電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意して決めた解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

般若心経 《 かつての苦行仲間に法を説く釈尊——松原泰道 》

2024-08-01 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


人間の徳は学んで得られるものではありません。仏道に限らず、それぞれの道にいそしんでいくと、いつとはなしに、その人の身体の中から滲(にじ)み出てくるようです。五人の友は釈尊の徳風になびいて、すなおに教えを乞います。そこで、釈尊は最初の説法、すなわち処女説法をします。それを「初転法輪(しょてんぼうりん)(法を車輪にたとえて、はじめて法の輪を活動する意)」といいますが、釈尊が第一に自分に背いた友人たちに説法したという事実は、興味深いではありませんか。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p250 )
7章 無明(むみょう)――人間の苦悩はどこから生じるか
(2) 四諦(したい)・八正道の智慧
無苦集滅道 無智亦無得
むくしゅうめつどう むちやくむとく

◆かつての苦行仲間に法を説く釈尊

さて、さとりを開いて縁起の真理を体得したシッダッタは、その真理を人々に伝え、しあわせにしたいとの願いを起こします。このことこそ今日までの苦しい修業を支えてくれた、すべての縁に対する報恩に外(ほか)ならないからです。そのとき釈尊の頭に真っ先に浮かんだのが、かつての五人の友です。彼らがシッダッタを堕落者と見限って、別行動を取ったことは前に記しました。

釈尊は、この五人の友に教えを伝えようとしますが、所在がわかりません。しかしようやく、ブッダガヤから250キロほど離れた鹿野苑(ろくやおん)(現・ベナレス市サールナート)で苦行中であることを確かめ、釈尊は、十日あまりを歩きづめに歩いて到達します。

五人の友は、釈尊の姿をはるかに見て「彼に会っても、友情を示さず冷淡に振る舞おう」とたがいに約したのですが、実際に彼らの前に釈尊が近づいたとき、彼らの約束は無力で、五人とも気がついてみたら立ち上がって、釈尊に礼拝していたのです。

イソップ物語で、暖かい太陽の光が、旅人の着ているオーバーを自然に脱がせる話があるのと同様に、徳のある人のまなざしに出会うと、心のしこりがいつの間にか解(と)けてゆくのです。

人間の徳は学んで得られるものではありません。仏道に限らず、それぞれの道にいそしんでいくと、いつとはなしに、その人の身体の中から滲(にじ)み出てくるようです。

五人の友は釈尊の徳風になびいて、すなおに教えを乞います。そこで、釈尊は最初の説法、すなわち処女説法をします。それを「初転法輪(しょてんぼうりん)(法を車輪にたとえて、はじめて法の輪を活動する意)」といいますが、釈尊が第一に自分に背いた友人たちに説法したという事実は、興味深いではありませんか。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生きるための杖ことば 《 無... | トップ | セレンディビティの予感 《 ... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事