインの勧めでリリーフに転身したことで転機が訪れました。チェンジアップをマスターしたのもその頃でしょうか?短いイニングを全力投球することで直球の球威が増して決め球のチェンジアップとの相乗効果で藤田と並ぶ中継ぎエースに成長。ロッテ暗黒時代脱却に大きく貢献してくれました。
まさかメジャーリーガーにまでなるとは・・・。順風満帆ではありませんでしたが充実した野球人生だったのではないでしょうか。お疲れ様でした。
今後進む道がわかりませんが、第二の人生での活躍も期待します。
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Unknown (JF)
2013-12-21 14:39:52
スポーツ報知の記事で、薮田へのインタビューが出ていました。
ttp://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/20131206-394685/news/20131215-OHT1T00027.htm

痛み自体は昨年5月頃からあって、無理して投げていたが、最終戦でフォアボールを4つ出してサヨナラ負けした試合はもはや限界だったということで、そこまで悪い状況だったことを初めて知りました。
最終盤は失速してCSすら望みが絶たれ、無理をさせる必要はなかったのに、何故若手にチャンスを与えないばかりか満身創痍の薮田に無理をさせたのか、当時の首脳陣は何をやっていたのかと言いたくなります。
それを表立って口にせず「一生懸命やった結果だから悔いはない」と薮田が言ってくれていることに救われる気がします。

先発で芽が出なかったところから配置転換で能力が最大限に引き出され、メジャーにも行き、帰ってきてからも驕ることなく黙々と仕事をしてくれたばかりか、2010年は日本一、2011年は抑えとしてキャリアハイともいえる成績を残してくれました。
またいつか指導者として戻ってきてほしいと強く願う選手の1人です。
今まで本当にありがとう、お疲れ様でした。
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薮田選手について (ひろくん)
2013-12-21 18:10:20
こんにちは。

薮田選手ですか。

本当にご苦労様でした。

またいつか指導者としてロッテに戻って来て欲しいですね。
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ありがとう藪田!! (ハマリーンズ)
2013-12-21 22:32:48
長きに渡り中継ぎ、抑えの職務を頑健にこなし続けた、その体力と精神力に心から敬意を表します。
誠に御苦労様でした!

身を以て酷使の辛さを痛感しているでしょうから、彼が指導者となればブルペン陣の環境も従来より改善されるかも知れませんね。

今は暫しご家族水入らずで、ゆったり過ごされん事を!

そしてまた、そう遠くない先にマリーンズでのユニフォーム姿を拝みたいものです。
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ご苦労様、ありがとう (王様 明)
2013-12-21 23:15:06
彼の一球入魂のピッチングは忘れません。どんだけマリスタで彼の躍動する姿を観ながら ここは抑えてくれ! と祈り、アウト一つとるたびに歓声をあげたことか…。 薮田らしいと言うか多くを語らずチームの為に酷使していたのは我々ファンは少しは感じていましたし、どこか心配もしていましたよね。 それだけ気迫こもったピッチングをしてました。 先発や中継ぎといろいろ試され試行錯誤しもがいていた男があんだけの直球を持っていたとは…。まさに宝の持ち腐れでしたよね、早く自分の武器を見つけていたらと思うともったいなく悔しいですが、遠回りしたからこその覚醒だったのでしょう。
速く指導者としてユニホームにもう一度袖をとおしてもらいたいものです。 記憶に残る選手だったと思います。ありがとうございました。
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お返事 (オリオン)
2013-12-22 00:47:43
>Junさん
あ~、お若いですね(笑)
藪田に限らず抑えたり打ったりすれば賞賛され、打たれたり打ち取られたりすれば非難をされる、なんてのはプロの世界ですから仕方がありません。
どうにもならなければ無関心、になりますので、最後まで注目をされ続けた藪田はやはり一流の投手だったのだと思います。
仰せのように引退試合でのピッチングを見ればこの一年の苦闘が分かりましたし、小野も引退を決めてホッとしたと言っていたように、暫しの休息をゆったりとしてくれればと思います。

