植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

アルメニア人虐殺問題と、土・米・露

2007年10月23日 12時03分12秒 | 国:オスマン・イスラム
 オスマン帝国が、第一次世界大戦中にアルメニア人を強制移住させたことで多数死なせたことを、アメリカが「虐殺」行為だったと下院で「認定」したそうです。
 虐殺=ジェノサイトは、ナチスによるユダヤ人虐殺に代表されるように、武力行使を認めている(戦争を認めている)国連で、行ってはいけない行為とされています。「虐殺」と認められた場合、国連はそれを止めさせなければならないなど、通常の戦争や内紛と異なる認識となっております。

 しかし、何故今更、現在ではなく第一次世界大戦時代のことを持ち出しているのでしょうか? その裏には、アメリカで活動するアルメニア人グループによる下院議員への圧力があったともされます。アメリカで活動するアルメニア人グループにしてみれば、自らが過去に受けた行為を「虐殺」として認めさせ、オスマン帝国を引き継ぐ今のトルコに賠償金を払わせたいなどがあるのかもしれません。
 勿論、トルコは反発し、虐殺ではなく戦時下の強制移住の結果の死であるとして、訪米を中止するなどの講義をしています。

 もともとアルメニア人はオスマン帝国内で商業によって財を築いて、宮廷とも関係を持ち、オスマン帝国を構成する一員でした。しかし、ロシアがコーカサスに進出し、アルメニア人の居住地域を制圧すると、オスマン帝国に揺さぶりを掛けるために、アルメニア人の民族意識を高揚させ、オスマン帝国からの分離独立を煽ります。アルメニア人の過激グループは、帝国内でテロ行為を繰り返すようになり、それに農民であるイスラム人(トルコ人・クルド人など)が、財をなしたアルメニア人への反発が重なり、1894年には両者の大規模な衝突が発生し、それを鎮圧するためにオスマン軍が動き、2万とも言う死者を出すことになります。
 第一次世界大戦下では、ロシアと通じてテロ行為を繰り返すアルメニア人過激グループへの対応として、反国家・利敵行為を予防する目的でアルメニア人をロシアとの戦闘地域であるアナトリア東部からシリアの砂漠地帯へと強制移住させる政策が開始され、これによって多くのアルメニア人が死亡することとなります。

 今回のアメリカ下院での決議から、歴史を紐解くと民族問題が如何に複雑かを考えさせられます。

トルコ反発 米下院委「アルメニア人虐殺」非難決議 揺らぐ?同盟関係(産経新聞) - goo ニュース

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント (1)
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