崩壊した生態系(続々)

 
 さらに。ゴキブリがいなくなった後、なぜか再び巨大グモが姿を現わしたのだ! なんで今さら? もしかして、デカいゴキブリが死滅して、餌に困って出てきたのだろうか?
 坊はこれをロナウジーニョと命名し、何度も外に逃がしてやろうとしたのだが、さすがにゴキブリを捕食する天敵、速いのなんの、捕まらない。
 仕方ない。手に負えないチャバネゴキブリを喰ってくれるだろう、と甘く期待して、放っておいた。
 ……ところが、ある日、怖ろしいものを目撃する羽目に。
 
 洗濯場の壁に、ロナウジーニョを抱えて、さらにそれより大きな巨大グモが貼りついていたのだ! このロナウドは、ロナウジーニョを喰ってしまったのだ!
 こいつら、カマキリみたいに交尾した後、一方がもう一方を喰ったんだろうか?? ……もう、ついてけん。

 今でも我が家では、台所のシンクにチャバネゴキブリが我が物顔で徘徊し(何とか対策を講じねば~)、洗濯場の壁に、腹の欠けたロナウジーニョの残骸が、ペタリとへばりついている。相棒は、カリカリに乾いてからでないと始末してくれない。

 やっぱり生態系は、一度壊れると収拾がつかなくなる。

 To be continued...

 画像は、クレー「襲われた場所」。
  パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940, Swiss)

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崩壊した生態系(続)

 
 で、今度はホイホイを設置したのだが、またもや怖ろしいことが判明。このホイホイ、餌に釣られて粘着シートに引っかかったゴキブリどもを喰いに、別のゴキブリどもがホイホイの天井を伝ってやって来るのだ。
 このゴキブリども、足の1本や2本もげるのも何のその、まだ生きている、動けなくなったゴキブリどもを喰い散らす。バラバラになった足と羽根の残骸ばかりのホイホイに、やがてゴキブリどもは見向きもしなくなった。

 その間、子グモらは姿を消し、坊は、別のアシダカグモを外から捕まえてきて、家のなかに放った。この新グモ、フィーゴは、けれど期待に反して、お尻から糸を出してぶら下がったままの脱皮の抜け殻を残したきり、姿を消してしまった。
 
 相変わらず好き放題にのさばり続けるゴキブリ軍団。ベッカムの死後2年目にして、とうとう私は、玉ねぎとじゃが芋入りのホウ酸団子を設置した。
 これは確実に効力を見せ、次第にゴキブリどもは消えていった。

 が。どういうわけか、ゴキブリがいなくなった後、今度はチャバネゴキブリがうじゃうじゃと登場するようになった。
 こいつら、今や自分らの天下とばかりに、夜毎台所のシンクを徘徊する。台所にしか出没しないのだが、そこはもう近寄れたものではない。いかにも虫! という見目の醜悪さ。しかも、小さいくせに物凄いスピードで逃げる。もう嫌ぽ。

 To be continued...

 画像は、ヴォルゲムート「死の舞踏」。
  ミヒャエル・ヴォルゲムート(Michael Wolgemut, 1434-1519, German)

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崩壊した生態系

 
 私は虫が大嫌い。

 我が家には数年前まで、巨大グモ、ベッカムが同居していたが、ある日ぽっくり死んでしまった。
 それまで、このベッカムが夜中にせっせと喰ってくれていたおかげで、ゴキブリというものはほとんど出没しなかった。が、ベッカムの死後、ゴキブリが大量発生してどうしようもない。生物というのは本当に、その天敵が死ぬと、唖然とするほど大発生する。

 ベッカムが死ぬ直前、2、3匹の子グモらしきものを見かけたので、ホウ酸団子によるゴキブリ駆除を遠慮した。団子喰ったゴキブリを、この子グモらが喰えば、子グモらも死んじゃうだろう、と慮って。代わりに、掃除機でいちいちズボッ、ズボッと吸い込んでいた。
 ゴキブリには明らかに学習能力がある。掃除機のスイッチを入れた瞬間、ブォン、という音に反応し、信じがたいスピードで一斉に逃げてゆく。

 そのうち怖ろしいことが判明した。このゴキブリども、吸い込まれた腹癒せに、掃除機のなかでとんでもない腐臭を放つのだ。
 これじゃ掃除機は使い物にならない。仕方なく中袋を処分しようとしたのだが、ゴキブリどもは必死の脱出を試みたらしく、その死骸が袋からはみ出して、あちこちに散らばっている。
 私には近づくこともできないので、坊を買収して、1匹10円で掃除機内のゴキブリを処分してもらった。掃除機のなかでは、ぞぞ毛の立つような死闘が行なわれたらしい。共喰いし合って、吸い込んだのより数が減っている。……締めて350円也。

 To be continued...

