世界は世界へ弾け跳ぶ

 

 当たり前のことだが、ドイツの美術館にはドイツの画家の絵がたくさんある。最初はあれもこれもと、ヘトヘトになるまでゴチャゴチャに観るのだが、そのうちに自分のなかで体系立ってくる。画家の名前、その画家の画風なども、自然に憶わって(これ、名古屋弁)くる。
 で、相棒が最初に憶えたのが、コリントという画家だった。コリントの絵はそれくらい強烈なものがある。

 ロヴィス・コリント(Lovis Corinth)は、マックス・リーバーマン、マックス・スレーフォークトと並ぶ、ドイツ印象派を代表する画家。が、この人の絵は、印象派と呼ぶには落ち着かない。表現主義の先駆者ともされるが、むしろ表現主義そのものと言ってしまったほうが、すっきりする。
 彼の絵が印象派的な明るさを越えているのは、白色を多く使うからかも知れない。黒も平気で使う。しかも筆遣いが粗い。粗すぎる。やけくそのようにすら見える。総じて画面は、ぎらぎらと眩しい。

 解説によれば、コリントは、当時東プロイセン領だったタピアウ(現ロシア領グヴァルジェイスク)の生まれ。早くから絵の才能を見せ、ミュンヘンで絵を学んだ。
 この頃のミュンヘンは、パリに比肩するアバンギャルドの地。コリントは、バルビゾン派の流れを汲む自然主義絵画に共鳴していたが、パリから戻ってくると、さっさとアカデミーを見限り、分離派運動に参加。この時期は画家としてよりも、大酒飲みとして知られていたという。絵描きって一体……

 やがてベルリンへと移り、女性に門戸を開いた美術学校を設立。20歳以上年下の、その最初の生徒シャルロッテと結婚する。このあたり、カンディンスキーとミュンターを思い出すが、彼らはパートナーとしてうまくいったらしい。
 が、脳卒中で左半身不随に。

 けれども、妻の献身的な助力もあって、彼は一年経たずに右手で絵筆を取るようになる。以降、後半生、彼の絵はどんどん崩れていく。あるいは解き放たれていく。まるで脳味噌が壊れたように(って壊れたんだけど)、主情的とか激情的とかと形容される色遣いと筆遣いで、描く、描く、どんどん描く。

 コリントは終生、いろんな主題を描いた。ミューズである若妻らとの家庭の情景、彼らと暮らしたバイエルン・アルプスの麓のヴァルヘン湖畔の風景、聖書や神話、そして、毎年誕生日に自省のために描いたという、骸骨を連れたりヌードの奥さんを抱いたり、鎧を着たりした自画像。
 どれも奇態で荒々しく、けれども現実感がある。子供時代、未亡人の迷信深い伯母が好んで語った怪奇談が彼に育んだ、独特のイマジネーションと「デモニアック(demoniac)なユーモア」が現われている。

 こういうふうな絵を描く画家について私が一番に知りたいと思うのは、一体この人のなかには、どういう世界があったんだろう、ということ。この人の眼には、世界がどう映ったんだろう、ということではなくて。
 だから彼は、表現主義の画家と言ってしまったほうが、やっぱりすっきりする。

 画像は、コリント「ヨッホベルクの傾斜のあるヴァルヘン湖」。
  ロヴィス・コリント(Lovis Corinth, 1858-1925, German)
 他、左から、
  「ベルリン、ティーアガルテンの新池」
  「甲冑を着た老人」
  「ヴァッヘンゼー、新雪」
  「ヒエンソウ」
  「エッケ・ホモ」

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放浪礼讃

 
 相変わらず放浪生活に憧れ続けている相棒。せっかく定職を放り出し、金はあるわ、時間もできたわで、世界中を見聞しようと張り切っていたところが、私のほうがまだそうではないものだから、放浪生活に突入できないでいる。
 で、相棒はブーブー言いながら、たまに小旅行して弾けるほかは、本を読んだり映画を観たりすることで日々、脳内トリップして我慢している。
 可哀相な相棒。この一年、相棒の読んだ文学の量は膨大なもので、このままじゃ私、追い抜かされること必定。

 ここ2、3年のあいだに、相棒は定住生活というものに否定的になった。定住するとまず、所有欲が生じ、モノに執着するようになる。それと相俟って、秩序に取り込まれること、周囲に妥協することを、良しとするようになる。広く世界に接して感得しようという姿勢が弱くなる。自然に対する驚嘆や畏怖や敬意が衰える。云々……
 相棒の場合、何についても捉え方が極端なのだが、それはそれで筋が通っている。世界にはろくでもない放浪者もいるには違いないが、定住が人間生活として優れている、とは、私ももう思わなくなった。

