植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ゲームコンセプト4 ロシア・オスマントルコ

2007年10月21日 11時13分50秒 | ゲームシステム
 ちょっとフランス・ドイツを飛ばして、ロシアとオスマントルコを先に書きこきます。共に国力が3という広大な地域を支配した国ですが、この時代の両国は隆盛と斜陽と反対の歴史を歩みます。


ロシア 【総生産5/5/6】
●イヴァン4世が1547年にそれまでモスクワ大公国だったのロシア帝国と自称し、カザン・ハン国、アストラハン・ハン国を滅ぼし、シベリアに向かって東方への拡大を開始します。しかし、対ヨーロッパ戦ではリヴォニア戦争でポーランド・スウェーデンに敗れヨーロッパから追い出され、さらに国内の粛清により国家は荒廃した為、総生産を5としました。
●1613年にロマノフ朝が成立したことで、国内の大動乱に終止符を打ち、対外的にもスウェーデン・ポーランドと和睦し、ピョートル1世の代にはオスマン帝国と争いアゾフ海に進出、さらにスウェーデンに大北方戦争で勝利し、バルト海沿岸を獲得し「西欧への窓」を得ます。この時代の末になってやっと西欧諸国は、正式にロシアを皇帝として認めることになります。総生産はぎりぎり5とし、次の時期に上げることとしました。
●エカテリーナ2世の時世にポーランドを分割し、露土戦争で南下政策を推しすすめ黒海沿岸やクリミア半島まで勢力を広げます。また、ナポレオン戦争にもモスクワを捨てながらも勝利し、列強の一角とみなされるようになります。その後クリミア戦争で英仏とサルデーニャに敗退しますが、これがロシアの農奴解放、産業革命へと繋がることになります。という事で総生産は6としました。



オスマン・トルコ 【総生産7/5/5】
●スレイマン1世の頃で、オスマン朝が最盛期を迎えます。バルカン半島の進出ではハンガリーまで制圧し、ウィーンを包囲します。ウィーン制圧は失敗したものの、海上でもスペインを中心としたカトリック諸国の艦隊をプレヴェザの海戦で撃破し、その支配地域はリビア・アルジェリアに及びます。総生産は文句なしの7です。
●スレイマン1世後の混乱期をキョプリュリュ家による執政期には盛り返し、帝国の版図は最大に達しますが、その後強行する第二次ウィーン包囲が失敗に終わると、ハンガリー、つづいてベオグラードまで失い、対ロシアでも黒海沿岸の地域の支配権を失っていきます。この時代、最強を誇ったイェニチェリが軍閥化し、弱体化・旧式化し、軍事面で西欧より劣るのが目立つようになります。総生産は5としました。
●西洋で産業革命が進むにつれ、その国力の差は歴然となります。西洋化を推し進めるも、ナポレオンのエジプト遠征をきっかけとしたエジプトの事実上の独立、、ギリシャ独立戦争でギリシャを失うなど「瀕死の病人」と称されるようになります。このことから総生産は5としました。


ゲームコンセプト1
ゲームコンセプト2 ポルトガル・スペイン
ゲームコンセプト3 オランダ・英国
ゲームコンセプト4 ロシア・オスマントルコ
ゲームコンセプト5 フランス・ドイツ
ゲームコンセプト6 イタリア・日本

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント
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