真実の愛(続)

 
 もう一人、モディに光を照らす存在である、美しい伴侶ジャンヌ。彼女の他にいくらでも愛人(子供も生まれている)がいたモディが、彼女を本当に愛していたのかは疑わしいが(この辺のところ、映画ではきれいさっぱり捨象されている)、彼女のほうは多分、モディを真に愛していたのだろう。

 ジャンヌの写真をいくつか見たが、彼女は、射抜くような眼差しでキッとこちらを見据えている。この人! と思い込んだら、殴られようが裏切られようが絶対に離れない、正常でないと言えなくもない、激しく執着する人柄を感じる。
 ジャンヌの両親は、娘のユダヤ人画家との結婚を許さず、生まれた子供を取り上げてしまう(ジャンヌは人形のように育てられてきたようにも見える)。が、彼女は親を捨て、子供を諦めて、モディとの生活を選ぶ。

 映画ではモディは、コンペでピカソと対決することになる。酒をあおりながらジャンヌを描くモディ。画家たちがそれぞれのアトリエで、狂気のように絵を描くシーンは、いささか陳腐だが、カッチーニのアヴェ・マリア(ただし、ラップ・バージョン)の、人間の魂の苦悩や格闘を祝福するような旋律が盛り上げてくれる。
 瞳のあるジャンヌの肖像。拍手に沸く会場。君の魂が見えたら瞳を描こう、というモディの言葉を思い出し、涙ぐむジャンヌ。

 こういうのって、どうなんだろう。モディリアーニはそれまでも、瞳のあるジャンヌを何枚も描いていたはず、という知識が邪魔してしまう。いかん、いかん。で、フィクションの絵が登場して、ちょっとしらける。
 が、まあ、モディリアーニが魂を描こうとしていたというのは、そうなのだろう。

 そう言えばこの映画、モディがピカソとともに、老ルノワール(これもそっくり!)のアトリエに訪れるシーンがある。
 もし女に乳房や尻がなかったら、私は絵描きにならなかっただろう、というのは、ルノワールの有名な言葉。こんなルノワールが、裸婦の胸や尻は触りたくなるように描かなければならない、と言ったところ、モディリアーニは憤慨して出て行った、というエピソードを聞いたことがある。
 モディリアーニの描く裸婦の官能性は他に類を見ず、実際、彼の裸婦画は、猥褻だとしてスキャンダルにもなった。が、そのデフォルメされた優美な曲線は、単なる肉感ではない、画家の美に対する魂そのものを表わしているように思う。

 ところで、映画では、少年時代のモディリアーニであるデドが、何度もモディの前に現われ、彼と対話する。デドはモディにしか見えない、モディの心の像なのだが、最後、モディの墓地で、墓前に佇む男が、デドの手を取って、共に去ってゆく。
 この男が誰だったのか、私にはよく分からなかった。ピカソだろうか。

 画像は、モディリアーニ「腕を広げて横たわる裸婦」。
  アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani, 1884-1920, Italian)

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真実の愛

 
 先週はモディリアーニ尽くし。「モディリアーニ 真実の愛(Modigliani)」も観た(監督:ミック・デイヴィス、出演:アンディ・ガルシア、エルザ・ジルベルスタイン、オミッド・ジャリリ、エヴァ・ヘルツィゴヴァ、他)。

 モディリアーニとジャンヌ、ピカソとその愛人オルガ、スーチン、ユトリロ、キスリング、リベラ、コクトー(これ、そっくりさん!)などの顔ぶれを、いかにもそれらしい俳優たちが扮していて面白い。
 モディリアーニの伝記としては安っぽいので、フィクションと割り切るべし。悲劇を好む後世はモディを不遇と言うが、悲劇的エピソードがないばかりにモディほど注目されなかった画家がいれば、そっちのほうが不遇だと思う。

 物語は、アメデオ・モディリアーニの死の1年前、第1次大戦後のパリ。若い芸術家たちと、彼らを取り巻く女たちとで毎夜賑わう、カフェ“ラ・ロトンド”。その熱狂的な芸術崇拝のムードなか、酒と麻薬に溺れ、絵も売れない、一人惨めなモディ。

 こんな、どん底のモディに光を照らす存在が、ピカソとジャンヌ。キュビズムによってすでに成功を得たピカソだが、彼を讚美しない人間が約一名、つまりモディリアーニ。
 で、ピカソは事あるごとにモディのプライドを粉砕しようとする。常に取り巻きを従え、できるだけ長生きして金を儲け、女を抱けという信条を敢えて口にするピカソを、モディは馬鹿にする。甲斐性なし、社会適応性なしのモディが、ピカソのおかげで高貴に見える。
 で、モディはピカソの宿敵として、誰もが一目置く才能ある異端的存在となる。

