電脳筆写『 心超臨界 』

成功はそれを得るために捨てなければならなかったもので評価せよ
( ダライ・ラマ )

人生を創る言葉 《 啐啄同時――徳川家康 》

2024-10-11 | 03-自己・信念・努力
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◆啐啄同時(そったくどうじ)。早すぎてはいけない。遅すぎてもいけない。
 熟しきった一瞬の気合いが、人間万事を決する


『人生を創る言葉』
( 渡部昇一、致知出版社 (2005/2/3)、p83 )
第2章 決断の瞬間――時を逃すな!

[ 徳川家康 ]
徳川第一代将軍。三河国岡崎城主松平広忠の長子として生まれる。
戦国の世を平定して徳川幕府を開く。(1542~1616)

23歳の家康は岡崎城の城主であった。つとに評判が高かったため、甲斐の武田信玄が家康の家臣酒井左衛門尉(じょう)忠勝に書を送って和睦を求めてきた。酒井はこの書を主君家康に取り次いだ。

その手紙の中に「啐啄(そったく)」という文字があったが、これがどういう意味か誰にもわからない。散々迷った挙句、岡崎城下に逗留している一人の旅の僧侶がいたことを思い出して、これを呼び出した。

この僧侶は江南和尚という名であった。東国を回る途中というので、汚れた麻の衣、すり減らしたわらじ、笠をかぶり、杖をついて現れた。家康の家臣の石川日向守定成が手紙を持ってきて、この和尚に文字の意味を尋ねた。

「どれどれ」

手紙を手にした老師はにっこり笑って

「ああ、啐啄か。結構、結構。鳥が卵を破るには節(ふし)があるのじゃ。早すぎれば水で駄目、遅すぎれば腐るという意味じゃ。合点が参ろう」

と答えた。わかったようなわからないような答えだが、石川はそういう答えをもらって家康に報告した。家康はしばし首をひねっていたが、やがて破顔一笑して、こういった。

「そうか、さすがは信玄だ。これを解釈した老師も老師だ。時節気合いの妙味がこの一語の中に含まれておるわい。武将の第一の心掛けはこれじゃ」

この「啐啄」の啐は上に子をつけて「子啐」、「啄」は上に母をつけて「母啄」ともいう。「子啐」とは雛鳥が卵の内側から卵の殻をつつくことであり、「母啄」とは母鳥が外から殻をつつくことである。そして「啐」と「啄」とが内外で相応じて気合の熟した瞬間に、殻が破れて新しい生命が生まれる。どちらか一方が早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけない。啐啄同時とは、内の雛と、外の親鳥が、殻を一緒に破ることをいっているのである。

家康は『碧眼録』にある提唱を、この言葉を聞いて体得したのであった。そして満面に笑みを湛えながら、こういうのである。

「啐啄同時じゃ。早すぎてはいけない。遅すぎてもいけない。熟しきった一瞬の気合いが、人間万事を決する」

家康の生涯は、啐啄同時の言葉の通り、いつも時をいつにするかをうまく考えた生涯ではなかっただろうか。家康は生涯の集大成として大坂城を攻めたが、それはまさに啐啄同時の妙を感じさせるものであった。早すぎれば豊臣恩顧の大名が豊臣家に味方をする恐れがあった。遅すぎれば自分が年を取りすぎる。そういうギリギリのときをはかって決断を下した。

しかも、豊臣家を初めから潰すとはいわないで、和泉のあたりで六十万石ぐらいの大名にならないかと一応勧めている。それは家康としては無茶な提言ではない。というのは、信長の子供を秀吉は岐阜あたりの一城主にしているからである。秀吉が信長の子孫に対してやったのと同じように、家康が秀吉の子供を一大名にするのは筋の通った話だった。しかし、現実にはそれが聞き入れられず、大阪の陣となったわけである。

この提案が拒否されることも予測して、家康は頭の中で、いつつつくかということを絶えず考え、その機会を狙っていた感がある。そして「今なら行ける」というときに仕掛けたのである。

この言葉は、仕事の場ではしょっちゅう使う機会があるだろう。とりわけ交渉事においては、早すぎず遅すぎずという絶妙のタイミングが問われるはずである。
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