10時間睡眠同盟

 
 昼近くになって眼が醒めた。また自己嫌悪から一日が始まる。ふかふかした羽根布団にくるまって、他愛のない夢にだらだらと溺れていたらこんな時間だ。
 転がる鉛筆のように、コロコロと寝返りを打つ。いつまでもベッドにへばりついて寝そべる私は、「10時間睡眠同盟」でございます。あの人の買ってくれた羽根布団は、ぬくぬくと温かい。靴下を履かなくても足先が冷えない嬉しさで、私はペンギンのように伸びをしてみる。

 朗らかな、気持ちのよい秋の空なのに、狭い台所に積み上がった茶碗の山が眼についてたまらない。今日こそ洗い切ってしまわなければと思う。誰にもできる仕事など自分には向かないのだと言い訳し、こんなになるまでほったらかしにしていた、大怠け者の私です。
 お腹がすいても、一人ぽっちでは、めまいでもなければ食べる気持ちになどならない。ああ生活とは、なぜこうもめんどくさいのだろう。いっそ猫にでもなりたいと思うなり。時間外れのご飯を、ちょっとばかり食べる。
 
 あの人は気紛れに、夕方近くにハイ・ティーにやって来ることがあるけれども、それまでは私も絵を観たり、音楽を聴いたり、本を読んだりと、呑気に過ごす毎日だ。好物だからと玉葱を存分に入れて、しまりがなくなってしまったハンバーグのような生活なのです。
 何か事あれかしと思っていると、大嫌いだった伯父が死んだと聞かされた。案の定、涙のカケラも出ない私だ。葬式など行く気もないと断り、せいせいするなり。死んだことが、生きていたことの証明になどなるものかしら……
 今日は、オマケに釣られて298円で買ったインスタントのカプチーノを、一人で飲んだ。妙に胃がだるい。ああ私はなんとかもっと絵を描こうと思うなり。
 
 ああどこか遠くへ行きたい。よい天気なのだから、海でも見に行きましょう。こんな私のワガママを、あの人は気前よく聞き入れて、海岸沿いに自転車で半島を一周する計画を立ててくれた。
 自転車で風を切って走るのは気持ちがいい。先日、とうとう壊れてしまった古い自転車で、清掃センターまで乗りつけて処分し、帰りにはあの人の自転車の後ろに乗せてもらった。スカートの裾を端折って、背中にくっついて座っていると、このいい大人の二人乗りを、女子高生たちが奇妙な眼をしてジロジロと眺めている。
 風と自転車の揺れのリズムが心地よくて、私はウトウトとしてしまった。「寝るな、寝るなァ!」あの人の叫び声も、もう子守唄にしかならない。
 近所には田んぼなんてありはしないと決めつけていた私は、センターの周囲には逆に田んぼしかないことに気づいて、驚いてしまった。ああ今度こそ、近所を散策して絵を描くことにしましょう。海に行くときも、絵を描く道具を持って行きましょう。

 ……林芙美子の「放浪記」風に綴ってみた。現在、めんどくさい症候群。

 画像は、ロナー=ニップ「ハイ・ティー」。
  アンリエット・ロナー=ニップ(Henriëtte Ronner-Knip, 1821-1909, Dutch)
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バーチャルな人格(続)

 
 バーチャル世界で、「自分がそうありたい」と願うバーチャルな人格を作り、演じることは、自由なのかも知れない。それが、バーチャルでの醍醐味なのかも知れない。その意味で、PD(人格障害)がバーチャルを好み、インターネット中毒症となるのは、よく分かる。
 
 が、バーチャルな人格というのは、どこまで許されるものなのだろう。

 例えば、もう若くない女性が、「女性に年齢を尋ねるなんて失礼よ」とはぐらかすなら、私は別に気にならない。が、「私はハタチよ」と嘘を吐くなら、眉をひそめてしまう。
 私は、自分の言動に責任を持てなくなる時点で、バーチャルな人格は、バーチャルな人格を作らない人々にとって、迷惑になると思う。何はともあれ、人を騙すということに変わりはない。
 だから例えば、ウェブ掲示板に、好き勝手なことを散々書き散らし、あるとき突然、HNを抹消して、別の新たなHNで登場する場合。本人は、それで生まれ変わったつもりかも知れない。別人になったつもりかも知れない。が、人格というものは本来、一つしかないのだから、こうした行為は無責任としか言いようがない。

