電脳筆写『 心超臨界 』

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( 中国のことわざ )

日本史 古代編 《 世界最古の国歌『君が代』――渡部昇一 》

2024-04-26 | 04-歴史・文化・社会
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私は『君が代』はハイドンの曲からとったドイツ国歌とともに、東西の双璧をなす立派なものだと思っているので、これが公式に廃止されず、近ごろではむしろ若者の間などでも支持する人が増えてきていると聞いてうれしく思っている。事実、あの壱越調(いちこっちょう)旋律による雅楽ふうの調べは、フランス革命の進軍歌なんかよりは、国歌としてふさわしい気がする。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p195 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(4) 「カミ」と「ホトケ」の共存共栄

◆世界最古の国歌『君が代』

天平20年(748)9月27日付の正倉院文書に琵琶(びわ)の楽譜が残っていることに関連して、日本の雅楽(ががく)についても一言しておいてもよいであろう。

雅楽(舞も考えれば舞楽(ぶがく))には、日本古来のもののほか、8世紀ごろの朝鮮、満州、シナ、インドから渡来したものがあって、東洋古代音楽の集大成の観がある。これらの古い舞楽は、大陸においては、すでにあとかたもなく消えてしまったものが多い(そのもとの民族自体がどうなってしまったかわからないものが多いのだから当然)。この点、正倉院を世界的有形文化財とすれば、雅楽のほうは世界的無形文化財である。

アメリカにいたころ、同じ交換教授で台湾から来た老学者と親しく付き合っていたことがある。この人が私のアパートに何日か滞在している間、いろいろ漢詩の話をし、その教えを受けた。

そのときのことで記憶に残っているのは、王維(おうい)の『輞川集(もうせんしゅう)』が話題になったときのことである。

そこで、『竹里館(ちくりかん)』と題する五言絶句の、

  独坐幽篁裏  独(ヒト)リ幽篁(ユウコウ)ノ裏(ウチ)ニ坐(ザ)シ
  弾琴復長嘯  琴(キン)ヲ弾(ダン)ジテ マタ長嘯(チョウショウ)ス

という2行が問題になった。

これは漱石の『草枕』にも出てくる有名なものであるが、そのシナ文学専門のシナ人学者は「長嘯」がわからないと言うのである。

「吟じ方はあったろうが、それがどんなものであったか、今では見当もつかない」

とのことであった。

作者の王維は唐の詩人で、ほぼ天平時代の人であるが、唐の音楽のことは、今になっては、皆目、見当のつけようがないということであろう。

しかし日本でなら、多少の見当はつくのである。天平時代の楽譜は林謙三(はやしけんぞう)、平出久雄(ひらいでひさお)氏によって近年解読されたし、近衛家に現在も伝わっている承和(じょうわ)9年(842)に写された五弦琵琶譜(これは写したものであるから、もとのものはもっと古い)も昭和15年に解読されたから、「長嘯」の見当も少しはつくであろう。

古代ギリシャ文化の研究のためならアテネ大学に行くより、ドイツやイギリスに行ったほうがよいと言われるが、それほど極端でないにせよ、古いことになると、日本のほうがよっぽどシナの古いことがわかる場合が少なくない。

特に雅樂寮(うたりょう)は、天平時代にもすでに存在していた。朗詠や神楽(かぐら)譜もあり、特に神楽のほうは白河(しらかわ)天皇(第72代)の御代からは、毎年行われており、その後約900年間、一度もその伝統が絶えたことはなく、今では宮中の年中行事でも、最も重要なものの一つとされている。

そして現代の日本の国歌『君が代』の旋律は、宮内省の雅楽家林広守(はやしひろもり)の作曲になるものであるから、明らかに現存する世界最古の音楽の伝統を引いているものである。

音楽まで1000年以前もの伝統をとどめているというのは、西洋ではグレゴリアン以外には例がないであろうが、これは言うまでもなくカトリック教会のものである。つまり伝統保持ということになると、日本国民はカトリック教会のごとき力を示す国民であるといえよう。

ついでながら戦後に、「『君が代』は荘重すぎて大衆が歌うには適しない」などの理由のために進歩的な論者たちから廃止論が出たことがあるし、いまでもけっして子どもには歌わせないなどと言う小学校の先生も少なからずいる。

しかし私は『君が代』はハイドンの曲からとったドイツ国歌とともに、東西の双璧をなす立派なものだと思っているので、これが公式に廃止されず、近ごろではむしろ若者の間などでも支持する人が増えてきていると聞いてうれしく思っている。事実、あの壱越調(いちこっちょう)旋律による雅楽ふうの調べは、フランス革命の進軍歌なんかよりは、国歌としてふさわしい気がする。もっとも、毎晩12時にテレビで流すのは、濫用のように思われるのであるが。

ついでに、『君が代』の歌詞について言えば、これは原型は『古今集』(905年)にあり、今と同じ形は『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』(1013年)に見えるから、近代国歌の歌詞としては、断然、世界最古のものである。
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