夜と影の祈り

 

 ドイツ表現主義の鬼才、ヴァルター・グラマッテ(Walter Gramatté)。ベルリンに行けば現物に会えると思っていたのに、会えんかった。

 あまり解説が見つからなかったのだが、グラマッテは「マジック・リアリズム(魔術的リアリズム)」の画家だという。
 私には、絵画における「マジック・リアリズム」の特徴がピンと来ない。このタームで私がイメージできるのはラテンアメリカ文学で、例えば、旅の行商人が売りに来た魔法の絨毯に、村人みんなが乗って空を飛んだとか、死者たちが住む町を訪れた者が、その様子を、自身死者となり土中の棺に横たわった後に、隣の棺の死者に語るとか、そういうやつ。

 以下、受け売りだが、まとめておくと、「マジック・リアリズム」は、現実にあるものを、現実にないものと融合させる手法とされ、夢や無意識のような非現実を不可思議に表現するシュルレアリスムの類義とされる。
 20世紀初頭に発祥。1920年代、第一次大戦後のドイツにて、美術史家が、表現主義以降の流れを「マジック・リアリズム」という名称で特徴づけて以降、認知を得た。

 ほぼ同義に、「新即物主義」がある。これもまた、表現主義以降の画壇について提唱された語で、「マジック・リアリズム」とちょうど同時期に、無名の人間を非人間的・即物的に描く具象表現を特徴とする新潮流を取り上げた美術展に由来する。
 上記の事情から、「新即物主義」は実践的運動であり、「マジック・リアリズム」はその理論的、修辞学的な一定義と見なされる場合が多い。
 両者とも、ドイツにおける従来の表現主義を踏襲しつつ、その反動として起こり、第一次大戦後の社会不安を反映している。主情的、抽象的な表現主義への反発から、暗澹として温かみのない、無機的な具象描写を特徴とする。

 グラマッテについて言えば、「新即物主義」に見られる、社会に対する猥雑な皮肉や風刺、冷笑はほとんどない。そうではなく、従軍や病気という多分に個人的な非合理を想起させる。
 死と寄り添い、死を待つ人間に独特の、忍び来る運命に対する諦観、救済に縋る一縷の願望、無慈悲な自然を前にした静かな内省。そうした強迫観念的な心理が、共感を求めて押し寄せる。夜を思わす紺青と黒、その小暗い画面に灯る血のような赤の色彩で。骨と皮だけに痩せ萎み、眼だけを異常に大きくギョロつかせた、頭でっかちな姿となって。
 こうしたイメージが、「魔術」と形容されるある種の神秘的な感覚を呼び起こすのだろう。

 略歴を記しておくと、グラマッテはベルリンの生まれ。写真を見ると線の細いハンサムな若者で、第一次大戦では愛国心満々、勇んで従軍するが、健康状態が悪かったため、すぐに除隊となる。
 以後、絵に専心し、ベルリンの美術学校で修練。当時すでに解散していた、ドイツ表現主義グループ「ブリュッケ」のメンバーだった、ふたまわり年上のエーリッヒ・ヘッケルやカール・シュミット=ロットルフらと親交を持つ。
 演奏家でもある作曲家ソーニャ・フリートマン=コチェフスカヤと結婚し、その後約十年、自分と妻の肖像を中心に、描きまくる。が、病魔には絶えず蝕まれつづけ、32歳で、腸結核のため夭逝した。

 死後、回顧展が開かれ、ドイツ各都市を巡回するが、折も折、ナチスが台頭。退廃芸術の烙印を押されて、時期尚早に閉展した。

 ちなみに、グラマッテの妻ソーニャは、モスクワの生まれ。ロシア革命を逃れてイギリスに渡り、パリにて音楽を学んだ。ベルリンでグラマッテと結婚。死別後、再婚し、以降、ソフィー=カルメン・エックハルト=グラマッテと名乗り、ウィーン、さらにカナダに暮らした。
 ということで、没後、ウィニペグに協会が設立された。グラマッテの絵は、ウィニペグまで行けば会えるらしい。

 画像は、グラマッテ「疲れた花売り娘」。
  ヴァルター・グラマッテ(Walter Gramatté, 1897-1929, German)
 他、左から、
  「懺悔」
  「十字架降架」
  「夢見る少年」
  「病み上がりのソーニャ・グマラッテ」
  「赤い月のある自画像」

     Bear's Paw -絵画うんぬん-
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )