コーヒーゼリー

 
 大学の同じゼミに、定年退職の年頃の、社会人学生のマジコフ氏とダマヤン氏がいた。
 結構対照的な二人で、マジコフ氏はガチガチのコミュニスト、ずんぐりむっくりで、いつも暑苦しい背広を着込み、本人その気はないけど居丈高な物言いをする。対してダマヤン氏はまあまあリベラリスト、ひょろりとのっぽで、デニムのシャツにジーパンという出で立ちだけれど、言動はいつも紳士的。
 で、マジコフ氏が失言するたびに、ダマヤン氏は眉をしかめる。

 私が「残りの余生、できるだけ楽して楽しく暮らしたい」なんて言ったりすると、マジコフ氏が耳敏くそれを聞きつけ、しゃしゃり出て、説教がましくまくし立てる。
「いや、あなた! そんなにお若いのに余生だなんて! まだまだこれからいくらでも未来がおありになるのに!」
 どうも、人間長生きするのが当たり前って前提があるんだな、この人。

 ダマヤン氏のほうは、困ったもんだと言いたげに鼻皺を寄せ、あとでこっそりと、にこにこ顔で私に助言する。
「いつ死ぬか分からないんですから、いつだって楽して楽しく暮らさなくちゃ」

 ところで、横柄なマジコフ氏は、前の瓶にまだ半分以上インスタント・コーヒーが残っているうちに、別の新しい瓶を買ってくる。しかも一番大きい瓶。
「だって、コーヒーは香りが命でしょう!」と、自分の気の回しように、いかにも自信たっぷり。
 だったら小瓶を小分けして買いなさい、と言いたげに口を引き結ぶダマヤン氏。

 結局、捨てるのは勿体ないから、私が、残った古いコーヒー粉でどっさり、カルーア入りのコーヒーゼリーを作り、研究室に持っていくのだった。

 画像は、ルノワール「コーヒーポット」。
  ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919, French)
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群れたがる人々

 
 某大学教授のピエーロ氏は、自分で自分の人徳と人望を吹聴し、自分のまわりに取り巻き集団をつくっていた。
 ハーゲン氏やデコルソン氏らは、自らそこに取り巻かれていた。彼らもまた、今ではどこぞの大学助教授たちだが、いずれも自分の研究室のHPに、自分がいかに人徳と人望があるかを学生たちに書かせている。

 普通、人が自分の取り巻き集団をつくる場合、彼よりも頭の悪い人々しか、その集団に取り巻かれることはない。だから、その集団の知的水準が、ボス以上であることはない。
 ボスになる人の知力が低ければ低いほど、彼は集団の質ではなく量で勝負しようとする。自分の集団に固執し、権勢を持たせようとすれば、さらにそうなる。彼は取り巻き集団の人数を増やそう、増やそうとする。
 こうして、頭の悪い人間のまわりに、もっと頭の悪い人間たちがうようよと群がる構図ができあがる。
 
 彼らは食人鬼(グール)なのだ。彼らは生きながら腐り、悪臭を放つ。だが自分が本当は死んでいることに気がつかない。
 彼らは人を喰らうことによってしか生きることができない。喰われた人間はグールとなる。そうやって、救いようもなく増えていくのだ。

 私の亡き友人は、「徳も人望も糞喰らえだ」と喝破した。彼の言い分が正しいのだと思う。

 私は群れたがる人間の抑圧的な言動を見ると、吐き気がする。本当に吐いてしまうこともある。別に極悪非道というわけではない。ただただ不快で、醜悪なのだ。げろげろげーっ。
 彼らが人間の皮をかぶっていながら、まるでスライムのような、形の定まらない、どろどろとした、得体の知れないものが中身に詰まっているように見えるのだ。

 画像は、ヨルダーンス「豆の王様」。
  ヤーコブ・ヨルダーンス(Jacob Jordaens, 1593-1678, Flemish)
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恐怖のゴキブリ軍団(続)

 
 夜、台所に行くと、黒くて大きいのとか、赤茶けたちっちゃいのとか、たくさんのゴキブリがてんでの方向に、カササササッ! と逃げていく。私は掃除機でズボッ、ズボッ、ズボッと吸い込む。こうした格闘を、この夏は3ヶ月も続けた。
 どんなに台所をキレイにしていても、ゴキブリたちはやって来る。何を食べるのか知らないが、何でも食べる。紙まで食べる!
 そして、所構わずプリ、プリとウンチをタレる。そして節操もなく、コロン、コロンと卵を産む。

