ポロニアの美

 

 私の知っているアール・ヌーヴォーの画家の一人、エドヴァルト・オクニ(Edward Okuń)。私も詳しいわけじゃなく、絵をサーフィンしていて、ばったり出会って、ちょっと記憶に残っている、という画家。
 で、遠くワルシャワの地でオクニの絵の実物に邂逅し、彼がポーランドの画家だったことを初めて知った。

 ポーランド絵画において、活発なモダニズム運動となった「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」は、そのまままるごと象徴主義の流れに位置づけられる(多分)。そのなかで、オクニは特に目立つ存在ではない。美術館でも、彼の絵は二、三点しか展示されていなかった。
 が、私のなかではオクニは、ドイツのハインリヒ・フォーゲラー同様、辺境のアール・ヌーヴォー画家の代表、というイメージがある。春の憧憬を思わせる自然背景、古典的な髪と衣装と横顔のファム・ファタルな美女、画家の偏愛するメルヘンめいた中間色……

 解説によれば、オクニは名家の出だが、早くに両親と死に別れ、母方の祖父母に育てられた。莫大な遺産を相続すると間もなく、著名な画家のもとでデッサンの勉強を始める。ワルシャワでは、ポーランドの国民画家、ヤン・マテイコの画塾にも学び、さらにミュンヘン、パリへ。ミュンヘンに画塾を持ち、夏には自身が牽引したトランシルバニア北部の芸術家村ナジバーニャ(Nagybánya)で制作した、ハンガリー画家ホローシ・シモン(Simon Hollósy)にも師事した。

 が、オクニ自身が活動の拠点として選んだのは、ルネサンスの地ローマ。彼は二十年にわたりローマに暮らし、そこからイタリアじゅうを旅してまわる。ローマに居住するポーランド画家グループと交流し、さらにフリーメイソンの支部「ポロニア(Polonia)」を設立。
 つまり、オクニの絵に漂うルネサンス調の女性美、ベックリンを思わせる異国の情景、南国チックな赤銅の暖色などは、このイタリアにおける非カトリック性に根差しているわけだ。

 やがてポーランドに帰国し、ワルシャワに落ち着く。アカデミーで教鞭を取る一方、フリーメイソン支部「コペルニクス(Copernicus)」を立ち上げる。
 彼がフリーメイソンとしてどう活動したのかは、よく分からない。オクニは第二次大戦中もワルシャワにとどまったが、ワルシャワ蜂起の後にスキェルニェヴィツェ(Skierniewice)へと移り、赤軍によるワルシャワ侵攻の同月に死去している。

 画像は、オクニ「我らと戦争」。
  エドヴァルト・オクニ(Edward Okuń, 1872-1945, Polish)
 他、左から、
  「ショパンのマズルカ」
  「レモン園」
  「ユダ」
  「キメラ」
  「ザグレブの眺望」

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