夢の話:無際限の恐怖(続)

 
 私は、一面同じ風景のなか、目印を定めてその方向に飛んでいく。なのに、いつまで経っても景色は変わらない。どこまで行っても同じなのだろうか。それとも、知らずに同じところをグルグルと回っているのだろうか。
 どこまでもどこまでも果てしなく続く、漫然とした茫漠たる風景。そこに、超存在の気紛れによって突如置かれた、ちっぽけすぎて存在しないも同然の自分。風景画家たちは、風景を愛していたわけではない。人間こそを愛していたはずだ。だから風景を描いたのだ。……こんな場違いな悟りが、ふと頭をよぎる。

 惑星のような巨大な空間に、ぽつねんと一人空を飛ぶ私は、釈迦の手のひらを飛ぶ孫悟空のような間抜けさだ。無に等しい、塵のような存在価値。
 ああ、巨大な視野が欲しい。この、惑星のような空間を一望に見渡せる、巨大な視野が! 果てしのなさに追いつめられ、そう心から切願したとき……

 にわかに視線を感じてぞくりとする。私は空を仰ぐが、何も見分けることができない。
 だが、確かに何かがじっと私を見ているのだ。例えば、生物の体内に住まう細菌は、自分にとってあまりにも巨大すぎるその生物を、理解することはできないだろう。同様に私も、この巨大すぎる空間を理解できない。何が私を見ているのかも、永遠に理解できない。

 私は、私を見る何かに対する畏怖に苛まれながら、虚しく空間を駆け続ける。だが、限りある存在が、このような無限の時空に身を置き続けることなどできるだろうか。
 やがて私は疲れ果て、気を失って、眼を醒ます。

 To be continued...

 画像は、チュルリョーニス「永遠」。
  ミカロユス・コンスタンチナス・チュルリョーニス
   (Mikalojus Konstantinas Ciurlionis, 1875-1911, Lithuanian)


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