植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

英蘭戦争

2007年10月16日 12時13分44秒 | 国:オランダ・ベルギー
 今日は、英蘭戦争です。この時代、英国と言ってもイングランドのことです。
 17世紀に入るまで、イングランドとオランダは、カトリックで先に大航海時代を乗り出したスペイン・ポルトガル両国に対抗する為、半ば同盟関係にあり特にイングランドはスペインを弱める為に、オランダの独立を支援していました。
 しかし、オランダの海運力が強くなってくると、イングランド国内でオランダに対する軋轢が生まれます。当時、重工業化によりイングランドは羊毛の一大生産国になっていました。これをオランダが船でヨーロッパ各地に運ぶ中継貿易で利益を上げていた為、イングランドは航海法を制定し、イングランド船以外の海運業を禁止してしまいます。
 そして、1623年のアンボイナ事件でイングランドはオランダの攻撃を受け、東南アジアや東アジアから撤退せざるを得なくなったことで、両国は本格的な戦争に突入します。
 この戦争は、間2回の和平を挟み3度も行われ、両国を疲弊させます。戦争の結末は、オランダを虎視眈々と狙うフランスをこれ以上有利にさせない為にも、戦争の終結が望まれ、1677年にチャールズ2世の姪をオランダの総督ウィレム3世に嫁がせることで和平が実現します。※1

 戦後、オランダは香料価格の下落によって香料貿易による建て直しを行うことが出来ず、一方英国はインドを綿花の生産地とし、さらに綿織物の販売を行う重商主義政策により国力を回復させ、これが英国の覇権へと繋がります。


 ちなみにダッチワイフと言う言葉、ダッチは花のダッチアイリスに代表されるとおり、オランダ人の蔑称です。英蘭戦争でイギリス人は、オランダ人の船乗りは、抱き枕を相手にしていると噂され、ダッチワイフと言う名が付いたとも言われています。


※1:この後、名誉革命によりこのウィレム3世の妻メアリー2世がイングランド女王に即位し、さらにメアリー亡き後はウィレム自身がイングランド王になったことで、イングランドとオランダ(オラニエ公)との同君同盟が成立します。
 しかし、ウィレム3世の後、メアリーの妹アンが女王になると女性王を認めていないオランダ(オラニエ公)との同君同盟は僅か1代で解消されてしまいます。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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