電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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社会党左派をさえ抱きこんで首相にかつぎ上げた当時の自民党執行部は、国際社会のリアリズムに完全に背を向け、自己満足的「国家内国家」をつくり上げて、非現実的唯我独尊に遊んだ点において、上九一式村の第七サティアンに立て籠った連中と、まさに時代の空気を共有していたといってよいのではなかろうか。
◆「第二占領期」に入った日本
『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p196 )
第4章 日本人よ、知的に翻弄されるな
1 「第二占領期」に入った日本
冷戦構造が解体した1990年頃から、緊張のゆるみとともに、世界には巨大事件が相次いだ。ドイツ統一、ソ連消滅、湾岸戦争、ユーゴの内乱――いずれも主舞台は東アジアからははるか遠くへだたっていた。
いつものように東アジアには変化は一番最後に訪れる。だから日本には変化への十分な準備期間があったはずだが、いまだ用意はまるきり出来ていない。少しずつ、局面の転換が迫りつつある。
冷戦構造の解体は、日本の場合には、国内に二つの異常事態を生んだだけだ。見境のない自社野合政権の出現とオウム事件である。どちらも冷戦のしめつけが去った気のゆるみから生じた痴呆症状である。
通例なら、冷戦の枠組みが消えたときに、さあ大変だ、日本は自分以外にもう頼れるものはないぞ、という緊張感が高まるのが正常な心の働きであると思うのだが、残念ながらわが国の場合にはまったくそうはならなかった。反対に、のほほんと呑気に、心たのしく気がゆるんで、前代未聞の前記二つの無警戒自由幻想心理を生んだ。
社会党左派をさえ抱きこんで首相にかつぎ上げた当時の自民党執行部は、国際社会のリアリズムに完全に背を向け、自己満足的「国家内国家」をつくり上げて、非現実的唯我独尊に遊んだ点において、上九一式村の第七サティアンに立て籠った連中と、まさに時代の空気を共有していたといってよいのではなかろうか。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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社会党左派をさえ抱きこんで首相にかつぎ上げた当時の自民党執行部は、国際社会のリアリズムに完全に背を向け、自己満足的「国家内国家」をつくり上げて、非現実的唯我独尊に遊んだ点において、上九一式村の第七サティアンに立て籠った連中と、まさに時代の空気を共有していたといってよいのではなかろうか。
◆「第二占領期」に入った日本
『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p196 )
第4章 日本人よ、知的に翻弄されるな
1 「第二占領期」に入った日本
冷戦構造が解体した1990年頃から、緊張のゆるみとともに、世界には巨大事件が相次いだ。ドイツ統一、ソ連消滅、湾岸戦争、ユーゴの内乱――いずれも主舞台は東アジアからははるか遠くへだたっていた。
いつものように東アジアには変化は一番最後に訪れる。だから日本には変化への十分な準備期間があったはずだが、いまだ用意はまるきり出来ていない。少しずつ、局面の転換が迫りつつある。
冷戦構造の解体は、日本の場合には、国内に二つの異常事態を生んだだけだ。見境のない自社野合政権の出現とオウム事件である。どちらも冷戦のしめつけが去った気のゆるみから生じた痴呆症状である。
通例なら、冷戦の枠組みが消えたときに、さあ大変だ、日本は自分以外にもう頼れるものはないぞ、という緊張感が高まるのが正常な心の働きであると思うのだが、残念ながらわが国の場合にはまったくそうはならなかった。反対に、のほほんと呑気に、心たのしく気がゆるんで、前代未聞の前記二つの無警戒自由幻想心理を生んだ。
社会党左派をさえ抱きこんで首相にかつぎ上げた当時の自民党執行部は、国際社会のリアリズムに完全に背を向け、自己満足的「国家内国家」をつくり上げて、非現実的唯我独尊に遊んだ点において、上九一式村の第七サティアンに立て籠った連中と、まさに時代の空気を共有していたといってよいのではなかろうか。