電脳筆写『 心超臨界 』

限界も恐怖と同じでしばしば幻想なのである
( マイケル・ジョーダン )

生きるための杖ことば 《 仏法無辺――松原泰道 》

2024-08-27 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「仏法」は釈尊のさとられた法(ほう=真理)であるとともに、釈尊の説かれる法(おしえ)でもある。仏法は釈尊のさとりの内容そのものである。この法を実践するのが仏道の実践だ。仏道を修めることによって煩悩は整頓されて、誰もが心中に秘められている仏心(純粋な人間性)に目覚めることができるのだ。法も道も一つである。


◆仏法無辺(ぶっぽうむへん)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p102 )

私は、前後16日間あまりの短期間だが中国の旅をしたことがある。30人の人を連れて仏教の祖師にゆかりのある聖蹟を巡礼する旅であった。

さすがは古い文字の国である。各所ですばらしい銘句が刻まれた扁額(へんがく)に出合い、幾たび足を止め見上げ合掌したことであろうか。ここに紹介する「仏法無辺」も天台山の仏塔で礼拝したときに学んだ語句である。

仏教思想では、仏道の修行者が発(おこ)す広大な誓いが四つあると教える。それを〈四弘誓願(しくせいがん=しぐせいがん、とも)〉という。すなわち「あらゆる生きものを度(すく)おう、すべての煩悩を整えよう、限りなきほとけの法(おしえ)を学び尽くそう、無上の仏道をさとろう」との願いである。以上の四弘誓願の二十八字を「仏法無辺」のわずか四字に表現した古人の道力(どうりき=仏道を修行することにより、自然に身に具わる力量)の深さに思わず掌を合わさずにはおれない。

「仏法」は釈尊のさとられた法(ほう=真理)であるとともに、釈尊の説かれる法(おしえ)でもある。仏法は釈尊のさとりの内容そのものである。この法を実践するのが仏道の実践だ。仏道を修めることによって煩悩は整頓されて、誰もが心中に秘められている仏心(純粋な人間性)に目覚めることができるのだ。法も道も一つである。

「無辺(むへん)」は無辺際(むへんざい=はてしのないこと・限りのないこと)である。迷える人も数限りない、煩悩も尽きることがない。ゆえに、衆生を度(すく)おうというほとけの慈悲もまた量り知れないほど深い、法(おしえ)も学べば学ぶほど限りがない、仏道も歩んでも歩んでも極(きわ)まりがない。この真実を「仏法無辺」と、さらりと示されてある。

法華経研究の権威者で、日蓮宗に僧籍を持つ本田義英(ほんだぎえい)博士(1953年没)は、法門の無量・無辺・無尽を格調高くうたわれた――。

み法(のり)はつきざるものなれば これを知りえんわが誓い 尽くるはゆめもなからじな
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