 私はピカソの絵も人柄も好きではないので気味好く感じたのだが、映画では、ピカソは本当に凡庸な、鼻持ちならない下種野郎として描かれている。実際のところ、ピカソってこういう人だったんだろうと、以前から思っていた。
 他方、モディリアーニのほうは、酔っ払って愛人を殴る、粗暴な人間だったが、下種ではなかったように思う。

 モディのような、生まれつきの魅力を持つ人間は、富や名声がなくても、相手のほうからやって来る。そしてそのことに慣れている。逆にそうではない、ピカソのような人間は(彼は絵を描くとき以外、独りでいることはなかったという)、周囲に人を集めるために富や名声を媒介とする。
 集まってきた人々は、富や名声に集まったのだから、彼らは、中心人物を筆頭に下種な集団になり下がるわけ。

 画像は、モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」。
  アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani, 1884-1920, Italian)

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モンパルナスの灯(続)

 
 実際には粗暴で傲慢で、典型的な人格破綻者だった(と思う)モディリアーニが、映画では、才能はあるが芸術に対してはいささか愚直な、儚く純な画家として描かれている。だから、どこまでも清純無垢な、美しいジャンヌへの愛を力に、起死回生を願って誠実に生きようとするようになる展開も、さほどメロドラマチックな感傷なしに見ることができる。
 こんな二人であるから、相変わらずの周囲の無理解、モディリアーニの貧困と飲酒という状況も、ただただ悲運で不遇なだけにしか見えなくなる。

 こうしたジャンヌの、良妻かつミューズぶりを際立たせるのが、かつての恋人ベアトリスの存在。
 美術解説でも、女を惹き寄せ夢中にさせたという美貌のモディリアーニの、真剣な恋人だった二人、ベアトリス・ヘイスティングスとジャンヌ・エビュテルヌは、しばしば対照的に評される。従順で情愛深かったジャンヌに対して、ベアトリスのほうは意志が強く、性格もきつくエキセントリックで、モディリアーニとぶつかり合い、暴力を振るい合った、というふうに。
 私は、実際のところ、ジャンヌもまたかなり意志が強く、感情が激しい女性だったと思うのだが、それはともかく、映画ではベアトリスは、さばけた眼で物事を見極め、凛然と、したたかに生きる現代風の女性として描かれ、結構好もしい。

 もう一つ、画商のズボロフスキとモレルも好対照。ズボロフスキは画家モディリアーニに惚れ込み、その絵の価値を信じて、献身的に彼を支える。一方モレルは、同じくモディリアーニの絵を評価しているが、その市場価値の高騰を見込んで、彼が死ぬのを待ち構え、彼の臨終を看取った上で、彼の死を告げることなく、絵が売れて喜ぶ夫の姿を想像して嬉し涙を流すジャンヌの前で、彼の絵を買いあさる。
 おい! 非情な冷血漢め、それでもお前、人間か! ……と観者に思わせる、不敵な悪役モレル。こいつがいるから、この映画、きれいに一つにまとまってるんだろうな。

 画像は、モディリアーニ「ビアトリス・ヘイスティングスの肖像」。
  アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani, 1884-1920, Italian)

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モンパルナスの灯

 
 東京開催のものが有名だが、なぜか同時期に名古屋でもやってる、も一つ別の「モディリアーニ展」。相棒がイベント映画を観たいと言うので、平日の上映日を選んで出かけることに。
 頭がガンガン痛いので頭痛薬飲んで、雨のなかペチャペチャと美術館へ。でも、帰ってきたときには元気になっていた。
 ところで平日って、爺さん婆さんが多い。で、後ろの席の爺いと婆あ、映画の最中にボソボソ喋るわ、モソモソ動くわ。デリカシーのない奴って、げんなり。

 観たのは、「モンパルナスの灯(Montparnasse 19)」という古いモノクロ映画(監督:ジャック・ベッケル、出演:ジェラール・フィリップ、アヌーク・エーメ、リリー・パルマー、ジェラール・セティ、リノ・ヴァンチュラ、他)。

 物語は、アメデオ・モディリアーニ最期の数年間を扱っている。彼はなお絵が認められず、すでに肺結核に冒されて、酒浸り、薬浸りの極貧生活。隣人の画商ズボロフスキなど、数少ない友人たちに支えられながら、孤独に、半ば絶望的に絵を描き続けていた彼は、あるとき、若く美しい画学生ジャンヌと出会い、恋に落ちる。が、彼女の官吏である厳格な父によって、二人は引き裂かれる。
 ズボロフスキに南仏に転地静養させられた彼は、そこで、家を飛び出してきたジャンヌと再会、束の間の幸福を得る。が、パリでの個展は、裸婦画が猥褻だという理由から警察沙汰となり、失敗。
 失意のなか、モディは街頭で倒れ、そのまま息を引き取る。

 To be continued...

 画像は、モディリアーニ「座る裸婦」。
  アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani, 1884-1920, Italian)

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