眩耀の色彩

 

 私がいつもフランツ・マルクとセットで思い出すのが、アウグスト・マッケ(August Macke)。どちらも名前が似ているし、内省的だったし、「青騎士」で活動したし、色彩と形態にドローネー的なオルフィスムの影響が感じられるし、第一次大戦で若くして戦死したし、云々。
 他方、マルクは自然のなかの動物を描いたが、マッケのほうは都会の余暇を思わせる人間の生活を描いた。フォルムはともに単純化されたが、マルクのフォルムは直線的で、マッケのは曲線的。

 マルクとマッケは仲が好く、そのマルクからマッケは“色彩の天才”なんて呼ばれている。マルクの色彩は独特の哲学に拠ったものだったが、マッケの色彩は天分だった。天分には勝てない。

 マルクに出会い、その縁故でカンディンスキー率いる「青騎士(Der Blaue Reiter)」の結成に立ち会ったマッケは、当然、ドイツ表現主義の中心に存在する画家として扱われる。
 けれどもマッケの絵には、多分にフランス的なところがある。この時代のドイツ絵画が全般にフランスの印象派、後期印象派、フォーヴィズム、そしてオルフィスム等々の影響を受けているのはもちろんなのだけれど……

 おそらく、マッケの絵が分かりやすいからだと思う。何を描いているのかも分かりやすいし、何を描きたかったのかも分かりやすい。彼には穏健な写実精神というものがあったのだと思う。

 好んで描いたのは日常の情景。都会の街路や湖畔の公園を散策する人々。フォルムは簡略化されているが、なお具象的で、光の結晶のように輝いている。
 この色彩の輝きに、おそらくマッケの一番の関心があった。プリズムを通したような透明な、鮮烈な色面によって浮かび上がる、対象の輪郭と陽光の塊。フォルムが単純になるほど、色彩は豊かになっていく。イメージは自然で現実的であるのに、画面全体のムードは幻想的。

 表現主義には時代の不安や頽廃、疑念、焦燥などを反映し、とにかく表現だ、表現だと主情的に描かれたものが多々あるが、マッケの絵にはそういうところが感じられない。
 ただ、単純化されたフォルムの結果、人間はまるでマッチ棒のような姿をし、その顔はマネキンのようにのっぺらぼうで表情がない。それが、抗いがたく大戦へと突入していった暗い時代、戦争の合意が急速に形成された異様な時代を思い合わせると、どこか不安げな雰囲気を醸している。

 マッケは、クレーがそれを転機に色彩を爆発させたチュニジア旅行に同行し、クレー同様、やはりアフリカの鮮明な光に強烈な衝撃を受けている。
 が、同年、第一次大戦に従軍、呆っ気なく戦死した。27歳。遺作は「さらば」と題されていたという。

 画像は、マッケ「遊歩道」。
  アウグスト・マッケ(August Macke, 1887-1914, German)
 他、左から、
  「帽子をかぶった画家の妻」
  「珊瑚の首飾りをした裸婦」
  「帽子店」
  「木の下の少女たち」
  「トルコのカフェ」

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色彩の宇宙

 
 

 プラハの国立美術館(ヴェレツジニー宮殿館)には、チェコの画家フランティシェク・クプカ(František Kupka)の絵が大量に展示されている。この人の絵は抽象画なのだが、抽象画を不得手なはずの私たち、時間を忘れて魅入る、魅入る! カンディンスキーとは大違い。
 おそらくクプカは色彩のことも、形態のことも、よく理解していたのだと思う。そして、彼独特の精神世界をはっきりと持っていたのだと思う。

 クプカは抽象絵画を描いた最初期の画家の一人。けれどもクプカのような抽象画は類を見ない。クプカの絵には生命の動きがある。時間の流れがある。カンディンスキーなんかよりもはるかに音楽性がある。
 カンディンスキーの絵は作り出されたものだが、クプカの絵は生まれ出たものだ。そういう感じがする。

 クプカは早くから超自然や心霊の世界に傾倒している。彼にとって美の追求は、霊的な異世界の追求の延長にあった。霊媒だった彼だから、交信するように画面に精神の世界を描き出そうとするのは当然のことだ。
 占星術や錬金術、秘教、オカルトにまでのめり込み、それらと同じものとして天文学や化学、光学、哲学をも極めようとする。初期に描かれた絵は寓意的、象徴的で、途方に暮れる迷宮のような幻想と神秘の空間。

 抽象化へと向かうともうあっという間で、現われたのは色彩を伴う形態の、あるいは形態を伴う色彩の乱舞。生命が細胞分裂するように色と形が発生し、不可逆的に変容していく。部分が緊密な連関を持ちながら全体を形作っていく。あるいは合理的な認識のように、直線と曲線が秩序正しく全体へと連続していく。
 自らの絵を色彩の交響曲と呼び、自らをその作曲家と呼んだ自負は侮れない。クプカ、凄。

