夢の話:閉鎖系の恐怖 その2

 
 超高層ビルディングに迷い込むこともある。こちらも、だだっ広い古い家屋敷のときと同じように、スルーしても次から次へと部屋が現われて、外に出ることができない。
 私には、横に広い家屋敷よりも、縦に長いビルのほうが怖ろしい。

 私はもともと、高い建物が好きではない。それが鉄筋コンクリートの建物だったら、なおさらそう。クリーンでスタイリッシュかも知れないが、無機的なのが嫌なのだ。
 で、夢の世界で古い家屋敷が不気味なのは、旧弊さから来る迷信や偏見が怖ろしいからなのだが、同様に、夢の世界でビルディングが不気味なのは、この無機的な空気の醸す、生命や人間性に対する軽視・無視が怖ろしいからだ。

 だだっ広い家屋敷に迷い込むときは、最初は小さな家だったところが、いつのまにか次々に部屋が現われる。同じように、ビルに迷い込むときも、やはり最初はありきたりの建物、例えば学校や病院、オフィスやホテルだったりする。
 まず、ああした建物によくある、廊下が奥へと続き、その両側にドアが並ぶ、というシーンから始まる。ドアを開けると空疎な部屋がある。部屋には、ドアとは反対側に窓があることもある。窓の外には大抵、中庭を挟んで、同じ建物の別棟がある。

 私は空を飛べるので、窓を通り抜けて外に出ることもできる。が、こういうビルディングが舞台のときは、外の世界は戦場か、独裁政権下の監視社会か、人類滅亡後の廃墟か、あるいは生命の気配の一切ない、ガラスと金属張りの不吉な未来社会か、……とにかくまあそんなような世界であることがほとんどで、出たら出たで別の恐怖に直面することになる。

 To be continued...
 
 画像は、S.J.ガイ「危険の自覚なし」。
  シーモア・ジョセフ・ガイ(Seymour Joseph Guy, 1824-1910, American)

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