昼顔

 
 ケッセル「昼顔」を読んだ。

 外科医である夫ピエールを深く愛する若妻セヴリーヌ。あるとき彼女は急性肺炎にかかって死にかけるのだが、病気から回復する過程で、自分の肉体に対する愛情、肉体的な喜悦、情欲を感じることに。

 彼女は、自分が夫に喜びを与えることにしか、喜びを持たない。夫に対して、妻と言うよりはむしろ母のよう。
 かつて夫と関係した女たちが、夫から愛されてなどいないのに、死ぬほどの肉体的喜悦を与えられたことを想像する彼女は、愛し合っている自分たち夫婦のあいだにそうした満足がないことに、寂寞とした不条理を感じる。が、性的な含意のない強い友情で、やはり二人は結ばれている。

 放蕩的な、夫の友人ユッソンを嫌悪するセヴリーヌ。が、見舞いに来た際に彼が触れた瞬間、彼女は嫌悪感より早く快感を意識し、お互いの本能欲を見て取って、彼が自分の共謀者のような気になる。

 で、セヴリーヌは、性に対する本能的な関心から、名状しがたい衝動に駆られて、ユッソンに教わった売春宿を訪れる。爾来、彼女は、昼間だけ、「昼顔」という名の娼婦となる。

 To be continued...

 画像は、モリゾ「起床」。
  ベルト・モリゾ(Berthe Morisot, 1841-1895, French)

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デイジー・ミラー

 
 ジェームズ「デイジー・ミラー」を読んだ。これは親しみやすかった。

 ジュネーヴに住むアメリカ青年ウィンターボーンが、スイスのヴェヴェーで、旅行中のアメリカ娘デイジー・ミラーに出会う。彼女は、感嘆の言葉もないほどの美人。
 慎みがないわけではないが物怖じせず、率直で無邪気で、奔放で快活なデイジーに、ウィンターボーンは当惑しながらも魅了される。

 開放的なアメリカ人気質をさらけ出すデイジー、ヨーロッパでの、礼節を重んじる旧弊なアメリカ社交界から、顰蹙を買い、次第に爪はじきにされるデイジーが、ウィンターボーンの眼線で描かれる。彼はデイジーに夢中なので、彼を通して語られる彼女のイメージは、概ね魅力的。
 が、その魅力に心惹かれながらも、彼は、自分の理解を越える彼女の行動に頭を悩まし、あるいは好意的に彼女をかばい、あるいは外聞を気にして彼女を非難する。ウロウロする彼を尻目に、彼女はと言えば、ハンサムな男性たちとの交際を楽しむ。

 解説では、若いアメリカ社会と伝統あるヨーロッパ社会との文化的相違、そこから生じる内面心理を、取り上げているとある。が、デイジーが、ウィンターボーンを含め、ヨーロッパのアメリカ社交界の眼に、「粗野で無教養な浮気娘」と映るのは、ひとえに、彼女が社交上の因習的礼儀を欠いているからにすぎない。それを「文化的相違」にまで敷衍するのは、いかがなものかと思う。
 ジェームズ自身は、ニューヨークの裕福で教養ある家に生まれ、アメリカとヨーロッパ双方で教育を受けたが、結局ヨーロッパに永住している。ジェームズが文化的、芸術的な深さや重さや濃さを希求して、ヨーロッパに移ったのなら、彼の批判の対象はむしろ、欧州風の品性に囚われ、紳士・淑女然として、デイジーを「下品」だとこき下ろす、ヨーロッパのアメリカ社交界の側のようにも感じる。

 こういう小説って、現代人が読んでも、いまいちピンと来ない気がする。現代人からすれば、デイジーは、とにかく天然自由な自然児にすぎない。デイジーの場合、美人だし、内省的なところがなくて外交的だから、そうした自由闊達さが際立って見えるけれど、特に魅力的とか不可解とかいうキャラクターではないと思う。
 興味深いキャラクターに、出会い損ねた感じ。
 
 画像は、W.M.チェイス「若い娘」。
  ウィリアム・メリット・チェイス(William Merritt Chase, 1849-1916, American)

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ギリシャ神話あれこれ:カラスの失着

 
 カラスというのは非常に賢い鳥らしい。人間社会に適応し、針金ハンガーで巣を作るし、器用にゴミをあさるし、車を利用して胡桃を割ったりする。
 誤ってカラスを自転車で轢いてしまった相棒の友人は、そのカラスに思い切り睨まれ、カラス全快後、ウンチ爆弾で復讐されたのだとか。カラス、怖るべし。

 テッサリアのラリッサの王プレギュアスの一人娘コロニスは、美しく、いつしかアポロン神の寵愛を受けるようになる。そして、彼の子を身籠る。
 多忙なアポロン神は、使いとして、一羽のカラスをコロニスの許に送る。このカラス、銀色に輝く見事な羽を持ち、言葉も自在に喋る。銀翼のカラスはメッセンジャーとなって、アポロンとコロニスとのあいだを往復する。

 あるとき、カラスがコロニスの許に赴くと、彼女は、イスキュスという若い男と親しげに語らっていた。カラスは一散にアポロンに注進する。
 これは、実際にコロニスが心変わりしたのだとも、あるいは、カラスの勘違いで、イスキュスはコロニスの幼馴染にすぎなかったとも、あるいはまた、道草して遅くなったカラスが、コロニスの様子を見ないまま、まったくの虚偽を報告したとも言われる。

 とにかく、短気なアポロンは早とちりして、トンマなことに、カラスの告げ口を鵜呑みにする。そして、コロニス本人に確かめもせずに、逆上し、激怒の勢いで死の矢を射る。矢はコロニスの胸にはっしと刺さり、彼女は息絶える。

