電脳筆写『 心超臨界 』

人間の行動はその人の考えを表す最高の解説者
( ジョン・ロック )

不都合な真実 《 多文化共生という国家分断化作戦——馬淵睦夫 》

2024-08-21 | 04-歴史・文化・社会
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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多文化共生は幻想なのかと言いますと、そうではありません。多文化共生を実現する場の問題です。本来の多文化共生とは文化共同体である国家の間で実現することが可能なのです。これこそ、トランプ大統領のいう「アメリカ・ファースト、各国ファースト」、つまり各主権国家が各々の特性を発揮して世界という屋根の下で共存することであり、まさしく「八紘一宇」の世界観なのです。各々の家があってこそ、その集合である国家という家が存在することが可能となり、国家という家があってこそ国家間の相互協力が可能になるというわけです。


◆多文化共生という国家分断化作戦

『知ってはいけない現代史の正体』
( 馬淵睦夫、SBクリエイティブ (2019/5/1)、p218 )

いわゆる移民受け入れの問題点については既に本文で指摘したところですが、本書を閉じるに当たり比較的楽観的に議論されている「多文化共生」の矛盾について考えたいと思います。昨今メディアなどで移民の増加に備えるために私たち自身が寛容な精神を培い、多文化共生社会にならなければならないと、保守系の知識人すら主張していることに驚きを禁じ得ません。私が世界各国で目撃した実態は、多文化共生社会を実現している国は皆無だからです。

例えば、1990年代初期の頃の経験ですが、ベルギーの首都ブリュッセルにおいては、イラン移民が多く住む地区は治安が悪く地元住民が近づかないため、他の地区から孤立していました。またベルギーやイスラエルに出稼ぎに来ていたフィリピン人たちは集団で生活して地元住民とのコンタクトは見られませんでした。地元住民側も、彼らと交わろうとはしていませんでした。彼らを使用する仕事の場における必要最小限の関わりだけでした。

今日、アメリカにおける不法移民対策の厳格化、EU諸国での移民による暴行事件の多発や移民受け入れに否定的な政党の躍進、最近ニュージーランドで発生したイスラム教モスクに対する銃乱射事件など、移民と住民との間の対立が深まっているのが現状です。

それは何故なのでしょうか。私たちは多文化共生が望ましいことだと知らず知らずのうちに思い込まされていますが、ここに落とし穴があるのです。多文化共生とは、ひとつの国家の中で多文化(様々な人種や民族的背景を持った人びと)が共生することではなく、各々の国家(人種や民族からなる)がそれぞれの文化的特性を発揮して、互いに協力、共存することであるべきなのです。

ひとつの国家内で多文化が共生できない理由は明白です。共同体というものは文化を共有する人々の集まりによって成立するものです。ところが、移民は受け入れ国の異なった文化の共同体には入ることができないのです。だから、彼らは同じ出身国の移民仲間たちと集団生活する共同体を作ることになってしまいます。つまり、一種の「国家内国家」になってしまうわけです。従って、いくら受け入れ国側が好意を持って彼らに各種の便宜を図ろうとしても、彼らが共生してくれることは期待できないのです。結局、移民に対しては住民との共生を強制するのではなく、彼らの集団に干渉しない、彼らに住民に干渉させない、という冷めた態度が移民との軋轢を防ぐ方法なのです。しかし、事実上単一民族であるわが国において、このような「不干渉の共存」、「互いに交わらない共存」がスムーズに実践できるか、大いに疑問です。いつでも多文化間の紛争に転化する火種が埋め込まれていると警戒した方がよいでしょう。

では、多文化共生は幻想なのかと言いますと、そうではありません。多文化共生を実現する場の問題です。本来の多文化共生とは文化共同体である国家の間で実現することが可能なのです。これこそ、トランプ大統領のいう「アメリカ・ファースト、各国ファースト」、つまり各主権国家が各々の特性を発揮して世界という屋根の下で共存することであり、まさしく「八紘一宇」の世界観なのです。各々の家があってこそ、その集合である国家という家が存在することが可能となり、国家という家があってこそ国家間の相互協力が可能になるというわけです。
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