 バーチャルな人格を作るのには、多分、感覚の麻痺が伴うに違いない。一旦、度を越えてしまえば、バーチャルな人格を作らない人々は、バーチャルな人格を相手にしなくなるだろう。
 結局、現実のほうが常に豊かなのだ。

 画像は、ルフェーブル「日本風の娘」。
  ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル(Jule Joseph Lefebvre, 1836-1911, French)

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バーチャルな人格

 
 「金田一少年の事件簿」シリーズで私が白眉だと思ったのは、「電脳山荘殺人事件」。
 チャットで知り合った、互いにHN(ハンドル・ネーム)しか知らない7人の男女。彼らの初めてのオフ会で、殺人が起こる。彼ら7人は過去に、それぞれが完全犯罪の一部分ずつを分担し、ある人物を死に到らしめたことがあった。……という話。
 バーチャルでの肩書きや、性別までもが、実際のものとは全然違っていたり、バーチャルで「恋人」や「親友」という関係が成立していたり、などなど、あの頃は、「バーチャル」というものが、今一つ飲み込めなかった。
 
 「バーチャル(=仮想)」というのは、今日、ウェブ上に作られる、リアル(=現実)ではない世界を指すらしい。

 私はあまり詳しくはないが、外貌や性別や年齢、職業や社会的地位、家庭環境、あるいは居住地域など、具体的な属性に煩わされずにコミュニケートできるというのが、インターネット世界の最大の特徴だろうか。
 いわゆる「匿名性」というもので、この「匿名性」に乗っかって、「リアル」では困難な悪事の告発も、インターネット上では容易に行なわれ、かつ急速に広まる。反面、この「匿名性」は、誹謗中傷のような行為も容易に引き起こす。

 相棒によれば、バーチャル世界を自分の単なるリアル世界の一部分だと見做す人は、バーチャル世界でも、わざわざ自分を詐称せず、その結果、リアル世界での属性という仲介物抜きに、内実そのものを直接に交流し合うことができるのだという。逆に、バーチャル世界を自分のリアル世界と切り離し、そこでバーチャルの人格を演じる人は、実は、リアル世界でもバーチャル世界でも、偽りの自分でしかいられないのだという。

 To be continued...

 画像は、サーニ「人形芝居」。
  アレッサンドロ・サーニ(Alessandro Sani, active 1879-1921, Italian)

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負の遺産

 
 国際情勢が緊迫化して、なんだか暗く、重い気分の毎日。経済制裁で追い詰められた北朝鮮が38度線を越えて、朝鮮戦争が再び勃発して、ソウルが火の海になって、日本も急速に右傾化して、核武装して、……というのが、相棒の読み。
 この人の読みは早すぎるので、フツーの人からは事あれ主義だと思われがちだけれど、趨勢としては、いつもこの読み通りに進んでいく。

 戦争というのは本当にやり切れない。

 人間らしい生きざまがあるのと同様に、人間らしい死にざまというのがあるはずだ。不可抗力の自然死ならつくべき諦めが、戦争や人災や殺人による死ではつかないのは、それが、人間らしい死にざまではないからだと思う。
 だから、その死にまつわる憤りや、悲しみや、苦しみには、やり場がないのだと思う。それら憤りや悲しみや苦しみの血塗られた痕は、決して消えることがない。どれだけの時間が経っても、その死の直後と同じだけの憤りや悲しみや苦しみを伴って、心のなかに甦る。時間が経つほどに、いよいよその憤りや悲しみや苦しみの度合いを強めながら、終生心のなかに生き続ける。残された個人は、そうした憤りや悲しみや苦しみを、死ぬまで負い続けなければならない。

