夢奇譚

 
 やっと読書量が普通レベルに戻ってきた。やっぱり人間て、本を読まないでいるとアホになるかも。

 直近で読んだのは、シュニッツラー「夢奇譚」。ドイツ語圏の知識人なら誰でも読んでんだよ! と相棒がうるさくせっついた一冊。
 ううう、さすが世紀末ウィーンのデカダン。刹那的で、突飛で取りとめがなく、病的にロマンティック。そりゃ、クリムトの時代だもんね。そうした文化の一内容である文学は、一方で、そんな文化を外から眺めもしている分、やけに虚無的で心理的でもある。……こういうの、苦手。

 主人公は若い医師フリードリーン。愛する妻アルベルティーネと幼い娘を持つ。
 何の不満もない幸福な家庭。が、カーニバルの季節、仮面舞踏会をきっかけに、甘い官能に衝かれた夫婦は、過去の、どうということもない誘惑や意識すらしなかった願望を告白し合う。

 妻の裏切りを感じたフリードリーンは、自分も妻を裏切るきっかけを求めて、夢遊病のように夜のウィーンをさまよい歩く。ふと再会した旧友から、夜な夜な謎めいた集会が開かれることを知り、好奇と破滅の予感とから、そこに潜入。倒錯した仮面舞踏会で言葉を交わした仮面の美女に取り憑かれ、その後も彼女を探し求める。
 そして、夢のなかでの不実を打ち明けた妻に、今度は彼が、夕べの夢うつつの奇異な顛末を打ち明けて、朝を迎える。……という物語。

 フロイトはシュニッツラーを、我が精神のドッペルゲンガー、と公言していたのだとか。この話も多分に夢判断のよう。不確実で、仮象的で、暗喩的で、まやかしめいている。ストーリーに始終付き纏う感覚は、倦怠感と疼痛。
 爛熟し、腐爛した文化特有の頽廃美。こんなのばっかり読んでれば、もしかしたら私も、クリムトの審美眼が分かるようになるかも知れない。

 ……が。ん~、やっぱり、すっきりくっきりしないのは苦手。

 画像は、クリムト「長い髪の娘」。
  グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862-1918, Austrian)
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銀光の叙情

 

 この夏は美術館三昧。東京まで「コロー展」に行ってきた。学生の頃、コローはモローと並んで、トップクラスで好きだった画家。

 銀灰色を帯びた鈍色に輝く森の風景。緑と褐色の微妙な諧調に薄靄のような銀のヴェールがわたる。煙るような柔和な光に揺れる樹葉や湖水。優美なフォルムと即興的なタッチ。リリカルでノスタルジックな、独特の詩情。
 が、私のなかで、モローが常にトップクラスだったのに対して、コローの相対評価は下がっていった。マンネリで類型的で、同じような絵しか描かなくなってしまった。人気を得て、その人気に沿った絵しか描けなくなってしまった。……そんなふうに、斜に構えたうがった見方になった。私も青かったのかな。

 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot)は、フランス風景画の大家。その、自然を深く見つめた風景は、シスレーやピサロら若い画家たちにも影響を与えた。

 父は裕福なラシャ商で、ようやく父から絵の道を許されたとき、コローは生活の心配なく画業に専念することができたという。そして、父の援助のもと、北フランスを旅行、そしてイタリアへ。
 コローを支えた彼の両親は、しかし、彼の画家としての才能には期待していなかったらしい。コローは自分の絵が世に評価されるのを、愛すべき両親に見て欲しかったに違いないが、それを待たずに両親は相次いで死去する。

 母を亡くした頃から、コローはあの独特の、ニンフのような人影の佇む、銀色に輝く小暗い森景を描くようになる。この夢幻的な風景は爆発的な人気を博し、注文が殺到、コローは一躍、富と名声を得て、時の画家となった。
 が、相変わらずつましい生活を送り、ドーミエを初め貧しい画家たちを助けたというから、人間ができていたんだと思う。

 コローは田舎を愛し、森を逍遥して写生し、ロマン派の詩を好み、大のオペラ好きでもあったという。そんなコローが、ロマンティックな森のなかにオペラ座の踊り子よろしくニンフを輪舞させた絵を、自身大いに気に入って、何度も描いたというのは、うなずける。
 そうした趣向の絵が世に認められ、皆に求められれば、素直に喜んだろうし、もともと、頼まれれば断りきれない、人情の厚い人柄でもあった。
 ならば後年、三十年近くも、コローがああした風景を繰り返し描いたのは、やはり、世評のしがらみからではなく、心から好んでのことだったのだろう。……今では単純に、そう思える。

「自然こそすべての始まりである」というのは、コローの名言。
 風景画家なら、やっぱ、こうありたいもんだ。

 画像は、コロー「四角い塔へと通ずる水流」。
  ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
   (Jean-Baptiste Camille Corot, 1796―1875, French)

 他、左から、
  「湖畔、イタリアの思い出」
  「白樺の下で草を食む牛」
  「モルトフォンテーヌの思い出」
  「真珠の女」
  「青衣の婦人」

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ロハスな生活

 
 元アイドルが使っていたとかなんとかと曰くのある、裏ワザを駆使しなければ動かなかった、我が家のポンコツPC。とうとう天寿をまっとうした。
 ようやく新しいPCをゲット。で、放置していたブログを、取りあえず更新。

 この間、我が家ではかなりの生活改善をした。坊のアトピーがなかなか治らないので、思い切って、余計なものを可能な限り排除することに。

 まず、中和剤で浴用の水道水の塩素を除去。それから、合成界面活性剤を除去。肌や髪はもちろん、食器や衣類を洗うのにも、石鹸(と重曹とクエン酸)を使うことに。
 それから、食品添加物をできるだけ排除。着色料ダメ、保存料ダメ。これで市販の加工食品の大半を食べることができなくなった。

 マーガリンやショートニング(トランス脂肪酸)もダメ。私はバターの風味が好きなので、パンにはバターを使うからいいとして、マーガリンがダメだと、市販のお菓子はほとんどすべて全滅。
 これには参った。甘いものって、オフのときには欠かせないのにね。……仕方がないので、お菓子は手作り。ついでなので、ビタミンBを消費する砂糖も減らすことに。
 で、一昔前の子供が食べるような、冴えないスイーツをもぐもぐ食べている。

 植物油(リノール酸)を減らし、炒め物には、和食だと味がいまいち合わないけれど、オリーブ油(オレイン酸)を使用。それ以外には、アマニ油やシソ油(リノレン酸)を使用。
 ご飯を玄米(プラス雑穀)に変えて、豆腐とワカメの赤味噌の味噌汁をつける。肉や魚は脂身の少ないものを選び、野菜をできるだけどっさり食べる。

 は、は、は。なんだか色気のない食生活になったもんだが、たったこれだけで、他に何もしないのに、3週間で3キロ減った。高校時代と同じ体重。
 私の身体って、随分と余計なものがくっついてたんだねえ……

 欧米には、食品添加物がどんなに人間を異常にするかは、日本を見れば分かる、という意見もあるのだそう。……ここでもか、日本。 

 とにかく、食べることと洗うことに関しては、かなりロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability)な生活になったみたい。

 画像は、ゴヤ「皿のものを食らう二人の老婆」。
  フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya, 1746-1828, Spanish)
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