言霊の力(続)

 
 だが、サイファ氏は見落としているのだ。言葉には責任が伴う。一度発せられた言葉は言霊という魂を持ち、宇宙の記憶に永遠に刻まれる。
 「言論の自由」が「内心の自由」と決定的に異なるのは、言うということが行為だという点、自分の外に向かっての働きかけだという点だ。言葉の内容が真実か否かに関わらず、言葉を発するという行為には責任が生じる。
 言うのは自由だ、が、それは、言ったことで生ずる不自由を引き受ける覚悟を伴う自由だ。

 サイファ氏のような人間は、自分の言葉を安易に取り消し、別の言葉で取り返そうとする。そうできるものと考えている。だから、自分を制しようとはせずに、嘲りや罵りの言葉が洩れるにまかせる。
 けれどもネオ氏のように、そのことに首をかしげる人間もいる。ネオ氏なら、嘲りや罵りの言葉の内容ではなく、嘲りや罵りの行為そのものに首をかしげる。

 そんなネオ氏に対する場合、サイファ氏が物を言えば、それはネオ氏へのアプローチとなる。
 アプローチとは普通、親しくなるために接近することを意味するが、この場合はベクトルが真逆を向いている。つまりサイファ氏は、物を言うことで、自ら、ネオ氏から遠ざかっているわけだ。

 サイファ氏は自ら発する言葉に重きを置かない。だからサイファ氏には、ネオ氏に対して自分がマイナスのアプローチをしたという自覚がない。
 サイファ氏の眼にはネオ氏が、ネオ氏のそばにいたトリニティ氏とともに、自分から離れていったように映るだろう。サイファ氏が自分をネオ氏の親友だと思っていればいるほど、サイファ氏は、トリニティ氏のほうがネオ氏にアプローチし、ネオ氏を自分から引き離したに違いないと思うだろう。

 だが、そんなサイファ氏だから、ネオ氏は、サイファ氏が自ら勝手に自分のもとから離れていくのを、放っておくだろう。

 画像は、ヨン・バウエル「広い広い世界へ」。
  ヨン・バウエル(John Bauer, 1882-1918, Swedish)

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言霊の力

 
 例えばの話。ネオ氏とトリニティ氏は親友同士だった。彼らは普段は緩い絆でもって、互いに空気のように無味無臭に、近しくそばにいる。が、いざ離れようとすると、クォークのように互いの引力が強まり、離れれば離れるだけその力は増して、離れることができない。
 彼らはそれぞれ、異なる時空で個別に育んだ価値観を持っていたが、それはつき合わせてみると、ほとんどずれることなくぴったりと一致するのだった。

 そんな彼らに、ネオ氏の親友を気取りたいサイファ氏が対峙する。サイファ氏は往々、ネオ氏に言う。
「お前はトリニティの言いなりだ」
 だがサイファ氏は、異なる局面において、ネオ氏の同じ言動を取り上げて、「トリニティはお前の言いなりだ」と、真逆を言うこともあることを、忘れているのだ。

 そう言ったことで、サイファ氏は何を暴露してしまったのだろう。
 一つは、サイファ氏はネオ氏を、ネオ氏自身の価値観を持たない無主義・無思想の人間だ、と見なしているということ。
 もう一つは、サイファ氏が、ネオ氏はトリニティ氏をトリニティ氏自身の価値観を持たない無主義・無思想の人間として扱っている、と見なしているということ。
 さらにもう一つは、サイファ氏自身が、ネオ氏の価値観を見る眼を持たない無主義・無思想の人間だということ。

 サイファ氏は、そのときどきの自分の気分や感情、主観的な解釈、そう思いたい・思いたくない、あるいは信じたい・信じたくないの希望で、ネオ氏に物を言ってくる。サイファ氏の言葉はサイファ氏の、そのときどきにあっては真実の気分・感情、解釈、希望であるという意味で、真実である。
 そして物を言うのに、「言論の自由」という権利を持ってくる。つまりサイファ氏は、自分には真実を言う権利がある、と主張する。

 To be continued...

 画像は、M.ストークス「カプリの魔女」。
  マリアンヌ・ストークス(Marianne Stokes, 1855-1927, Austrian)

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ギリシャ神話あれこれ:アトレウス兄弟の復讐合戦(続々々々々々)

 
 テュエステスが王位に就くと、アトレウスの子アガメムノンとメネラオスは、乳母の手によってミュケナイを逃れ、諸王のもとを転々とする。やがて二人は、スパルタの王テュンダレオスにかくまわれて育ち、青年となる。

 王には美貌の双子の娘、クリュタイムネストラとヘレネがあった。このスパルタ滞在時に、アガメムノンは、クリュタイムネストラに恋慕したのかも知れない。
 が、クリュタイムネストラのほうは、アガメムノンの仇敵であるテュエステスの息子タンタロス(なぜテュエステスの殺された子が生きているのか、ちょっと分からないのだが)に、さっさと嫁いでいった。タンタロスとクリュタイムネストラは、案外に相思相愛だったらしい。

 さて、アガメムノンとメネラオス兄弟は、テュンダレオス王の後ろ盾を得て、王位を奪還すべく、大軍を率いてミュケナイへと攻め入る。
 テュエステスはあっさりと敗れ去る。彼はヘラ神の祭壇に逃れ、隠棲を誓い王位を明け渡して、ミュケナイを追われる。
 アガメムノンはテュンダレオス王に、クリュタイムネストラを妻に得てもよいとの約束を取りつけていたので、ミュケナイ奪還の機に乗じて、彼女の夫タンタロスを、その幼子もろとも、容赦なく殺してしまう。

 が、肝心のアイギストスは逃げ延び、復讐を誓うのだった。

 こうして今度は、アトレウスの長子アガメムノンがミュケナイ王となり、クリュタイムネストラを妻とする。また、次子メネラオスは、テュンダレオス王のもう一人の娘ヘレネを妻に得、義父を継いでスパルタ王となる。アガメムノン兄弟は、ギリシア諸王盟主として、絶大な権力を持つに到った。

 が、この後、運悪しくトロイア戦争が起こる。アガメムノン兄弟がトロイア遠征へと向かう一方、アイギストスは、アガメムノン王の不在に乗じてミュケナイに舞い戻り、王妃クリュタイムネストラと情を通じる。
 二人はやがて共謀し、凱旋当夜に、アガメムノンを殺害することとなる。

 画像は、ゲラン「眠るアガメムノンを殺害する前に躊躇するクリュタイムネストラ」。
  ピエール=ナルシス・ゲラン(Pierre-Narcisse Guerin, 1774-1833, French)

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