 そして、そうした死がもし意味を持つとすれば、それは、人類総体が、そうした死があった事実を継承する場合だけだと思う。醜い汚点だと隠してしまったり、どうにも仕方のない過去だと忘れてしまったりせずに、ただ、拭えない、だが繰り返してはならない事実として、人類の続く限り記憶される場合だけだと思う。
 だから、「負の遺産」というものがあるのであって、そうした類の遺産を理解し認識するからこそ、逆に、日々の喜びや楽しみにも、意味が出てくるのだと思う。

 画像は、ブリューゲル「死の勝利」。
  ピーテル・ビリューゲル(父)(Pieter Bruegel the Elder, ca.1525-1569, Flemish)
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ノルウェー絵画の民族派ロマン主義

 

 ナショナリズム(nationalism)というのは、「民族主義」、「国民主義」、「国家主義」、「国粋主義」など、様々な訳語があり、厄介なことに、それぞれ随分とニュアンスが違う。が、一般にナショナリズムは、19世紀、列強の帝国主義的覇権の傾向が強まるなか、市民階級を中心に、自由主義思想にもどづいて、民族や国家の統一・独立を目指して高揚した思想や運動を指す。
 このナショナリズムは当然、芸術にも反映され、ロマン主義の主要なテーマの一つとなった。民族派ロマン主義(National Romanticism)は、19世紀半ばに、ヨーロッパ、特にスカンジナビアやスラブ地域で、それら文化的・民族的な伝統やアイデンティティを喚起する様式として広まった。

 ドイツ・ロマン主義精神の中心が、ドレスデンからデュッセルドルフへと移ると、ドイツのアカデミーで学ぶノルウェー画家たちの活動の拠点も、デュッセルドルフへと移った。デュッセルドルフ派のロマン主義風景画は、フリードリヒに代表されるドレスデン派のものに比べて、概ね、より明快で親しみやすく、自然主義的な印象を持つ。
 デュッセルドルフで学んだノルウェー画家たちの絵も、この特徴を継承している。彼らの世代が、ノルウェー絵画史における民族派ロマン主義として知られている。

 その代表的な画家がハンス・ギューデ(Hans Gude)。彼は同時代、デュッセルドルフで活動したノルウェー画家たちを牽引した。
 デュッセルドルフのアカデミーで、オランダの動感ある風景画から強く影響を受けたアンドレアス・アッヘンバッハに学び、その光と影の細やかな、リズミカルな諧調を受け継いでゆく。
 湧き上がる雲間から差す光を映し、光に揺れる水面を描くギューデの絵。静謐だが表情のある、雄大で荘厳な風景。ノルウェー独特の山々や海岸、フィヨルドなど、自然の力強いイメージを描き、若くして、故国ノルウェーのみならず、ヨーロッパ各国で名声を得た。
   
 ギューデとともに、ノルウェー民族派ロマン主義の重要な画家として知られるのが、アドルフ・ティーデマン。彼のほうは、ノルウェーの伝統的な農民文化を主題として取り上げた、最初のノルウェー史画家と言われている。
 絵を学ぶためイタリアに向けて旅立ち、途中、立ち寄ったデュッセルドルフが気に入って、そこに落ち着いてしまったとか。

 ギューデとティーデマンが共同で制作した「ハルダンゲル・フィヨルドの婚礼航行」は、今日でもノルウェーそのものを象徴する絵なのだという。
 
 ロマン派画家たちは、ノルウェーの飾らない自然を描き、そこに暮らす、伝統的な衣装をまとった農民たちの生活を描いて、故国の風土の美しさを表現しようとした。
 こうした絵を観ると、描かれたノルウェーの自然美を、この眼でも見てみたい、と強く思う。

 画像は、ギューデ&ティーデマン「ハルダンゲル・フィヨルドの婚礼航行」。
  ハンス・ギューデ(Hans Gude, 1825-1903, Norwegian)
   アドルフ・ティーデマン(Adolph Tidemand, 1814-1876, Norwegian)

 他、左から、
  ギューデ「ハルダンゲル」
  ギューデ「サンドヴィカ」
  ギューデ「リンガーリカ」
  ティーデマン「祖母の花嫁冠」
  ティーデマン「銛漁」

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