20年に及ぶブログ活動の集大成 → ★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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われわれ日本民族は昭和20(1945)年に、三つの原爆投下を体験しているといったら、みなさんはどう思われるだろうか。原爆は広島、長崎の二回ではないかと不思議に思われる方がほとんどだろう。
◆火の原爆・氷の原爆・心の原爆
『第四の国難』
( 前野徹、扶桑社 (2001/05)、p144 )
われわれ日本民族は昭和20(1945)年に、三つの原爆投下を体験しているといったら、みなさんはどう思われるだろうか。原爆は広島、長崎の二回ではないかと不思議に思われる方がほとんどだろう。
しかし、この原爆投下にまさる原爆級の甚大な被害と後遺症をもたらしたものがあと二つ存在している。ひとつはこれまで述べてきたシベリア抑留。アメリカの行った原爆投下が「火の原爆」とすれば、シベリア抑留は「氷の原爆」である。
前述したアルハンゲリスキー氏の『プリンス近衛殺人事件』の原題は、『シベリアの「原爆」』で、氏はあえて次のようなスターリンとベリヤ(ソ連内務人民委員部)とのやり取りを想定して、スターリンにこういわしめている。
「『ヒロシマで死んだのは18万人くらいでしょうか』と答えたベリヤに、スターリンは書類に視線を落として言った。『ここにはヒロシマ二つ分より多いとある。つまり、同志ベリヤ、われわれはシベリアの日本人に少なくとも原爆二つを落としたことになる』」
正確には、8月6日のヒロシマ原爆による即死者は約7万人、その後、原爆症で亡くなった人を合わせると、ナガサキ原爆も含めて、原爆死没者は総数29万5千956人にも及ぶ。確定しているだけでも火の原爆以上の37万人あまりの日本人の生命を奪ったシベリア抑留はまさに「氷の原爆」である。
しかも、広島・長崎原爆の死者はどんな形にせよ、慰霊碑の建立などにより弔われているが、氷の原爆の被害者の魂は、今も凍(い)てつくシベリアの地を彷徨(さまよ)い続けている。ソ連の犯した罪はあまりにも重い。
では、日本人が投下されたもうひとつの原爆とは何か。実は、後遺症という点では、三つ目の原爆のほうがはるかに被害が大きいといってもいい。東京裁判である。
東京裁判でただひとり日本無罪論を展開したインド代表のラダ・ビノード・パール判事は、かつて訪日した折、日本人の原爆に対する態度を見て、「東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原爆の被害よりも甚大(じんだい)だ」と嘆かれた。
日本の行く末を心配しながらパール博士がお亡くなりになって、はや34年が経つ。その間、東京裁判病が治癒するどころか、猛威を振るった。そして、現在、自虐史観は日本人の価値観にすらなっている。あの世のパール博士は、今、どんなお気持ちで朽ち行く日本をご覧になっていらっしゃるのだろうか。
火の原爆、氷の原爆、心の原爆……三つの原爆投下を一度に体験した日本人は不思議な民族である。そして、まだどの原爆の傷も癒(い)えてはいない。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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われわれ日本民族は昭和20(1945)年に、三つの原爆投下を体験しているといったら、みなさんはどう思われるだろうか。原爆は広島、長崎の二回ではないかと不思議に思われる方がほとんどだろう。
◆火の原爆・氷の原爆・心の原爆
『第四の国難』
( 前野徹、扶桑社 (2001/05)、p144 )
われわれ日本民族は昭和20(1945)年に、三つの原爆投下を体験しているといったら、みなさんはどう思われるだろうか。原爆は広島、長崎の二回ではないかと不思議に思われる方がほとんどだろう。
しかし、この原爆投下にまさる原爆級の甚大な被害と後遺症をもたらしたものがあと二つ存在している。ひとつはこれまで述べてきたシベリア抑留。アメリカの行った原爆投下が「火の原爆」とすれば、シベリア抑留は「氷の原爆」である。
前述したアルハンゲリスキー氏の『プリンス近衛殺人事件』の原題は、『シベリアの「原爆」』で、氏はあえて次のようなスターリンとベリヤ(ソ連内務人民委員部)とのやり取りを想定して、スターリンにこういわしめている。
「『ヒロシマで死んだのは18万人くらいでしょうか』と答えたベリヤに、スターリンは書類に視線を落として言った。『ここにはヒロシマ二つ分より多いとある。つまり、同志ベリヤ、われわれはシベリアの日本人に少なくとも原爆二つを落としたことになる』」
正確には、8月6日のヒロシマ原爆による即死者は約7万人、その後、原爆症で亡くなった人を合わせると、ナガサキ原爆も含めて、原爆死没者は総数29万5千956人にも及ぶ。確定しているだけでも火の原爆以上の37万人あまりの日本人の生命を奪ったシベリア抑留はまさに「氷の原爆」である。
しかも、広島・長崎原爆の死者はどんな形にせよ、慰霊碑の建立などにより弔われているが、氷の原爆の被害者の魂は、今も凍(い)てつくシベリアの地を彷徨(さまよ)い続けている。ソ連の犯した罪はあまりにも重い。
では、日本人が投下されたもうひとつの原爆とは何か。実は、後遺症という点では、三つ目の原爆のほうがはるかに被害が大きいといってもいい。東京裁判である。
東京裁判でただひとり日本無罪論を展開したインド代表のラダ・ビノード・パール判事は、かつて訪日した折、日本人の原爆に対する態度を見て、「東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原爆の被害よりも甚大(じんだい)だ」と嘆かれた。
日本の行く末を心配しながらパール博士がお亡くなりになって、はや34年が経つ。その間、東京裁判病が治癒するどころか、猛威を振るった。そして、現在、自虐史観は日本人の価値観にすらなっている。あの世のパール博士は、今、どんなお気持ちで朽ち行く日本をご覧になっていらっしゃるのだろうか。
火の原爆、氷の原爆、心の原爆……三つの原爆投下を一度に体験した日本人は不思議な民族である。そして、まだどの原爆の傷も癒(い)えてはいない。