オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
since 2007.4.16
写真など一切の転用、転載を禁止します

2016年通信簿 63 青松慶侑

2017-01-18 00:21:59 | 千葉ロッテ

 

63 青松慶侑 内野手 30歳 年俸690万円

【2016年成績】 E 115試合 342打数 48得点 95安打 打率.278 18二塁打 0三塁打 13本塁打 57打点 1盗塁 46四死球 104三振

二軍の帝王から抜け出せないままに、青松のプロ野球選手としての人生が終わりました。
今季も浦和ではチーム最多の115試合で13アーチとパワーを見せつけましたが一軍から呼ばれることなく、悔しいシーズンだったと思います。
出足早々の2月に左脇腹肉離れで三週間のリタイアが致命的で、青松のような立ち位置の選手には存在を忘れられても仕方がない状況がもったいなくもあります。
ライバルが多かっただけに来季に31歳という年齢が敬遠をされたかトライアウトでマルチヒットながらも声がかからず、第二の人生を頑張ってください。

やはりその守備位置、サードに挑戦で開幕四番サードながらも終わってみればファーストがその大半を占めましたので、井口に福浦、井上に細谷らがひしめき合っている中で抜け出すには力不足だった、が実際のところではあるでしょうが、もう少し辛抱があってもよかったのではないかと思わないでもありません。
打撃を活かしての野手コンバートで一軍で結果を残した時期もありましたが長い目では見てもらえず、そのコンバートが伊東監督の判断、指示だったことからして贔屓目の起用がなかったのはある意味で評価をすべきなのかもしれませんが、青松からすれば釈然としないところがあったようにも思います。
トライアウトでは捕手もできることをアピールしたのは鬱憤晴らしだったのかもしれず、ただ大砲を求めるチーム事情にしても守備位置の制約が大きかったのでしょう。
青松を上回る帝王ぶりの井上のそれを見れば明らか、その井上もサード挑戦と似たような軌跡を描いているわけで、なかなかに難しくもあります。
昨季にプロ初アーチを放ったのが思い出か、やや心配なところはありますが、また何かの機会で元気な姿を見てみたいです。

2007年通信簿 2012年通信簿
2008年通信簿 2013年通信簿
2009年通信簿 2014年通信簿
2010年通信簿 2015年通信簿
2011年通信簿


【オリオン村査定】 690万円 → 600万円 (▼13%) ※10/1に戦力外通告


にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ
一日一クリック応援をお願いします。

コメント (12)    この記事についてブログを書く
« 2016年通信簿 62 脇本直人 | トップ | 2016年通信簿 64 二木康太 »

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
青松選手について (ほのうみ)
2017-01-18 07:20:34
おはようございます。
青松選手、戦力外になってしまいましたね。
第二の人生、道を踏み外さぬ様にして頑張って欲しいです。
返信する
青松よ! (大垣のロッテファン)
2017-01-18 08:45:13
ん~青松贔屓の私としては、戦力外・引退は不満です。やはりもう一、二年待ってやるべきでしょう。

欠点は外角の攻め方にどう対応するか、とはっきりしているわけですから。せっかく解説の元ヤクルト宮本がデスパイネ並みの力強い打球を飛ばせる日本人選手と褒めてくれていたのですし。

どこも取らなかったのか~。もったいない!
返信する
何故〓。 (NO39かずくん)
2017-01-18 10:01:10
記憶があいまいですけど、上之宮高校ですね。ちょっと大柄な捕手。やっと一軍と思っていた。やはり怪我の影響ですか。浦和試合で審判に暴言して退場したこともあった。大松がヤクルトに入団したと聞きました。他の球団で頑張って欲しいね。
返信する
ふっ切れ方はスイング同様?! (とく)
2017-01-18 11:39:57
いや~どこも獲らなかったか。
トライアウトで快音響かせたと聞いたので、ロッテは早まったと思ったのですが。
それでも大松の様に、春のキャンプ来いという連絡を待たず引退を決め、12,000円のディナーショー?開催の告知があったけど、諦めがいいのか再就職への準備は万端だったのか腑に落ちない幕切れでした。
返信する
Unknown (ノア)
2017-01-18 16:53:37
青松選手、一昨年に本塁打を放った時は、これはブレイクするのでは…?という勢いだったんですけどね…
やはりその後が続かなかったのと、ファーストの多いチーム事情が痛かった。
第2の人生、頑張ってください。
返信する
遅かった。 (オブ)
2017-01-18 21:17:51
確か、入団当初当時の古賀二軍監督が「城島選手級の資質」と絶賛していましたね。長打力を評価していたのであれば、コンバートが遅かったですね。粗さもあり、競争が多いポジションだったとは思いますが、二軍では打撃成績を残していたため、首脳陣が彼を評価し、こだわって使う気があれば違ったのかもしれませんが、そこまで評価していなかったのでしょうね。やはり打線には長距離砲が必要で井上選手もそうですが、長距離打者は特に根気で我慢して使わないとなかなかものにするには難しいですよ。白黒つけるにはチャンスが少なく不完全燃焼ではなかったかと思い、残念です。
返信する
青松選手。 (さんぴん真田十勇士)
2017-01-18 21:41:42
にわかファンな私が、ファームの試合を観に行った際に…「おぉ。こんなに長いの打てる選手ウチにも居るやん。」と思うた青松選手でした。

長いのが打てても、一軍レベルのピッチャーを弾き返さなければアカンのですね。一軍レベルのピッチャーを弾き返す、一軍のレギュラー野手達とはやはりスゴいのですね。

イースタンのどこかのチームが声をかけるのでは…と思いましたが、結果無かったという事はプロのジャッジで、そういう事なんですね。

寂しくはありますが、次のステージでも頑張ってください。ありがとう青松選手。
返信する
青松の勲章 ()
2017-01-18 22:29:19
平成以降、推定年俸が1000万に届いたことが1度もなくて、12年間も現役生活を続けられた選手は他球団を見まわしても青松しか知りません。
これってすごいことですよね。
まぁ、そこにロッテの編成方針の弱みが見える気がしないでもないですが、何年にもわたり崖っぷちで生きてきた青松の頑張りをたたえたいです。
これは、金満球団や、そこと手を組み新陳代謝絶対主義を貫く鎌ヶ谷のファンでは味わえない感覚でしょうね。
数年前のいかにも「打ちます!」といった打席での雰囲気が記憶に残ります。
返信する
連投すみません ()
2017-01-18 23:12:01
「平成以降」を「この10年」と訂正したほうが無難、と鎌ヶ谷オヤジから連絡を受けたので、そのように訂正いたします。
返信する
お返事 (オリオン)
2017-01-23 00:19:33
>皆様
貴重な大砲候補でしたが、育てきれませんでした。
そう言えば一度も年俸が下がらなかった、と報じられていましたが、それで12年間で690万が最高・・・は夢を追う職業ではありますが厳しいものがあります。
それでいてたまに見るブログではハイソな雰囲気が、大丈夫かなぁ。
しかしこういったタイプの選手の芽が出ないのは寂しい、悲しい、同じことの繰り返しがないよう願うばかりです。
アオパイネ、デスパイネとともに去りぬ(涙)
返信する