 画像は、ヤン・ファン・ケッセル「蝶、蛾、他の昆虫の習作」。
  ヤン・ファン・ケッセル(Jan van Kessel, ca.1626-1679, Dutch)

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聖職の碑(続)

 
 これが引き金となって、パニックに陥った青年団たちが、てんでに屋根の着茣蓙を身に付けて下山を開始。仮小屋の屋根は強風で剥がされ、幾枚かの着茣蓙が飛ばされるなか、生徒たちも早い者勝ちに着茣蓙を着けて、バラバラに青年団の後を追う。校長ら教師たちもやむなく、遅れた生徒たちを拾いながら下山の道をゆく。
 結局、樹林帯にたどり着けた者たちは自力で下山、生存し、一方、装備の十分でない者たちが、稜線で体温を奪われ、力尽きて命を落とした。赤羽校長を含む11名の犠牲者を出す大惨事となった。

 物語は当時、信濃の教育界に台頭しつつあった白樺派の理想主義教育と、明治以来の実践主義教育との、教師たちの対立から始まる。赤羽校長は後者の立場から登山を実行。前者の立場に立つ有賀教師は、当初、登山を猛烈に批判するのだが、遭難事故以後、生徒への愛情、個性尊重という点で、両者の教育理念には大した相違などなかったのだ、と悟り、遭難記念碑の建碑に努力する。
 このあたり、昔の教師たちは信念を持って教育に携わっていたんだなあ、と感心する。その後、白樺派亜流による気分・放任主義が現われて、学校が荒廃し、生徒たちの学力も低下するに及んでは、なおさらそう。私自身、信頼できる教師に出会ったことはなかったし。

 心眼で雷獣を見よ、と嵐の到来を予言した、幻の白髯の老人が面白い。雲の底でもごもごと動くのが雷獣で、雷獣が鬼ごっこすると雷に、喧嘩すると嵐になるのだという。
 雷獣に連れ去られた圭吾少年が、長いあいだ行方不明の後、登山再開の日に白兎となって現われるのも面白い。現実の世界でこそ霊的な、不思議なことって起こるもんだ。

 あと、木と帽子とマントで作った簡易テントのなかで、蝋燭の火で餅を焼いていた三平少年。……深刻だから生き残れる、ってわけじゃないらしい。

 画像は、フリードリヒ「山上の十字架」。
  カスパール・ダーフィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich, 1774-1840, German)

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聖職の碑

 
 この夏、木曽駒ヶ岳に行って、宝剣岳登頂にいたく感激した相棒。以来、山の話ばかりする。
 で、図書館で「聖職の碑」なんて借りてきて、自分が読んでしまうと、私にも読め、読めとせっつき、私が読む先から、どこまで読んだ? そこまで感想会をしよう、とうるさくまとわりつく。私が薦めた「ワイルド・スワン」は読もうともしないくせに。

 新田次郎「聖職の碑」は、大正時代に木曽駒ヶ岳で起こった遭難事故を取り上げた山岳小説。彼は数学者、藤原正彦の父。
 新田次郎の小説は初めて読んだ。「聖職」という言葉からも分かるとおり、極限における教師たちの教育に対する信念や生徒への愛情などを描いている。

 事故は、1913年、長野県中箕輪高等小学校(現在の中学校に当たる)による木曽駒ヶ岳修学登山にて起こる。前々年から学校行事として定着しつつあった、この修学登山には、赤羽校長自らが率い、生徒25名、有志青年団9名、引率教師2名の、総勢37名が参加。周到な計画と対策のもとに決行した登山は、しかし、突如北上した台風に襲われる。
 この韋駄天台風は、当時の観測技術では把握できなかったものだという。一行が山頂に達した頃には暴風雨で、しかも、宿泊を予定していた山小屋は、心ない登山者たちによって壊され、燃やされていた。赤羽校長は残った石垣を利用して、周辺のハイマツと全員の着茣蓙(雨合羽)とで仮小屋を作らせる。
 が、急ごしらえの屋根からは、バケツの水をこぼすような勢いで雨水が漏れ、地面にも水が溜まって、火を焚くどころではない。とうとう生徒の一人が凍死する。

 To be continued...

 画像は、旅の友シロクマ、中岳山頂で寝そべるの図。

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