されば悲しきアホの家系(続々……………々々々)

 
 来日が決まるとロスの伯父は、カリフォルニアの土産をどっさりと二条の家へ送って寄越す。オレンジ、ピスタチオ、ハニーローストナッツ、キッスチョコ、ビーフジャーキー、云々。それから子供たちには、洒落たボールペンと、ディズニーランドのトレーナー。
 子供の頃、このロスの伯父は私にとって、さながら季節外れのサンタクロースといった感じだった。

 二条の家の兄弟姉妹は、このアメリカ帰りの伯父の存在が自慢だ。京都に住む自分たちのことを、本当は京都の古い因襲にどっぷりとひたっている井の中の蛙であるくせに、国際都市京都に住まう国際人だと勘違いしている。その国際京都人のなかでもさらに、アメリカに兄弟を輩出した、グローバルな家系だと勘違いしている。
 そこで、ロスの伯父が来たときには、二条の家の人間はみんな、それこそ到れり尽くせりに歓待する。人の好いロスの伯父は、そんな周囲の馬鹿々々しさにも、ただ肩をシュラッグするだけだった。

 二条の家の人間たちは、ロスの伯父が来日する前には、娘(=私の従姉)のマミーを是非連れて来い、とせっつき、来日してからは、なぜマミーを連れて来なかったのか、となじる。伯父にはそれが、一番つらいらしかった。
「マミーを日本になんて連れて来れないよ。自分の意見がはっきりしすぎてるからね。喧嘩になって、日本じゃあマミーは暮らしていけないよ」
 こう、ロスの伯父はいつも言っていた。

 To be continued...

 画像は、ゴーギャン「オレンジのある静物」。
  ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848-1903, French)

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されば悲しきアホの家系(続々……………々々)

 
 私が好もしいと思っていた親戚のもう一人は、アメリカへ渡った伯父(=父の兄)だった。
 
 この伯父は、ロサンゼルスのリトル・トーキョーで寿司屋を営んでいた。先祖の立派な爺ちゃんゆかりの某市の名と、爺ちゃんの名、それぞれ最初の漢字一文字ずつを取って足すと、「食わせろ」という意味になる。これが伯父の店の名前だった。二条の家の人間のなかで、先祖の立派な爺ちゃんを多少なりとも尊重していたのは、このロスの伯父だけだったと思う。
 そして、二条の家の人間のなかで、この伯父だけは、いささかクリエイティブなところがあって、声の大きさもデリカシーのなさもさほどではなく、身内自慢もしなかった。

 ロスの伯父はとにかく子煩悩な人で、超未熟児で産まれた一人娘(=私の従姉)が、もし普通に育たないなら、この日本ではさだめしいじめられることだろう、と一途に憂慮して、妻君の家に伝手のあるアメリカへの移住を決めたらしい。

 アメリカでは、例えば屋台のラーメン屋が10年間、その日の売り上げを毎日、銀行に持っていって貯蓄し、10年後その銀行に、店舗を構えるためにローンを申し入れると、銀行は担保なしで、信用だけで、資金を貸してくれるのだという。
 そうしたアメリカの土壌と、日本人の美徳とされる勤勉さ、真面目さとをもって、ロスの伯父の寿司屋は繁盛していた。名前は忘れたが、ハリウッド・スターたちも来店したことがあったという。
 
 To be continued...

 画像は、クストーディエフ「お茶を飲む商人の妻」。
  ボリス・クストーディエフ(Boris Kustodiev, 1878-1927, Russian)

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されば悲しきアホの家系(続々……………々)

 
「せやけど某省やで。そこの官僚やったら、ええとこの娘さんが来てくれるわな」と名古屋の伯父。
「名古屋の家は賢いさかいなあ。うちの子にも勉強教えたって欲しいわ」……こんなふうに口を挟むのは父。父は心ひそかに、近い将来、自分の子供たちもテンちゃんやシュウちゃんのように大学に行けるかも知れない、という願望を持っているのだ。
「いくら賢いかてな、……」と次男坊の伯父。