>大垣のロッテファンさん
確かにあれだけの長い時間、ほとんど詰まることなく話しきりましたから凄いです。
何度も練習をして頭に叩き込んでいたのでしょうが、それでもああいった場で実践ができるのは本番に強い証拠でしょう。
だからこそ百戦錬磨な戦いを続けられたのだと思いますし、解説者としての再スタートのようですので千葉テレビなどでの解説を楽しみにしています。

>柏マリン ロッテファン歴40年さん
先発をしていたころの藪田からすれば、150キロ近いストレートなどはまるで別人のようです。
短いイニングだからこそ、というところもあるでしょうし、小林宏のピッチングを後ろから見て学んだ、なんて記事も目にしました。
その特性を見切ったバレンタイン元監督は、藪田にとってこれ以上にない恩人でしょう。
いつかは藪田が若手投手の恩人になれるよう、指導者として戻ってきてくれるのを楽しみにしています。

>JFさん
四球連発で負けた試合、ありましたね。
結果的にあれが一軍での最後の登板となり悔いが残ったでしょうが、やるだけのことはやったとの思いもあったかもしれません。
仰せのように無理に藪田を使わなければならない終盤戦でもありませんでしたし、全試合全勝のスタイルの犠牲者のような気もします。
ただ5月から痛みを感じていたのであればその時点で治療をすることで延命ができたのでは、とも思いますし、それが責任感だったと片付けたくはありません。
本人からすれば年齢的にここで治療をしても、との考えがあったのかもしれませんが、内もそうでしたし、周りが気がつけなかったのかと、いろいろなところでの苛立ちがあります。
今後にこういったことが繰り返されないことを願います。

>ひろくんさん
NPBではロッテ一筋でしたので、解説者として見聞を広めて指導者へのステップとしてくれればと思います。
まずは千葉テレビあたりでしょうか、倉持のライバルになってもらいましょう。

>ハマリーンズさん
自分たちがそうやってきたのだから、と無理強いをする投手コーチもいるようですが、きっと藪田はそうはならないと思います。
そのリハビリの苦しさが分かっているからこそ選手たちに同じ苦しみを与えない、そんな投手コーチになってくれればと。
まずは長年の疲れを癒してゆっくりとしつつ、解説者として実績を積んでいってくれることを期待します。

>王様 明さん
まさにちぎっては投げ、というスタイルは見ていて心地よかったです。
そのストレートに衰えが出始めたのが肩の故障が原因だったのであれば、燃え尽きたといったところでしょうか。
先発から中継ぎに転向をしてこれだけ開花をした藪田なのですから、同じように立場を変えることで開花する投手の発掘の手助けができるような、そんな指導者になって帰ってきて欲しいです。
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Unknown (パンテーラ)
2013-12-22 18:10:58
YFKの中で最も安定していたのが、Yの薮田だったのではないかなと思います。
2005年でも147km/hぐらいだったのが、2010年では150km/h連発などということもあり、
北斗の拳のトキのように、パワーがみなぎる経絡秘孔でも突いたんじゃないか、と不思議でしょうがなかったです。
もちろん今も謎のままです。
こういう投手もいるのだということをNPBの歴史として末永く語り継いで欲しいものです。

本当にご苦労様でした。
第2の人生は「剛球投手専用コーチ」として復活してくれればありがたいです。
ファンに夢を与えてくれてありがとうございました。
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私からもありがとう,藪田 (9ちゃく)
2013-12-22 21:29:20
黙して語らず,しかしながらその投球は雄弁に藪田という人間を語っていましたね。
メジャー挑戦のきっかけとなったであろうWBCでの投球は素晴らしかったです。
国際試合という大舞台でも自分の投球を100パーセント貫きましたよね。
本当にかっこよかったなぁ,藪田。
場所柄,我が家では千葉テレビが視聴できないので,ぜひTwellvでも解説をお願いしたいです。
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