植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:領地 - 後漢の州

2009年12月13日 19時38分03秒 | ゲームシステム
簡体三国志では、領地を15用意しました。その15とは…
 ・司隷
 ・雍州(司隷・涼州)
 ・冀州
 ・初闖B
 ・青州
 ・并州
 ・徐州
 ・揚州
 ・荊北(荊州)
 ・荊南(荊州)
 ・豫州
 ・涼州
 ・益州 
 ・漢中(益州)
 ・幽州
です。その選出の元となったのは、後漢の13州。その13州と異なるものには括弧書きで対応を入れてみました。
 まず、魏呉蜀の争奪戦の舞台となった荊州ですが、北部を魏が押さえ、中南部を呉蜀で奪い合ったし、かなり広い州だった為に南北に分けました。同様に、広い益州を南北に分け、蜀がそうしたように北を梁州としていたのですが、なじみ無い名前との指摘を受け「漢中」にしました。同様に、揚州も広いのですが、ここはずっと呉の領地だった為、特には分割しませんでした。
 あと分けたのが雍州。洛陽のある司隷と、長安のある雍州といった感じで分けた方が良さそうだったので、こちらも分けました。雍州は正確には、元々雍州と涼州の2つ合わせて、涼州と言う州だったのですが、194年に分割されます。この際、長安がある東側が涼州で、敦煌などがある西側が雍州でした。後に214年には両方合わせて雍州となり、さらに220年にはまた分割されますが、その時はなんと!雍州と涼州の名は逆になり、東が雍州、西が涼州となります。
 この簡体三国志の舞台とする時代からすると、東を涼州、西を雍州にするべきでしょうが、馬騰が割拠したのが長安を含まない涼州と言う認識が強いため、220年以降の呼び名を採用しました。
 最後に後漢の13州にありながら採用しなかったのは、交州こと交阯。交州は時代が下って呉が遠征するまで、群雄 士燮がずっとこの地を支配し続け、中央の影響を受けなかった地域だったので、ひとまずここからは抜いて次に紹介する拡張版に入れることにしました。


オリジナルカードゲーム 植民地戦争

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