ロシア民話を描く画家

 

 好みの問題でもあると思うが、私は、日本固有の文化を描いた洋画に、あまり感激したことがない。風景画には、たまにある。里山、杉や檜に囲まれた山道、稲穂の波や桜並木、日本海や瀬戸内海、信州の連山、それに城下町もまあOK。
 が、昔々の日本の伝統文化を描いたものは、全然ダメ。着物を着て髷を結ったような人物像もダメ。多分、感性が合わないんだろう。
 どうも、従来の日本画を、ただ油彩で描いただけ、という感じで、興味が持てない。

 だから、日本の民話、例えば金太郎や桃太郎を、油絵で描いた絵があっても、きっと興醒めしちゃうと思う。日本の神話には非人道的行為に利用された過去があるし、何より画趣に欠ける。

 ロシアのヴィクトル・ヴァスネツォフ(Viktor Vasnetsov)は、ロシアで最初に故国の伝説や神話、民話・民謡に取材して絵を描いた画家だという。
 昔ながらの民話や民謡の情景をそのままに残した、北ロシアの小村に育ち、司祭である父と同じく神学校へと進む。が、絵画への情熱は冷めやらず、とうとう両親の許可を勝ち得て、画家を志すようになる。

 馬に乗った騎士や、皇帝(Tsar)の息子(Tsarevich)や息女(Tsarevna)、雪のなかの童女、魔法の絨毯、ガマユンという、ギリシャ神話のハルピュイア(ハーピー)のような、女性の顔をした預言鳥、などなどが登場する、ロマンチックでファンタジックなヴァスネツォフの絵。異国の私なんかが観ても、その叙情的な雰囲気を感じることができるだけで、描かれた物語の内容にまでは思い及ばないのだが、ロシアではきわめてポピュラーなストーリーばかりなのだという。
 で、彼の絵は、ロシアでは屈指の人気を保っているのだそう。

 ちょうど移動派のスリコフや、写実絵画の巨匠レーピン、ロシア印象派の代表セロフ、象徴主義の鬼才ヴルーベリなどと同世代。これだけを見ても、この時期のロシア絵画の特徴を一括りにすることはできない。が、広く、故国の民族伝統の復活に努めていた時期ではあった。
 そんななか、ロシアの民間伝承から主題を得、それを、従来の民芸技術も用いて表現しようとしたヴァスネツォフの絵は、ロシア美術界にとっての一つの画期であり、ロシア絵画に新しい様式を創始した、と評価されている。

 昔、高校生のとき、文化祭での舞台劇のポスターを描かされた。農民が雨乞いするのに人身御供を捧げる昔話なのだが、どうもセンスに合わなかったので、淵に住まう水の姫を、自分好みに思い切りアレンジして描いてみた。好評だったらしく、文化祭の終わった直後に、誰かに盗まれてしまった。
 あれくらいアレンジしてもいいんなら、日本の伝統文化っぽい絵も、なんとか私にも描けるかも知れない。

 画像は、ヴァスネツォフ「灰色狼に乗ったイワン・ツェザレヴィッチ」。
  ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ
   (Viktor Mikhailovich Vasnetsov, 1848-1926, Russian)

 他、左から、
  「アリョーヌシカ」
  「岐路に立つ騎士」
  「地底の王国の三人の女王」
  「カエルの王女」
  「予言鳥ガマユン」

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     Bear's Paw -絵画うんぬん-
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魔法世界の魔力

 
 ここ数日は、「ハリー・ポッター」シリーズの最新刊を一気に読んで、寝不足。全7巻シリーズで、ようやく第6巻まで終わったところ。
 このシリーズの日本語訳者の思い入れが嫌いな上に、訳書の出るのも遅いので、私は毎回、相棒にねだって原書のペーパーバック版を買ってもらい、日本語訳に先んじて読んでいた。なのに今回、一年も待ったあげくに、ペーパーバックより訳のほうが先に出てしまった。ショック。

 子供の頃、上の弟から教えてもらった「ソーサリー」シリーズにハマってからは、SFと並んでファンタジーも読んでいた。もともとイギリスの雰囲気が好きで、世界文学のなかではイギリスのものを一番読んでいるし、なんだかんだで、「ハリー・ポッター」シリーズも結構面白く読んだ。
 魔法使いや魔女、妖精、ネッシーのような怪物、ゴーストなどなど、伝説の宝庫イギリスのファンタジーは、どれもみんなイメージ豊か。イギリスには、是非々々行ってみたいなー。

 シリーズは、ある日突然、魔法学校で学ぶことになった少年ハリーの、冒険の物語。不思議な魔法世界で、様々なものに触れ、様々な人に出会うなか、自分の過去の秘密や闇の魔法使いに立ち向かい、成長していく。
 
 相棒はこれを、一種の「教養小説」だという。実際には現実世界の諸問題を描いてるんだけれど、それをファンタジーという舞台に置くことで、よりシンプルに、クリアに設定できるのだという。
 そう言えば、訳では「闇の帝王」とか「ご主人さま」とかという表現になっているが、この「ダーク・ロード(Dark Lord)」、「マスター(Master)」って、「スター・ウォーズ」にも出てくる。ヴォルデモートはさしずめダース・ベイダー。
 短気で軟弱なうちの坊は、よく、ダーク・サイドには陥りたくない、と煩悶し、自分の良心と葛藤している。つまり、スポイルされた人間にはなりたくない、という葛藤。こういうファンタジーに借りた設定って、確かに分かりやすいのかも。