 画像は、クプカ「活発な宇宙」。
  フランティシェク・クプカ(František Kupka, 1871-1957, Czech)
 他、左から、
  「生命の原理」
  「金銭」
  「大聖堂」
  「線、面、深み」
  「創生Ⅰ」

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花飾りの帽子の令嬢

 

 「青騎士」には二つのカップルがあった。一つはカンディンスキーとミュンター、もう一つはヤウレンスキーとヴェレフキン。前者の関係は分かりやすいのだけれど、後者の関係はよく分からない。 
 ヴェレフキンはヤウレンスキーの良きパトロンだった。これは確か。そして恋人でもあった。多分。

 マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(Marianne von Werefkin)は裕福で教養豊かなロシア貴族の令嬢。父は将軍、母は画家。
 ヴェレフキンの画才に気づいた両親は絵のレッスンを受けさせ、後には巨匠レーピンに個人指導してもらえるよう計らった。
 狩猟の際に誤って自分で自分の利き手を撃ち、指をぶっ飛ばしてしまったヴェレフキン。不自由になった手を、長い長い時間をかけて粘り強くに訓練し、再び絵を描けるようになるまで回復させる。そう、この人には不撓不屈の意志があった。
 写実の腕は成熟を見せ、“ロシアのレンブラント”とまで評判されるように。

 こんな彼女が、師匠レーピンに紹介された弟子志願のヤウレンスキーに、救いようもなく魅了されてしまう。
 自分の画業をほっぽり出して、歳上の貧乏士官で画家卵ヤウレンスキーの、絵と生活の両面倒を看始める。父親が死ぬと早速、彼を連れて、当時ドイツ美術の拠点だったミュンヘンへと転居、二人の家はたちまち、世界中の芸術家たちの集うサロンとなる。

 ヴェレフキンは、ヤウレンスキーが女癖の悪い浮気男だということを、当初から承知していたという。が、彼女がミュンヘンに同伴したメイドのヘレーネに、彼が手をつけて、子供を産ませる結果に到ったのは、さすがにショックだったらしい。
 じきにヴェレフキンが十年来中断していた画業に復帰したのも、画家を支え画家に尽くす道ではなく、画家自身としての道を、再び歩もうとしたからのように思える。

 第一次大戦が勃発すると、ヴェレフキンはヤウレンスキーとその愛人・子供とを伴ってスイスに亡命。けれどもロシア革命以降、ヴェレフキンはヤウレンスキーに贅沢な生活を提供できなかった。
 やがてヤウレンスキーは新しいパトロンを見つけてドイツに戻り、ヘレーネと結婚することでヴェレフキンと離別した。

 ヴェレフキンはスイスに残った。マッジョーレ湖畔のアスコーナが、貧困の晩年、終生の住処だった。

 ああ、ヴェレフキン。淑女然としていないのに、いつも花飾りのついた帽子をかぶっているところが可愛らしい。名前もスナフキンに似ているところが好もしい。

 画像は、ヴェレフキン「秋(学校)」。
  マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(Marianne von Werefkin, 1860-1938, Russian)
 他、左から、
  「青衣の女」
  「スケートをする人々」
  「ビアガーデン」
  「田舎道」
  「自画像」

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大きな顔しちゃって

 
 
 帰国の日、ドイツのヴィースバーデンにて、駅へ向かう途中、国立美術館に出くわした。前面にでかでかとヤウレンスキーの絵が掲げてある。
 ややっ、ヤウレンスキー先生! すかさず相棒が茶々を入れる。
「あ、チマルさんが無実の罪を着せてたヤウレンスキーだよ!」
 ……私、カンディンスキーとヤウレンスキー、それぞれ作品も略歴も間違いなくインプットしてるのに、ミュンターとのエピソードだけなぜか勘違いして、ミュンターを捨てたのはヤウレンスキーだと思い込んでいたんだよね。ま、どっちも似たり寄ったりだけど。

 ヴィースバーデンはヤウレンスキーが住んだ地。その日は空港に急いでいたし、どうせ月曜日なので休館だったのだが、こりゃ、罪滅ぼしにもう一度来なくちゃ、だな。

 ロシア出身の画家アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー(Alexej von Jawlensky)は、同じロシア人ということで、かのカンディンスキーとも交友があり、「青騎士」にも参加している。
 その美意識が自分にはどうしても分からない、という画家はたくさんいる。ヤウレンスキーもその一人。彼の絵を好きではないのか、と問われたら、「いや、そうでもない」と答えそう。なのに、彼の絵から何を感じるか、と問われたら、「さあ、よく分からん」と答えそう。そういう画家。

