電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆詩人を支えた家族
〈対談〉石川洋&西澤真美子
「国境のない鳥になる――父・坂村真民が希求したもの」
(『致知』 2007年4月号 )
【西澤】 私たち姉妹は母から文句の一つも言われたことがありません。父のこと、子どものことを含めて皆を受け入れる広い心の持ち主でしたね。
【石川】 私が真民先生はこういう見方をされるのかと思ったのは、ある時先生が「私は孔子が好きだ。孔子は奥さんを大事にしたからな」と、こうおっしゃするんです。『論語』のどこに出てくるか分かりませんが、先生の直感でしょうね。
何でもないような言葉だけれども、私がきょうこうして真美子さんの前で感謝申し上げたいのは、家族の愛情があったからこそ先生が詩人として一道を貫くことができたということです。
【西澤】 ありがとうございます。
【石川】 ところで、真美子さんと最初にお会いしたのは昭和45年、京都の鷹峯(たかがみね)に「念ずれば花ひらく」の一番目の碑ができた時でしたね。
【西澤】 大学に通っていた頃でしたから21歳の時だったとおもいます。
【石川】そうそう。奈良女子大学に通っていらしたんですね。なにしろ優秀な学校ですからすごい秀才だなと思って「国文を習っていらっしゃるんですか」とお尋ねしたら「いえ、私は被服科です。私は父のように文才はありませんから」と。
後から御礼のお手紙をいただいたのですが、そこには「私は父のように才能のある人間ではありませんけれども、母親が父親のために縫い物をしている姿を見ていたら、いつの間にか母のようになりたいと思って被服科を選んでいた」と書いてありまして、私は感動したんです。
姉妹皆さんそうでしょうけれども、真美子さんもまた「念ずれば花ひらく」という言葉はまさに真言だなという感じをうけました。ご自身の口から少しお母さんの話をしていただけませんか。
【西澤】 母は自分のことは後回し、後回しにする人でした。貧乏でお金がなくて私たちの服は母が縫ってくれていました。私は末っ子のせいもあって母の横に座っているうちに見様見真似(まね)で縫い物、編み物を覚えるようになったんです。
でも母自身がちゃんとした服を持っていないんですね。だから私は母にスーツを着せてあげたいと思いました。既製服などない時代でしたし、スーツをつくろうと思ったらしっかりとした縫い物の基礎がないと芯(しん)の入った服はできない。それで被服科に通って勉強し、母の服をたくさん縫ってあげました。生地を手に入れるために母と一緒に買い物に行きましたし、いま振り返っても、そういう時間がいっぱい持てたのは幸せだったと思います。
【石川】 お母さん、お生まれはどちらですか。
【西澤】 父と一緒で熊本です。母の父母は早くなくなりましたので、年の離れた長男の元でずっと育ったのです。いろいろ苦労もあったでしょうが、愚痴を聞いたことは一度もありません。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆詩人を支えた家族
〈対談〉石川洋&西澤真美子
「国境のない鳥になる――父・坂村真民が希求したもの」
(『致知』 2007年4月号 )
【西澤】 私たち姉妹は母から文句の一つも言われたことがありません。父のこと、子どものことを含めて皆を受け入れる広い心の持ち主でしたね。
【石川】 私が真民先生はこういう見方をされるのかと思ったのは、ある時先生が「私は孔子が好きだ。孔子は奥さんを大事にしたからな」と、こうおっしゃするんです。『論語』のどこに出てくるか分かりませんが、先生の直感でしょうね。
何でもないような言葉だけれども、私がきょうこうして真美子さんの前で感謝申し上げたいのは、家族の愛情があったからこそ先生が詩人として一道を貫くことができたということです。
【西澤】 ありがとうございます。
【石川】 ところで、真美子さんと最初にお会いしたのは昭和45年、京都の鷹峯(たかがみね)に「念ずれば花ひらく」の一番目の碑ができた時でしたね。
【西澤】 大学に通っていた頃でしたから21歳の時だったとおもいます。
【石川】そうそう。奈良女子大学に通っていらしたんですね。なにしろ優秀な学校ですからすごい秀才だなと思って「国文を習っていらっしゃるんですか」とお尋ねしたら「いえ、私は被服科です。私は父のように文才はありませんから」と。
後から御礼のお手紙をいただいたのですが、そこには「私は父のように才能のある人間ではありませんけれども、母親が父親のために縫い物をしている姿を見ていたら、いつの間にか母のようになりたいと思って被服科を選んでいた」と書いてありまして、私は感動したんです。
姉妹皆さんそうでしょうけれども、真美子さんもまた「念ずれば花ひらく」という言葉はまさに真言だなという感じをうけました。ご自身の口から少しお母さんの話をしていただけませんか。
【西澤】 母は自分のことは後回し、後回しにする人でした。貧乏でお金がなくて私たちの服は母が縫ってくれていました。私は末っ子のせいもあって母の横に座っているうちに見様見真似(まね)で縫い物、編み物を覚えるようになったんです。
でも母自身がちゃんとした服を持っていないんですね。だから私は母にスーツを着せてあげたいと思いました。既製服などない時代でしたし、スーツをつくろうと思ったらしっかりとした縫い物の基礎がないと芯(しん)の入った服はできない。それで被服科に通って勉強し、母の服をたくさん縫ってあげました。生地を手に入れるために母と一緒に買い物に行きましたし、いま振り返っても、そういう時間がいっぱい持てたのは幸せだったと思います。
【石川】 お母さん、お生まれはどちらですか。
【西澤】 父と一緒で熊本です。母の父母は早くなくなりましたので、年の離れた長男の元でずっと育ったのです。いろいろ苦労もあったでしょうが、愚痴を聞いたことは一度もありません。