 さて、コロニスを殺してしまってから後悔にさいなまれたアポロンは、怒りの鉾先をカラスへと向ける。彼は、コロニスの喪に永遠に服すよう、カラスの羽を真っ黒に染め、お喋りな言葉も取り上げる。以来、カラスは黒い醜い姿で、ガーガーと嗄れ声で鳴くのだとか。
 このカラスが、からす座。
 
 なおアポロンは、コロニスの胎内から赤ん坊を救い出し、半人半馬のケンタウロス、ケイロンに預ける。これが、のちに医術の神となるアスクレピオス。

 別伝では、このカラスは、アポロンに水を汲むよう命じられ、クラーテルというコップ(優勝杯のような形のもの)を持って、泉へと向かう。途中、ふと、イチジクの木を見つけたカラス。イチジクの実がまだ熟していなかったため、食べ頃になるまで、寝て待つことにする。で、遅れた口実に、泉にいたミズヘビを加えて帰り、こいつが水を汲むのを邪魔したんです、とアポロンに言い訳する。
 カラスの嘘にプチ切れたアポロンは、カラスを黒い羽と嗄れ声に変えてしまったという。

 罰としてカラスは、うみへびの尾近くとまり、くちばしを伸ばしてもコップに届かない、星空の位置にいるのだとか。
 これが、からす座とうみへび座とコップ座。

 真っ黒い羽に嗄れ声、考えてみると、随分とケッタイな鳥。私はカラスって、結構好きなんだけれど、最近は鳥インフルエンザのせいで、怖くてちょっかいを出せずにいる。

 画像は、エルスハイマー「アポロとコロニス」。
  アダム・エルスハイマー(Adam Elsheimer, 1578-1610, German)

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スリーピング・マーダー

 
 ここ数日、日本のファシズム復活を迎えるべく群衆心理に直面して、脱力状態になっていた。脱力すると、クラゲのようになる。気力が萎えてしまって、何かするのが億劫になる。起き上がるのすら億劫で、ゴロゴロと寝転がって過ごすしかなくなる。
 そんなときは、時間が勿体ないので、音楽を聴きながら本を読む。本と言っても、心を使わずに済むミステリーを読む。

 私はミステリーが特に好きというわけではない。が、「警部補・古畑任三郎」は全部観たし、「金田一少年の事件簿」も全部読んだ。ついでに、坊のせいで「名探偵コナン」のTVも眼に入ってくる。
 どれも結構人気のあるものばかりだから、日本国民はせめてミステリーから思考順路を学んでいるのかと思いきや、逆に無思考のほうへとベクトルが向いているらしい。ま、だから私はクラゲ状態だったんだけど。無思考、怖るべし。

 私の場合、作家を読み比べできるほどミステリーを読んでいない。子供の頃は、父の買ってくる松本清張や森村誠一を読んでいたが、最近じゃアガサ・クリスティしか読まない。
 別に、クリスティのファンというわけじゃないし、クリスティが特に優れていると思ってるわけでもない。ただ、なんとなく読んでしまうのは、イギリスの上流階級の生活を垣間見ることができるからかな。

 今回読んだのは、「スリーピング・マーダー」。眠れる殺人、という意味。ミス・マープルの最後の事件らしい。
 イングランドに来たばかりの新妻グエンダが、海辺の町の古風な別荘を、一目見て気に入り、購入するのだが、初めてのはずのその家を、なぜか知っているように感じる。庭に埋められた階段や、塗りつぶされた部屋の扉、戸棚の奥の古い壁紙。そして劇場の台詞とともに、ヘレンという女の死体と、絞め殺した男の猿の前肢のような手が、彼女の記憶に甦る。

 私は、どちらかと言うと、ミス・マープルよりもポワロのほうが好み。マープルは、かなり上品な老婦人らしいのだが、それでも、お喋りで詮索好きな婆さん、というのは、ちょっといただけない。
 が、年齢を取ると、ミス・マープルが可愛らしく思えてくるのだという。……ミス・マープルをうるさく思うのは、私がまだ若い証拠?

 とにかく、早くクラゲ状態から脱出したい。先日、クラゲのまま絵を描いてたら、なんだか、どよ~ん、と落ち込んだ顔になってしまった。嘆かわしい。

 画像は、モリゾ「イギリス海景」。
  ベルト・モリゾ(Berthe Morisot, 1841-1895, French)

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素人投資家の像(続々)

 
 たまに母は、わざわざ株券(裏面に売買手名が記載されているらしい)を手にしてしげしげと眺め、
「機関投資家って、株価の上がるこーんなに前に、売っちゃってるのよねー」と、しきりに感心していた。
「個人投資家ってカモなのよね。ほらバカ、こんなときに売っちゃってるわよ、プクククク……」
 カモにならないことが、投資家としての母の最低限の誇りなのだった。

 で、ライブドア・ショックのような暴落時にも、それを楽しむ。
「暴落って楽しいわ! もっと下がってちょうだい、下がってくれなきゃ買えないじゃないのっ!」

 こうして母は、無学なわりには、さすが投資家、合理的な考え方をするところもあって、今から思えばちぐはぐな人だった。
 母が投資をしていて得たものとは、利益と、社会の動きについての知識と洞察、自由時間、そして何より、「お金に対する執着がなくなったこと」だった。

 母の教訓とは、次の二つ。
「稼ぐためには、働いてはいけない」
「死ぬときに残せるモノ、自分と一緒に灰にならないモノには、手に入れるだけの価値などあまりない」

 ……で、その教訓のせいかどうか知らないが、私は、「勤労」にも「金銭」にもほとんど縁がない。

 画像は、ボス「死と守銭奴」。
  ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch, ca.1450-1516, Netherlandish)

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