 ところでファンタジーには本当に、人を虜にする魔力があるらしい。うちの坊ですら、挿絵のない、活字だらけの分厚な本を、時間を忘れ、それこそ貪るように読む。
 坊の場合、呪文をすべて書き出して呪文集を作り、箸で作った杖を腰に差したり、タオルケットのマントを肩に巻きつけたりして、魔法使いなんて幼稚な真似までするんだけれど。

 画像は、バーン=ジョーンズ「魔法使い」。
  エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Burne-Jones, 1833-1898, British)
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GWの自然公園散策(続々々々々々々々々)

 
 でもまあ、もともと手漕ぎのほうは人気もないので、とうとう順番が廻ってきた。

 ライフジャケットを着込んで、いざボートへと乗り込む。ボートなんて、学生のとき、新入生の特権でボート部のボートに乗せてもらって以来。
「揺れても、動揺して立っちゃダメだよ。立つと、バランスが崩れて、ボートが転覆するからね」
 相棒が注意する。へー、ボートってそうなの?
 
 最初のうちはバチャバチャッとぎこちなく櫂を動かしていた相棒、そのうちコツをつかんで、ギーコ、ギーコと、あっちこっちに自在に漕ぎ始めた。
 ボート遊びをテーマにした絵は結構あるけれど、確かに画趣のある主題だと思う。

 精力的に漕いで、池をほとんどすべて制覇。この鞍ヶ池の真ん中には、昔、殿さまが投げ込んだ馬の鞍が沈んでいるのだとか。
 私たちが乗り終わる頃には、ボート時間終了。もうボートの浮かんでいない池は、ちょっと淋しげ。その代わり、ボート時間には禁止されていた、釣りをする人々が、ぽつぽつと姿を現わしていた。

 最後に、池畔の遊歩道を一周して、その日の満喫は終わり。

 前日も前々日もほとんど寝てなかったし、その夜はぐっすり眠るように言われたけれど、昼間、お馬に遊んでもらったのに力を得て、夜っぴいて、書かなきゃならない課題をすべていっぺんに書き終えた。
 お馬の力は偉大だねえ。またね、お馬。

 画像は、鞍ヶ池。

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GWの自然公園散策(続々々々々々々々)

 
 で、もう一度シスレーを観に行こうということになって、記念館のほうへ。
「受付が僕らを憶えてなかったら、また絵葉書がもらえるかも知れないね」と、相棒の奴、セコい思惑。そりゃ、主義だもんね。
 けれども、受付の女性、私たちを見るなり、にっこりと笑って、またいらっしゃったんですね、と言いたげな眼差し。……そりゃ、さっき、あれだけ入り浸ってたんだから、顔くらい割れてるよ。

 今度こそ絵を鑑賞し終わって、再び鞍ヶ池に戻った。もう夕方。

 池のボートの行列は随分減っていた。「これなら乗れそうだね」と、相棒が最後尾にくっつく。もう十分遊んだから、ボートくらい諦めてもいいけどな。

「時間がかかりそうだよ」と私。
「かなあ」
「さっきのトレインみたいに並ぶだけ無駄かもよ」
「かもね」
 けれども相棒、頑張って並んでいる。
「もしかして私と一緒にボートに乗りたいの?」
「まあ、まだ乗ったことないからねえ」

 そう言や、その昔相棒が、とある女子学生と一緒にボートに乗った思い出について、私ってば散々からかったっけ。ははははは。

 ボートの時間はもうすぐ終わるから、並んでいても乗れないかも知れない、と係員が忠告する。が、相棒、「多分、大丈夫だよ」と、並ぶのをやめない。
 そんなに乗る気なら、アヒルとかクジラの形をした、足で漕ぐタイプのほうに乗りたいな。が、相棒、手漕ぎのほうに乗ると言い張る。

 To be continued...

 画像は、鞍ヶ池公園、牧場の木曽馬。

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GWの自然公園散策(続々々々々々々)

 
 テントウ虫のトレインには乗れなかったが、小型バスに乗って、ガーデンのほうへと戻った。ガーデンから牧場へ行き、もう一度馬を見た。
 疲れたので、牧場とは反対側の傾斜の芝生で横になる。馬糞の臭いがするけど、ま、いいか。眠たくて、ついウトウトしてしまって、相棒に起こされた。
「三十分以上、寝てたよ」
 えー、うっそー? ちょっと眼をつぶってただけなのに、オーバーだねえ。

 丘を下ると、引退した名鉄電車の車両に出くわした。木で造られた古い電車。赤い車体が緑の牧草地にマッチしている。
「昔はみんな、木でできてたんだよ」と相棒。電車って、そうだったの?
 車両が展示されているすぐ隣の牧場では、さっき触った二頭の鹿毛の馬たちが、仲好く草を食んでいる。

 お馬にはもう満足したので、帰路に着く。てくてくと丘を降りて、鞍ヶ池のほうへ。池にはまだ相変わらず、ボートの行列ができている。
「乗れそうにないね」と相棒。だってタダだもん。

「名古屋の人は、がめついらしいものね」
「合理的で経済観念がある、と表現して欲しいもんだね」
 名古屋出身の相棒は当然、名古屋贔屓。一方私は京都出身だけれど、京都嫌いだし、阪神タイガースのファンでも、京都パープルサンガのファンでもない。

 出身地はどうあれ、とにかく、貰えるものは貰う、拾えるものは拾う、取れる利益は取れるときに取れるだけ取る、というのが相棒の主義。ただし、すべてこれ、人間の自由のために使うべし、という、オマケの主義付き。

 To be continued...

 画像は、鞍ヶ池公園、ガーデンの花々。

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