 ヤウレンスキーというのは、生涯ほぼ一貫して、人間の頭部(Kopf)を描き続けた。彼の人物画は、最初のうちはルオーの描線やマチスの色彩を思わせるものだったところが、だんだんに顔だけがクローズアップされていく。頭の上部も首許も収まり切らないほど、画面いっぱいになっていく。眼も鼻も口もフォルムはシンボル化され、それがますます抽象化されて、最後にはモアイ像のような、イコンのような、顔文字のような定型へと行き着く。
 彼がそんなにも顔ばかり描いたのが、どうした霊感やら天啓やらによるものなのか、私には分からない。単なる顔フェチだったのなら頷けるのだが……

 モスクワの士官学校に入学するが、余暇には絵を描き、トレチャコフ美術館に通って独学で絵の勉強。帝国士官になると、任地サンクトペテルブルクでアカデミーに通ってさらに勉強。
 巨匠レーピンの紹介で裕福な貴族の令嬢マリアンネ・フォン・ヴェレフキンを紹介され、弟子を志願する。

 なぜヴェレフキンがヤウレンスキーを受け入れたのか、よく分からない。とにかく以降、彼はこの女パトロンに絵と生活の両方の面倒を看てもらいつつ、行動を共にする。ミュンヘンに出、黙々と画業に勤しみ、やがてカンディンスキーらと親交を持ち、一時期はカンディンスキーの画風の模作を牽引、さらに「青騎士」に名を連ね、……云々。
 第一次大戦が勃発するとスイスに亡命、精力的に「顔画」を描く。その後、ヤウレンスキーは一人ドイツに戻り、ヴィースバーデンに居を構えて結婚。献身的なパトロンだったヴェレフキンと未練なく決別した。

 が、関節炎と麻痺が進行して思うように絵が描けず、ナチスによって「頽廃芸術」の烙印も押されて、ウィースバーデンでの彼はひっそりとしていた。ひっそりとしたまま死んでいった。

 画像は、ヤウレンスキー「女性の頭部」。
  アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー(Alexej von Jawlensky, 1865-1941, Russian)
 他、左から、
  「スペイン娘」
  「赤い帽子をかぶったショッコ」
  「彼と彼女」
  「驚愕」
  「抽象的頭部」

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ギリシャ神話あれこれ:白雪の悲運

 
 白人の子供の肌は透けるように白い。こんな白い肌ならいいな、とつい思ってしまうくらい白い。
 けれども子供時代を過ぎると、透けるような白い肌は実際に血管が透けて、白いというよりも赤く見える。また紫外線に弱いせいか、雀斑やシミがプツプツと目立つ。……白いっていうのも一長一短だな。
 当人たちは別にそんなことは気にならないらしく、化粧で隠そうともしないし、太陽が燦々と降り注ぐ時期には、爺さん婆さんたちまでノースリーブ、短パンという格好なのが好もしい。
 ……旅先の、ちょっとした観察の一つ。

 ダイダリオンの娘キオネは、「白雪」という名のとおり、雪のような白い肌の美しい乙女だった。ギリシャ神話では美女たちは神々に眼をつけられるのが定石だが、キオネもまた、アポロンとヘルメスの両神から求愛を受ける。
 と言っても、ギリシャ神話では、こうした求愛がロマンティックに展開した試しがない。キオネの場合も例に洩れず、先手、アポロンが老婆に化けて彼女に近づき、油断させてから、後手、ヘルメスが彼女を眠らせて、それぞれ強引に関係を結ぶ、という結末に。

 結果、彼女は身籠って、アポロンの子ピラムモンと、ヘルメスの子アウトリュコスという双子神を産む。

 が、ゼウスの子神たちの息子を儲けたことは、キオネには誇るべき幸運だったらしい。加えて、双子たちはそれぞれ父神の力を受け継ぎ、素晴らしく優秀な青年へと成長する。ピラムモンは竪琴の名手に、一方、アウトリュコスは窃盗の名手に(……おいおい)。
 いつしか思い上がったキオネは、両神を虜にした自分の美貌と、立派な息子たちとに慢心し、あるとき、つい、口を滑らせてしまう。
 私ってばもしかして、アルテミス神より優れているかも、と。

 こういうことは、嫉妬深くて激情的なギリシャの神さまに向かっては、決して言ってはいけない。
 もちろん、狭量でプライドも馬鹿高いアルテミスが聞き捨てるはずがない。躊躇なく百発百中の矢を放ち、キオネの不敬な舌を射抜いて、呆気なく息の根を止めてしまう。

 娘の不幸な死を嘆き悲しむあまり、父ダイダリオンは、パルナッソス山頂から身を投げ、娘の後を追う。
 アポロンは彼を憐れに思い、翼を与えて、彼を鷹の姿に変えたとさ。
 
 L.A.スコウ「キオネの死」。
  ルドヴィ・アーベリン・スコウ(Ludvig Abelin Schou, 1838–1867, Danish)

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