白雲の心で

 

 私のなかで「故郷」への反撥は、「放浪」への憧憬を伴っている。だが、実際に放浪に身を置いたなら、多分、故郷への憧憬が生じてくるに違いない。私が雲を眺めて、多くはのほほんとした気持ちになるのは、私がまだ放浪というものを知らないからだろう。

  おお見よ、白い雲はまた
  忘れられた美しい歌の
  かすかなメロディーのように
  青い空をかなたへ漂って行く!

  長い旅路にあって
  さすらいの悲しみと喜びを
  味わいつくしたものでなければ
  あの雲の心はわからない。

  私は、太陽や海や風のように
  白いもの、定めないものが好きだ。
  それは、ふるさとを離れたさすらい人の
  姉妹であり、天使であるのだから。

  (高橋健二訳「ヘッセ詩集」より「白い雲(Weisse Wolken)」)

 猫と戯れ、絵を描く作家として、夏目漱石と同じく思い出されるのが、ヘルマン・ヘッセ。ヘッセが、おびただしい水彩画を残したというのは有名な話で、その数、実に3000点。
 第一次大戦の不条理と残酷と混沌の時代、故国での孤立や家族の不幸、自身の文学における不信と疲弊、云々に圧しつぶされて、精神の危機に陥ったヘッセが絵筆を取ったのは、40歳を過ぎてから。

 自己を表現するためにではない。観者を想定したものではない。自らを癒すために、さらには魂の充足のために、ヘッセは晩年に続くまで絵に没頭した。自然のなかで、自然と混ざり合い、自然へと溶け出して、ヘッセの絵は流麗に、即興的に、ヘッセの感性と、世界に対する印象とを映し出している。輪郭は一つの選択であり、迷いを断ち切る一つの決断となる。

 ヘッセが主に描いたのが、南スイス、テッシン州のルガノ湖に程近い小村モンタニョーラの風景。コッリーナ・ドーロ(Collina D'oro 金の丘)と呼ばれる、色彩豊かな明るい地で、ヘッセはその家並の赤い屋根と白や黄の壁、緑の木々、青い湖、遠方の薄青い峰々などを、繰り返し描いている。
 陽が燦々と降り注ぐ、山と湖に囲まれた、けれどもイタリア的な、南欧の情景。思わず「ベリッシマ!」と叫びたくなる、人生を美しいと思い、生きていたいと思う、偽りのない讃歌。
 雲の心が分かる詩人が、描き出すことのできた、炉辺と庭を持つ故郷。

 画像は、ヘッセ「テッシンの屋根」。
  ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877-1962, German)
 他、左から、
  「カサ・カムッツィの屋根と塔」
  「森林の家」
  「カローナ教会」 
  「コルティヴァッロ」
  「木蓮」

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