 ゴキブリの卵って、細長い長方形の枕のような形をしていて、キザキザがついている。色は、おっきいのと同じゴキブリ色。で、そこから1ダースの赤ちゃんゴキブリが生まれるらしい。
 卵は床、押入れのなか、シンクのなか、籠のなか、……もう、どこにでもコロンと落ちている。が、どうやってくっつけるのかは知らないが、カーテンや壁や天井に貼りついているときもある。

 ある日、天井に黒い塊が動いていた。それは、卵から孵ったばかりの、1ダースものゴキブリの赤ちゃんどもだった。それらが固まり合って、卵の殻をムシャムシャと喰ってるのだ! 
 ……チビの赤ちゃんゴキブリを1匹見たら、あと11匹同じのがいると思わなくちゃいけない。
 
 大きいゴキブリはさすがに素早い。しかも、ピンチとなったときには、こっちに向かって羽を広げてブイ~ンと飛んでくる! げに恐ろしや、羽の生えたゴキブリかな!
 でも水には弱いみたい。誤って水の溜まったなかに滑り落ちたゴキブリは、焦りまくって脚をじたばたさせるけれど、2分もしないうちに溺れてプカ~ンと浮いたまま死んでしまう。
 わーい、ざまあみろ。

 来る夏は、巨大グモの子供たち、ベッチビの成長を待つばかりだ。とほほ。

 To be continued...

 画像は、ピサロ「床に坐る女」。
  カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro, ca.1830-1903, French)

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恐怖のゴキブリ軍団

 
 天敵が死ぬと、その生物は大量発生するという。巨大グモ、ベッカムが死んでからというもの、この夏の猛暑も手伝って、我が家では本当にゴキブリが大量発生してしまった。

 坊がアトピーなので、薬剤を使うことはできない。ベッカムの子グモ、ベッチビたちを見たあとなので、ホウ酸団子も、それを食べたゴキブリを食べてベッチビたちが死ぬかも知れないと思うと、使う気になれない。
 で、なんとも原始的なゴキブリホイホイなるものを幾つか台所に置いといた。

 それでも1日に5~6匹は、羽の生え揃ったゴキブリを見かける。そのたんびに掃除機でズボッと吸い込む。
 ゴキブリの何が恐ろしいかって、恐竜の時代から変わらない、あの姿! でっかくて、平べったくて、てかてか光って。触覚がビヨン、ビヨンと動いて、脚にはギザギザがついていて。見た目にはなんとも鈍そうなのに、それが物凄いスピードで、カサササササッ! と走り去るときの恐怖と言ったら!

 恐竜の時代には、あれが何万と群れをなして、空を黒く覆いながら飛んでいたという。マジ? 考えただけでも身の毛がよだつ。

 To be continued...

 画像は、ルノワール「床を掃く女」。
  ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919, French)

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ベッカム死す

 
 我が家の巨大グモ「ベッカム」は、夜毎、家中を徘徊し、せっせとゴキブリを喰ってまわったらしい。4年間、ゴキブリの姿はほとんど見かけなかった。私にとって、「夜中に徘徊するもの」から最初に連想するのは、痴呆老人でも暴走族でもなく、このベッカムだった。

 ある日、坊が興奮しながら言った。
「ベッカムに赤ちゃんが生まれたよ!」
 なんのこっちゃ、と思っていたが、そのうち、その意味が分かった。「ほらママ、足許にベッカムの赤ちゃんがいるよ!」と指を指された先には、確かにベッカムの雛型の、5センチほどのクモが這っていた。
「へー、ちっちゃいねえ」
 5センチのクモを思わず小さいと思ってしまった。……私は完全にベッカムが平気になっていた。

 夏になって、ぼそり、ぼそりとゴキブリが出始めた。
 何やってんだ、ベッカム。ちゃんと喰ってくれなきゃ困るよ。そう思っていた矢先に、ある夜、私はベッカムと鉢合わせした。ゴキブリよりも敏捷に走り去って姿をくらますベッカムなのに、やけにのろのろと動く。あれじゃあ、ゴキブリには追いつけまい。

 冷蔵庫の裏にうずくまるベッカムを、坊がつんつんと突っついた。
「ベッカム、きっと病気なんだよ」
 本当にベッカムはほとんど反応しなかった。風船のしぼんだように、腹がベコンとへこみ、そのまま永久に動かなくなってしまった。クモって、死ぬときは餓死するんだな。

 さようなら、ベッカム、と胸に祈りながら、相棒に、ベッカムの亡骸を掃除機でズボッと吸い込んでもらった。

 ベッカムのいなくなった我が家には、この夏、ゴキブリが大量発生した。

 To be continued...

 画像は、ルドン「泣く蜘蛛」。
  オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916, French)

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