ごめんよ空、ごめんよ海、ごめんよ大地

 
 震災直後から、福島原発事故をウォッチしている。以来いつしか、幼稚な言葉を自然と伴って、常に心のなかで詫びている。ごめんよ空、ごめんよ海、ごめんよ大地……

 「低濃度」という言葉でごまかしているが実は法基準の100倍もの高濃度放射能汚染水を、政府が故意に海へと放出したとき、ああ、日本はとうとう犯罪国家になったのだ、と実感した。
 フセインの暴挙など比較にならない、人類史上最悪の海洋汚染を犯した国家と企業の担い手たちが、万死に値するというのは、その通りだと思う。原発横に何万トンものプールを掘り、そこに汚染水を貯蔵すれば、日本の大地は汚染されるけれども、せめて海には廃棄せずに済む。地震列島全土に原発を林立してきた愚行の責任を取るには、それくらいの覚悟が必要だというのも、その通りだと思う。

 高濃度汚染水を海に捨てたのは、それよりも桁違いに高濃度の汚染水の処理に困ったからだ。場当たり的な、捨て鉢で破れかぶれの対応。つまり、そこまで追い込まれているわけだ。

 より悪化する可能性、最悪の可能性については、良心的な識者たちが事故直後から警告してきた。が、政府もマスコミも、一貫して安心・安全を繰り返した。事故評価をレベル7とせざるを得なくなった今も、繰り返している。
 汚染された空気を、レントゲンやCTスキャンを引き合いに出し、問題ないと主張する。
 汚染された農・蓄・海産物を、安心・安全だと喧伝する。実際は汚染被害であるのに、「風評被害」という言葉にすり替えて、それらを購買しないなら、被災地復興に非協力なのだと非難めく。
 梅雨時には全域での水の汚染が懸念されるのに、水源の確保を検討しようともしない。

 異常な放射能を大量に放出しておいて、その正確なデータを公表せず、健康被害を警戒する意見や行動を間違いだと批判する。一方で、「ひとつになろう!」とセンチメンタルなキャンペーンを展開する。
 すべてがインチキとデタラメだ。私に言わせれば、ファシストのやることだ。

 そして、国民は“茹で蛙”となる。破局を迎えなければ思い知らないのなら、破局を迎えるべきなのだ、というのは、その通りだと思う。

 画像は、クレー「荒廃した地」。
  パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940, Swiss)
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