 が、私自身の放浪志向は結構テキトーで、定住が、ここに留まればいつか何かがやって来てくれるだろう、というパッシブなものなら、放浪は、どこかに進めばいつか何かにたどり着くだろう、というアクティブなもの、という程度の感覚。

 漠然とではあっても、将来自分は一つ所には定住はすまい、と決めると、不思議と身も心も軽くなる。自分には帰るべき故郷があるという、国や地に対する思い入れがもともとなかったことを、嬉しく感じる。
 ヘッセ「知と愛」の主人公ゴルトムントのような仕方で世界に触れ、世界を愛し、世界を我がものとして、移ろいゆくもののなかから永遠を救い出す、そうした暮らし方も、何も特別なものではないように思えてくる。

 画像は、ドーミエ「さまよえるサルタンバンクたち」。
  オノレ・ドーミエ(Honore Daumier, 1808-1879, French)
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ムルナウの日々

 

 ドイツ表現主義のグループ「青騎士(Der Blaue Reiter)」の女流画家、ガブリエレ・ミュンター(Gabriele Münter)の夫がヤウレンスキーだと勝手に勘違いしていた私。カンディンスキーじゃないの? と最近相棒に指摘されて、確かめてみたらやっぱりカンディンスキーだった。
 つまりこの数年間、私は、ミュンターを自分の都合であっさり捨て去った不実の罪を、間違えてヤウレンスキーに押しつけていたわけ。ゴメンね、ヤウレンスキー。

 自由を愛する裕福な両親のもとで、乗馬やダンス、音楽を愛して育ち、やがて絵を学ぶようになったミュンター。後の彼女の絵に見られる伸びやかさ、心地よい諧調とリズムは、彼女生来のものだったと思う。
 両親の死をきっかけに、2年に渡るアメリカ外遊に出た後、ミュンヘンで絵の勉強を再開した彼女は、画塾「ファランクス」で、11歳年上のロシア人画家、ヴァシリー・カンディンスキーと出会う。師と教え子は次第に親しくなり、塾生たちに隠れて交際、やがて婚約へ……

 が、カンディンスキーにはモスクワから連れてきていたロシア人妻アーニャがいた。妻のもとを去った彼(それでも妻を訪れ続けるが)と共に、ミュンターは長い旅に出る。5年ものあいだ、制作を続けつつ転々と放浪する日々。
 やがて再びミュンヘンへと戻り、ミュンターは二人のためにムルナウに家を買う。「ロシア人館」と呼ばれたこの家で、以降、ミュンターはカンディンスキーとともに毎夏を過ごす。ヤウレンスキーやヴェレフキン、クレー、マルク、マッケらも集うようになり、カンディンスキーは、マルクとともに「青騎士」を結成。

 当初から師カンディンスキーの強烈な影響を受けていたミュンターだったが、ムルナウのガラス絵や木彫り像などの民俗工芸から霊感を得て、独特の、力強く鮮やかな色彩を用い始める。彼女の絵自体はあまり評価されていないのかも知れないけれど、私は昔っから好きだったんだ。
 そして今度はカンディンスキーが、ミュンターのそうした画風から学ぶようになる。

 が、第一次大戦が勃発すると、カンディンスキーはあっさり、故郷モスクワへと去ってゆく。再会を願ってスウェーデンで待ち続けるミュンターだが、カンディンスキーは会おうとしない。そして数年後、彼がロシア革命の渦中、27歳も年下のロシア人ニーナと再婚していたことを知る。
 失意のなか、ミュンターはミュンヘンへ戻る。カンディンスキーもまた、妻を連れてドイツへと戻るが、二度と再びミュンターに会うことはなかった。それどころか、絵筆の取れない彼女に、自分の作品を返せ、と弁護士を寄こす……

 結局は故国ロシアへと帰り、ロシア人妻へと帰ることが自分でもおそらく分かっていた、野蛮と精神美を併せ持つ“ロシア的”なカンディンスキーを、才走り、理屈っぽく、女の教え子に諭されるのをおそらく快しとしなかったカンディンスキーを、なぜミュンターはあんなに一途に愛したのだろう?

