電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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食物の本当の味は淡白にある。飽きることがない。茶の風味は淡白にある。それは閑寂にある。「淡交」とは、淡きこと水のごとき執着なき交わりをいう。
◆淡若水
淡(あわ)きこと水(みず)のごとし――荘子
『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p54 )
紀元前4世紀ごろの中国の大思想家、荘子の思想集といわれる本人同名の「荘子」外篇に、子桑こ(しそうこ、「こ」の漢字は「雨」カンムリの下に「乎」)という哲学者が、孔子に次のように教えたとの記述がある。
「君子の交わりは淡きこと水の若(ごと)く、小人の交わりは甘くして醴(れい)の若し。君子は淡くして以って親しみ、小人は甘くして以って絶つ。彼(か)の故(ゆえ)無くして以って合う者は、則(すなわ)ち故無くして以って離る」と。
孔子曰く、「敬(つつし)みて命(めい)を聞けり」と。徐行翔佯(しょうよう)して帰り、学を絶ち書を捐(す)つ。弟子(ていし)、前に挹(ゆう)すること無く、其の愛は益々進むを加えた。
「君子(徳行の具わった人)の交わりは淡々として水のようであるが、小人(徳行の欠けた人)の交際は、醴(甘酒)に似て、ねちねちしている。君子のつきあいは、あっさりしているから、いつまでも親しさを保つ。ところが小人同士の関係は甘いから、すぐ切れてしまう。深い理由もなく結びついた交わりは、またこれという理由もなく離れてしまうものだ」。これを聞いた孔子は、学問や読書をぷつりとやめた。彼の弟子たちの孔子に対する敬礼は、以前ほど丁寧ではなくなったが、師弟の愛情はいよいよ深まるばかりであった――。
また『礼記』(紀元前2世紀から紀元2世紀にいたる中国の周代から漢代にわたる儒者の古礼に関する説話集)にも、「君子の交わりは、淡きこと水の如し」とあり、君子が人に交わるのは淡白で交際が永続するのを水にたとえている。さらに『菜根譚(さいこんたん)』(儒教を根幹に、老荘・禅思想を交えた処世哲学書)にも、「真味は只だ是れ淡なり」と見える。
食物の本当の味は淡白にある。飽きることがない。
茶の風味は淡白にある。それは閑寂にある。「淡交」とは、淡きこと水のごとき執着なき交わりをいう。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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食物の本当の味は淡白にある。飽きることがない。茶の風味は淡白にある。それは閑寂にある。「淡交」とは、淡きこと水のごとき執着なき交わりをいう。
◆淡若水
淡(あわ)きこと水(みず)のごとし――荘子
『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p54 )
紀元前4世紀ごろの中国の大思想家、荘子の思想集といわれる本人同名の「荘子」外篇に、子桑こ(しそうこ、「こ」の漢字は「雨」カンムリの下に「乎」)という哲学者が、孔子に次のように教えたとの記述がある。
「君子の交わりは淡きこと水の若(ごと)く、小人の交わりは甘くして醴(れい)の若し。君子は淡くして以って親しみ、小人は甘くして以って絶つ。彼(か)の故(ゆえ)無くして以って合う者は、則(すなわ)ち故無くして以って離る」と。
孔子曰く、「敬(つつし)みて命(めい)を聞けり」と。徐行翔佯(しょうよう)して帰り、学を絶ち書を捐(す)つ。弟子(ていし)、前に挹(ゆう)すること無く、其の愛は益々進むを加えた。
「君子(徳行の具わった人)の交わりは淡々として水のようであるが、小人(徳行の欠けた人)の交際は、醴(甘酒)に似て、ねちねちしている。君子のつきあいは、あっさりしているから、いつまでも親しさを保つ。ところが小人同士の関係は甘いから、すぐ切れてしまう。深い理由もなく結びついた交わりは、またこれという理由もなく離れてしまうものだ」。これを聞いた孔子は、学問や読書をぷつりとやめた。彼の弟子たちの孔子に対する敬礼は、以前ほど丁寧ではなくなったが、師弟の愛情はいよいよ深まるばかりであった――。
また『礼記』(紀元前2世紀から紀元2世紀にいたる中国の周代から漢代にわたる儒者の古礼に関する説話集)にも、「君子の交わりは、淡きこと水の如し」とあり、君子が人に交わるのは淡白で交際が永続するのを水にたとえている。さらに『菜根譚(さいこんたん)』(儒教を根幹に、老荘・禅思想を交えた処世哲学書)にも、「真味は只だ是れ淡なり」と見える。
食物の本当の味は淡白にある。飽きることがない。
茶の風味は淡白にある。それは閑寂にある。「淡交」とは、淡きこと水のごとき執着なき交わりをいう。