ギリシャ神話あれこれ:ヘラクレスの誕生

 
 エルキュール・ポアロの「エルキュール」は、ヘラクレスのフランス語読み。ちなみにポアロは、自分にはアシール(アキレウス)なんて名の双子の兄がいる、と言っている。

 ギリシャ神話最大の英雄ヘラクレスは、英雄らしからぬ失敗や欠点も数多く、なんとも庶民的。筋肉もりもりの大男で馬鹿力、短気で単純、大食漢で酔漢、女好きで少年好き、けれども剛毅で豪快で勇敢で、正直で義侠心にもあふれている。誰もが成し得ないことを成し遂げ、エピソードに事欠かない。
 私は、スマートなペルセウスのほうがいいと思うけど。

 ヘラクレスは英雄ペルセウスの曾孫に当たる。

 アルクメネの出産を前に、ゼウス神が予言する。今夜生まれるペルセウスの血筋が、ミュケナイの王となるだろう、と。
 この祝福を聞きつけたヘラ神は、大いに憤慨。アルクメネの子を王になどさせてなるものか、と、レトの出産のときと同様、またしても出産妨害に出る。娘である出産と分娩の女神エイレイテュイア(ルキナ)を呼んで、アルクメネの陣痛を長引かせるよう、そして、同じ血筋の、従兄弟に当たるエウリュステウスを、7ヶ月の早産で産ませてしまうよう、言いつける。

 アルクメネは産気づいてから7日7晩、陣痛に苦しむだけで全然産まれないという超難産。王も従者たちも侍女たちも、みんなただ、おろおろするばかり。
 侍女ガランティスも、同じくおろおろとしていたところが、ふと、エイレイテュイアが座り込んで印を結び、ぶつぶつと呪文を唱えているのを見つける。事情を察したガランティス、機転を利かせて、お産まれなりました! と、大声で赤ん坊の誕生を告げ知らせる。
 そんなはずは? ガランティスの叫んだ嘘に虚を突かれたエイレイテュイア、思わず印を解いてしまう。途端に、おぎゃー、という産声。騙されたと気づいて激怒したエイレイテュイアは、金髪のガランティスの毛色をそのままに、彼女の姿をイタチに変えてしまったという。

 こうして、ヘラクレスとイピクレスの双子は無事産まれるが、ヘラクレスをミュケナイの王にさせようとしたゼウスの思惑は大外れ。
 やがて、先に生まれたエウリュステウスが王となり、この臆病で卑劣で権力欲の深い彼の命令で、ヘラクレスは数々の難業を果たさなければならないハメになる。

 To be continued...

 画像は、ルーベンス「銀河の誕生」。
  ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577-1640, Flemish)

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ロフォーテンの画家たち

 

 ノルウェー画家の絵を漁って、リンクにリンクをたどると、ロフォーテン諸島の情景を描いた絵にヒットすることが、たまにあった。いろいろと調べてみても、日本語はもちろん英語の解説もない。
 で、ロフォーテンの画家たちについてはほとんど何も分からないのだが、多分、その厳しくも美しい自然や、そこに暮らす人々の素朴な生活に魅了され、その地に暮らしその地を描いた画家たちが、何人かいたのだろう。

 ロフォーテン諸島は、氷河によって削られた山塊からなる群島。最近、ノルウェー北極圏の観光ポイントとして人気を得ているという。
 鏡のように周囲を映し出す、深い青い海原と、入り組んだ入江。夏でも雪を頂く、荒々しく切り立った岩山。赤や黄色の木造家屋の点在する素朴な漁村。……陳腐な表現だが、絵葉書のように素晴らしい、息を呑む景観だとか。

 ロフォーテンに生まれたグンナール・ベリ(Gunnar Berg) やオットー・シンディング(Otto Sinding)、ノルマン・アデルスティーン(Normann Adelsteen)などが、ロフォーテン諸島の代表的な画家だという。
 が、ロフォーテンを描いた画家たちは多く、例えば、オスロで活動したノルウェー写実派の代表的画家クリスティアン・クローグなんかも、その一人。クローグ自身は民族主義を批判する立場だったが、彼の描いたロフォーテンの情景は、ノルウェー叙情たっぷりの、なんとも民族主義的な雰囲気。
 だから、いかにもノルウェーらしいロフォーテンには、オスロの画家たちも好んで訪れただろうし、その結果イギリスのニューリンのように、画家たちが集まって芸術家コロニーとなった漁村も、あるいはあったかも知れない。

