電脳筆写『 心超臨界 』

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( ジョン・ロック )

読む年表 明治~戦後 《 通州事件――渡部昇一 》

2024-09-11 | 04-歴史・文化・社会
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冀東防共自治政府は親日的とされていたが、要するに反日側に寝返って、誤爆事件以前から虐殺を行う気でいたのである。近年出版された中国側資料によると、彼らの保安隊員は口実を作って、日本人居留民らを通州城内に集合させ、そののち城門を閉めて虐殺を行ったらしい。進歩的な歴史家や知識人たちは、日本人でありながらこのような事実を故意に隠して、日本がシナを一方的に攻撃していたと言いつづけているのである。


◆通州事件

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p236 )

1937(昭和12年)
通州事件
シナ人による日本人虐殺を歴史から抹殺しようとする“進歩的”知識人たち

盧溝橋事件から約3週間後の昭和12年7月29日、北京の東方にあった通州で、シナ人の保安隊(冀東(きとう)防共自治政府軍)による大規模な日本人虐殺事件が起こった。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数のコリア人も含む)の2百数十名であり、中国兵は婦女子に至るまで、およそ人間とは思えぬような方法で日本人を惨殺した。これが、シナ事変が日本の一方的な“侵略”ではないことを示す、最も象徴的な「通州事件」である。

この通州事件については、戦後ほとんど語られなくなった。岩波書店の浩瀚(こうかん)な『近代日本総合年表』(3版・1991年)には7月28日まであって、事件のあった29日から8月9日までは空白である。このように、現代のほとんどの本には通州事件のことは載っていないし、あったとしても事件の本質を歪めて書いている。なぜなら、この事件のことを言い出すと、「中国は善玉、日本は悪玉」という構図が崩壊してしまうからである。

東京裁判において通州事件についての論議が却下されたのも同じ理由からである。事件の目撃者3人の宣誓口供書(せんせいこうきょうしょ)だけは受理されたが、その内容は酸鼻を極めた残虐なものであって、とても人間のやることとは思えない。現地の日本軍兵士のみならず、国民の怒りは頂点に達した。もしアメリカ人市民がこんな殺され方をされたら、アメリカがどんな行動を起こすか想像してみたらよい。当時の日本人の反シナ感情は、この事件を抜きにして理解することはできない。

東京裁判で通州事件のことが話題になったとき、これを不利な材料と見た人たちは「あの事件は、そもそも日本軍が通州の保安隊施設を誤爆したからだ」と言い立てた。たしかに、虐殺事件の直前に誤爆事件があったのは事実である。

当時のシナ大陸は国民政府のほか、各地に自治政府が乱立して、非常に複雑な事態になっていた。そのため、関東軍の爆撃機が、国民政府軍の兵営を爆撃するつもりで、その隣にあった通州の冀東(きとう)防共自治政府保安部隊の施設を誤爆したのだ。この結果、数名の保安部隊が死亡した。だが、この事件は、ただちに関東軍の責任者が冀東政府を訪問して陳謝したので、一件落着となった。遺族のところにも足を運んでいる。事後処理に手落ちはない。では、なぜ日本人居留民が襲われたのか。

冀東防共自治政府は親日的とされていたが、要するに反日側に寝返って、誤爆事件以前から虐殺を行う気でいたのである。近年出版された中国側資料によると、彼らの保安隊員は口実を作って、日本人居留民らを通州城内に集合させ、そののち城門を閉めて虐殺を行ったらしい。

進歩的な歴史家や知識人たちは、日本人でありながらこのような事実を故意に隠して、日本がシナを一方的に攻撃していたと言いつづけているのである。
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