 再び伴侶を得て、共にナチス迫害からカンディンスキーの絵を守ったミュンター。が、あのムルナウの家で一人晩年を送ったと聞くと、長生きはしたくないな、と思ってしまう。

 画像は、ミュンター「鳥たちの朝食」。
  ガブリエレ・ミュンター(Gabriele Münter, 1877-1962, German)
 他、左から、
  「黒い仮面とバラ」
  「雪のなかのコッヘルの小屋」
  「人形を抱いた少女」
  「無題」
  「自画像」

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暗の田園詩

 

 ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)に、ハンス・フォン・マレース(Hans von Marees)という画家の部屋があった。丸ごと一室、その画家の絵で埋まっていて、ムードの暗さでは圧巻な画家だった。
 神話や聖書、伝説を主題とし、人間と自然とが意図的に両方、そうあるべきものとして描かれている感がある。裸像が多いのだが、肉体表現はミケランジェロ風に強烈で、そのフォルムはかなり極端。歪んでさえいる。肌は肌の色というよりは肉の色で、肉厚のインパストと相俟って亡霊じみて見える。

 で、どんな画家なのか調べてみたのだが、よく分からなかった。

 象徴主義に括られるが、彼と同じような画家はすぐに思い当たらない。ので、ドイツ絵画史のなかでは多分、重要な位置にある画家なのだという気がする。19世紀後半、リアリズムには関心を示さず、ルネサンス様式へと回帰した画家……
 が、アクセスできる解説があまりない。日本て、メジャーな絵画史から外れた画家には、エネルギー割いてくれないからな。

 マレースはベルリンで学んだ後、ミュンヘンに移って絵を描いた。やがて、フィレンツェやローマを旅行。そこでルネサンス絵画に圧倒された彼は、これまで自分が学んだことなど無も同然だ、一から学び直さにゃならん! とラファエロやティツィアーノの模写に励むように。
 で、金欠だった彼からこうした模写を買ってやることで援助したのが、アドルフ・フリードリヒ・フォン・シャック(Adolf Friedrich von Schack)男爵。この人は幅広く絵画を収集していて、そのコレクションは現在、ミュンヘンのシャック・ギャラリー(Schack-Galerie)に展示されている。

 が、どういういきさつかシャック男爵とは絶交。イタリアにはいられなくなり、一旦はドイツに戻るのだが、すぐに芸術学者の友人、コンラート・フィードラー(Konrad Fiedler)の気前のいい援助を受けるようになる。この人は後にマレースの伝記を記した人で、マレースは彼とともにスペイン、フランス、オランダを旅行している。
 普仏戦争に従軍後、無事イタリアに戻ってからは、終生イタリアで暮らした。彼の最大の作品は、ナポリ海洋研究所付属図書館の壁面に描かれたフレスコ画だそうだが、この成功にも関わらず、その後、フレスコ画の依頼は一切なかったという。

 彼の描くテーマはストレートに高貴で、田園詩的。ロマンティックな叙情漂う古代の牧歌の世界が、彼の好むところだったのは分かる。
 が、美しいと単純に言い切れない構図、フォルム、色彩、等々。陰鬱な印象が後を引く。

 画像は、マレース「人間の四つの時代」。
  ハンス・フォン・マレース(Hans von Marees, 1837-1887, German)
 他、左から、
  「漕者」
  「オレンジをもぐ若者」
  「三人の騎手Ⅱ、聖マルティヌス」
  「竜を退治する者」
  「ダブル・ポートレート」

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世界に架ける橋(続々々々々)

 
 列車が来たので一緒に乗り込んだ。相変わらず話しかけてくる。
「ビスケットはいかが? あなたがたはお幾つ? まあ、断然若く見えますよ。あなたはまるで子供のような足をしてるわねえ!」

「もう二十数年前にもなりますが、私は本を二冊出版したんです。フランクフルト・メッセにも出しました。あなた方はドイツでは外国人だけれど、日本人から見れば私も外国人です。そんなことは小さな差異にすぎません。そこに橋を架けさえすればいい。人はみな、同じく喋り、笑います。橋を架ければ、異なる人々は差異を超えて共に喋り、笑うことができます。そういうことを、本に書いたのです」

 ドイツ最後のこの日、初めて、生身のドイツ人からその人本人の思想を聞いた。思想というにはいささか単純かも知れないが、確かに思想には違いない。そしてその思想は、ストレートに人間の普遍性について語っているのだ。
「すべての人があなたのように考えるなら、世界は幸福になるでしょう」と相棒が答える。

「あなた方はパートナー? 人生は共に語らい、旅するパートナーがいると、より素晴らしいものになりますよ」
 
 マインツでの別れ際、お婆さんは私たちの手を握った。
「さようなら! もうお眼にかかれはしませんが……」
 こうして、魔女のようなお婆さんに人間の普遍性について思いがけず念を押されて、私たちはドイツを後にした。

 画像は、ビンゲン、ナーエ川向こうの旧市街。

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