 いつも思うことだけど、マイナーな国のマイナーな画家たちの絵も、結構秀逸なものが多いのだから、誰か丁寧に紹介してくれればいいのにな。

 画像は、グンナール・ベリ「レイネの墓地」。
  グンナール・ベリ(Gunnar Berg, 1863-1893, Norwegian)
 他、左から、
  グンナール・ベリ「トロルフィヨルドの戦い」
  グンナール・ベリ「ロフォーテン、レイネの漁船」
  シンディング「ロフォーテン、レイネの冬」
   オットー・シンディング(Otto Sinding, 1842-1909, Norwegian)
  シンディング「浜辺の漁師の娘」
  ノルマン「フィヨルド風景」
   アデルスティーン・ノルマン(Adelsteen Normann, 1848-1918, Norwegian)

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アカデミズム再考

 

 連休に、「ヨーロッパ絵画名作展」に行ってきた。
 これは山寺・後藤美術館のコレクション。以前からいろんな企画展で、オッと思う絵のプレートを見ると、この美術館の名前に出くわした、ってことがたびたびあった。
 山寺の(テンテンテン)、和尚さんが(テンテンテン)、毬を突きたし、毬はなし、猫を紙袋に押し込んで、……♪
 子供の頃はやったこの歌のせいで、私はこの美術館は寺で、絵を収集したのは和尚さんだと、ぼんやりと思い込んでいた。で、ずっと疑問だった。どこにあるんだ、そんな山寺??? ……今回、山寺は地名だったと知った。

 今度の企画展では18、19世紀のアカデミズムやバルビゾン派の絵が中心だったが、山寺・後藤美術館は他にも印象派など、秀逸な絵をたくさん所蔵している。一度は行ってみたい美術館。

 さて、印象に残った絵の一つに、カバネル「アラブの美女」というのがあった。他も、アカデミズムの絵は結構良かった。
 
 絵画史においてアカデミズムと言うと、古代ギリシャ・ローマ様式を理想美とする新古典派を、基本原理として継承しつつ、当世の旧貴族や新興ブルジョアジーの趣味にも迎合した、19世紀のアカデミー(特にサロン)に支配的だった様式を指す。
 アカデミズムの巨匠と呼ばれるブーグローやカバネルらは、サロンにて印象派画家たちをことごとく落選させた当人たち。で、アカデミズムというのは、ときどきの前衛に対立する価値観としても捉えられる。

 もともとアカデミーは、学芸に関する教育・研究機関のこと。絵画史でもアカデミーは、芸術は知的な学問分野であるという理念から、旧弊な徒弟制に反対する、きちんとしたカリキュラムを持つ芸術教育機関として登場する(それまでは、画家となるには工房に入り、匠の技を伝授してもらうしかなかった)。
 やがてアカデミーは、国家の芸術政策のもと、芸術家の教育、表彰、展覧などの特権を独占。サロン(官展)への出展は芸術家の登竜門となるが、審査員であるアカデミー会員の芸術観に照らして、このサロンに近代の新しい絵画が受け入れられることはほとんどなかった。
 で、サロンの基準に乗らない新しい画家たちは、印象派展やアンデパンダン(無審査)展などに出展。20世紀にはアカデミズムよりも、これら近代の画家たちのほうが高く評価されるようになり、現在に到っている。

 絵画に限らず学芸全般で、アカデミズムという範疇は、保守的、権威的、技巧的、形式主義的、現実逃避的、非実践的、講壇的、等々という形容を含んで用いられる場合が多い。
 が、私自身は、学問や芸術の分野で理論を重視し、学芸の純粋性、正統性を擁護する立場にある、そういう意味でのアカデミズムには、意義があると思う。

 アカデミズムの絵は、面白味は少ないかも知れない。凡庸、退屈なものも結構ある。けれども、優れた技術のせいか、古典的な美意識のせいか、概ね美しい。
 そして、この美しさが人間の手を介したものだと思うと、やはり、ハッと眼を奪われ、ツツツと惹かれることがままある。

 画像は、クール「ジェルマンの留守に気晴らしをしようとするリゴレット」。
  ジョゼフ=デジレ・クール(Joseph-Desire Court, 1797-1865, French)
 他、左から、
  ランデル「アルジェリアの少女」
   シャルル・ランデル(Charles Landelle, 1821-1908, French)
  カバネル「パンにさらわれるニンフ」
   アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823-1889, French)
  ブーランジェ「甕を持った女」
   ギュスターヴ・ブーランジェ(Gustave Boulanger, 1824-1888, French)
  ムニエ「特別の瞬間」
   エミール・ムニエ(Emile Munier, 1840-1895, French)
  ブーグロー「愛しの小鳥」
   ウィリアム・アドルフ・ブーグロー
   (William Adolphe Bouguereau, 1825-1905, French)


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ギリシャ神話あれこれ:夫に化けられたアルクメネ

 
 子供の頃、女性を籠絡する一番賢いやり方は、そのパートナーに化けることだと知って、関心したことがある。化ける能力持ってないと不可能だけど。
 こんなの、避けられっこないじゃん。そーか、世の女性はみーんな神さまたちのものなわけね。なら、目立たずにいるのがベターってことかあ。……

