文学青年、復活

 
 昔々。ある青年学生が文学概論を受講していた。
 彼は理系で、文学部の連中とは顔馴染みでない。大教室のなか、一人、ぽつねんと席に着いている。傍らには、ノート代わりに使っている、裏が白紙の広告の束と、現在読進中のカロッサ。論理を重んじる彼なので、まずドイツ文学から制覇してやろう、なんて思っていたりする。

 そこへ、同じく文学概論を受講している、文学部のマドンナ登場。細く長い髪に、ほっそりとした華奢な身体。上品なワンピースの似合う、可憐な乙女。青年は彼女を、「緑のハインリヒ」のヒロインの一人、アンナのようだ、と思っている。
 マドンナは教室を見渡し、青年のもとへとやって来る。そして、ごく当たり前のように彼の隣の席に座る。
 その途端、教室は、おお、とひそかにざわめき立つ。あの男は一体誰だ、という好奇、驚愕、羨望の空気が満ち満ちる。

 別に二人は特別な関係というわけじゃない。同じバイオリンを弾くオーケストラ仲間。……青年は最後までそう思っていた。
 思い返してみると、キャンパスで同じようなシチュエーションが何度かあったような気もする。あれは彼女からの慎ましいアプローチだったんだろうか。それからずーっと後になって、青年はふとそう考えたのだそうな。

 いつしか青年は、文学なんてさほど読まなくなってしまって、読まないことを気にかけもしなくなった。

 さて、話は変わって、相棒の奴、最近どういう訳だか、猛烈な勢いで文学を読破している。
 「面白いんだよ、これが」と、わくわくしながら、次に読む本を漁る。読んだ本には丁寧に、裏の白い広告の紙でカバーし、表題を書く。
 その白い領域が本箱のなかに増していくのが嬉しいらしい。もともとが古本なのに、本を汚すなと私に注意し、本のカバーを汚すなと言って上から包んだ広告のカバーを、これも汚すなと注意するので困る。

 で、前頭葉不調で以前ほど読まない私に、読んでるか、何を読んでるか・読んだか、何冊読んだか、といちいち尋ね、現在何ゲーム差だね、と喜ぶ。
 あー、敵わない、敵わない。すんげ、すんげー。

 画像は、クストーディエフ「ボルガ川にて」。
  ボリス・クストーディエフ(Boris Kustodiev, 1878-1927, Russian)
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