 英雄ペルセウスの死後、その領土は息子たちに分け与えられた。このうち、エレクトリュオンの統治するミュケナイで、ポセイドンの血を引くタポス諸島の王プテレラオスとのあいだに戦争が起こる。
 この戦争で、王エレクトリュオンの息子たちはことごとく戦死。王自身、娘アルクメネの婚約者アンピトリュオンの過失によって死んでしまう。

 アンピトリュオンとアルクメネは、ミュケナイを追われてテバイへ亡命。ここでアンピトリュオンはアルクメネに求婚するが、彼女は、では兄弟の仇を討って欲しい、と答える。

 で、アンピトリュオンはテバイの王に応援を求めるのだが、王は交換条件を持ち出す。……実はこのところ、テバイは人肉を喰らう牝狐に荒らされて困っている。追いかけられても絶対に捕まらない、という妖狐なのだが、これを退治して欲しい。と。
 アンピトリュオンが義勇軍を募ったところ、ケファロスが、妻プロクリスがクレタ王ミノスから貰った、追いかける獲物を必ず捕まえる猟犬ライラプスを連れて参上。何者にも捕まらない狐を、何者をも捕える犬が追いかけ、とうとうゼウスが双方を石にして、この矛盾を解決する。
 オリオン座の連れている大犬座は、この猟犬ライラプスだともいう。

 こうしてアンピトリュオンは、テバイの援軍を得て、タポスの王プテレラオスを攻める。
 プテレラオスはポセイドン神から不死の力を与えられていたのだが、アンピトリュオンに恋をした王の娘コマイトは、父を裏切り、父の頭から不死の印である金髪の毛を切り取ってしまう。王は戦死し、アンピトリュオンはタポスを征服し凱旋する。
 ギリシャ神話には同じパターンを取る物語があるが、これは、敵王ミノスに恋して父を裏切った、ニソスの娘スキュレと同じ。

 さて。
 
 アルクメネの美貌は並々ならぬもので、ゼウス神はこれまで何度も彼女に言い寄っていた。が、貞節な彼女は一向になびこうとしない。そこでゼウスは一計を案じて、夫アンピトリュオンの凱旋前夜、当の夫の姿に化けて、彼女のもとへとやって来る。
 夫の姿に疑いもしないアルクメネは、導かれるままにベッドへ。こうしてゼウスはようやく想いを遂げる(わざわざ夜ニュクスに頼んで、夜の長さを引き延ばして、存分に交わったという)。う~む。
 翌日、本物の夫が凱旋し、アルクメネは仰天(盲目の予言者テイレシアスに、ゼウスの仕業と知らされる)。

 その夜、アルクメネは本物の夫とも交わって、月満ちて双子を産む。この双子のうち、ゼウスの血を引く子が、後に数々の冒険を繰り広げる、ギリシャ神話最大の英雄ヘラクレス。

 画像は、ヴァーガ「ジュピターとアルクメネ」。
  ペリーノ・デル・ヴァーガ(Perino del Vaga, ca.1501-1547, Italian)

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再びシロクマによせて(続)

 
 今までだってずっとそう思っていた。が、この数年、私はとても恵まれていたので(と言うのは、それまでの数年が本当につらかったから)、それらを今すぐに実現しなくても、少しぐらい先延ばしにしても構わない、とも思っていた。
 けれども、もし、私にあと7年しか残されていないのなら、今日この日から、できることから実現していかなければならないのではないか。

 私は自分が100年早くに生まれすぎたと思ってきた。相棒は、自分が社会にメッセージを残さなければ、人類の社会進歩は100年遅れると自負してきた。
 私はつらい数年の後、人と接するのがすっかり億劫になって、人との接点を作らずに済ませて過ごしてきた。
 
 けれども、もし、私にあと7年しか残されていないのなら、次の若い世代のために、その意味の理解できる人々に、メッセージを残しておくべきなのではないか。

 何事についてもそうだが、物事が進行すると、科学がまずそれに対して解答を出し、次に社会の知的な人々がその解答を認め、次第にそれが社会全体に浸透し、最後に政治や法が対応に乗り出す。
 科学は地球環境について二つの解答を出している。それが滅亡に向かっていること、だが回避できる道がまだ残されていること。
 絶滅危惧種のシロクマは、あと7年で死に絶えてしまうかも知れない。が、それを回避するために私たちがメッセージを出したら、シロクマは生き残ることができるかも知れない。
 そしてシロクマが生き残ることができたなら、もしかしたら私たちも、7年経った後にも、生き続けることができるかも知れない。

 死ぬまで生きて。生きている限り生き続けて。

 画像は、チュルリョーニス「太陽礼讃」。
  ミカロユス・コンスタンチナス・チュルリョーニス
   (Mikalojus Konstantinas Ciurlionis, 1875-1911, Lithuanian)


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