 こうやって、同じ会話が延々と続く。

 ちなみに、次男坊の伯父が男前と自慢する息子(=私の従兄)は、私の審美眼で見れば全然、男前ではない。おまけに、常に洟をズゴッ、ズゴッとすすっているので、私に言わせれば人並み以下。
 蛇足だが、「賢いだけが人間の価値ではない」という台詞は一般に、賢くない人間が吐くものだ。よしんばその台詞が真実を含むにせよ、賢い人間には、「美しいだけが人間の価値ではない」、「優しいだけが……」等々と同様、そんな台詞をわざわざ言う必要がないからだ。

 ところでもちろん、シュウちゃん自慢が名古屋の伯父の独壇場となるのは、この二条の家のなかでだけであって、二条の家以外の人間に対しては、途端に、次男坊の伯父も出戻りの伯母も、
「わての甥には、某大出て某省勤めとる、えらい賢いのがおるねんで!」と、シュウちゃんを自慢の種にする。
「わての婆さんの叔母さんが賢い人やったからな。血筋やなあ」と、シュウちゃんの頭は、訳の分からない血筋に帰されてしまうのだ。

 To be continued...

 画像は、ノルデ「赤毛の少女」。
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)

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されば悲しきアホの家系(続々…………々々々々々々)

 
 この自慢合戦は、主に名古屋の伯父と、次男坊の伯父とのあいだで起こり、近年、二条の家の兄弟姉妹が決裂するときまで続いた。

 名古屋のシュウちゃんは、もともと優秀な上に、遺産のおかげで生活の心配がまったくないという好条件も手伝って、その4年後には某省に入省して高級官僚となった。一方、次男坊の伯父のほうの従兄は、シュウちゃんが学生として過ごした、その同じ4年間(おいおい!)を浪人生として、アルバイトしながら受験勉強に費やして、結局は受からず終いだった。
 で、息子自慢の次男坊の伯父には、それがどえらい癪の種なのだ。
 
「テンもシュウも、和菓子屋は継がへんやろうな。あの店は、わしの代でお終いや。和菓子作るにしては、シュウはほんまに賢い奴やからな」と、持参した和菓子を差し出して、名古屋の伯父が言う。
「は、さよけ。エリート官僚が和菓子の修行して何が悪いんや」と、次男坊の伯父。
「官僚は和菓子作りはせえへんで。国の仕事で、大変やさかいな」
「あんなあ、兄貴。人間の出来は、頭がええだけとちゃうねんで」
「そうや。シュウを見てみい。あんな分厚い眼鏡かけてて、かなんわ。勉強のしすぎやわ」と、出戻りの伯母が助太刀する。
「せや。何事も相応や。いくら頭がええかて、嫁さんが嫌がるで。わてとこの子なんて男前やで。モテるでえ!」と次男坊の伯父。

 To be continued...

 画像は、A.オスターデ「口喧嘩」。
  アドリアーン・ファン・オスターデ(Adriaen van Ostade, 1610-1685, Dutch)

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されば悲しきアホの家系(続々…………々々々々々)

 
 で、二条の家の人間一同が中卒だった頃は、高卒の人間が持ち上げられたように、彼ら子供たち一同、高卒が当たり前となると、今度はおのずと、大卒の人間が持ち上げられるわけ。

 親族のうち、最初に大学に行ったのは、名古屋の従兄テンちゃんだった。もちろん、名古屋の家は教育熱心、こうなるのは当然だった。名古屋の伯父にはさぞ自慢だったろうが、テンちゃんは名古屋の大学だったし、それほど話題となる機会がなくて済んだ。
 が、次に、テンちゃんの弟、シュウちゃんが大学に受かったときには、物凄い身内自慢の合戦が、二条の兄弟姉妹のあいだで巻き起こった。

 シュウちゃんは、京都の某名門大学に受かったのだった。
 で、名古屋の伯父が下宿を探すついでに二条の家に寄ったのを最初として、その後もシュウちゃんに会いに京都に来ると、必ず二条の家にも立ち寄り、そのたびに父や伯父を呼びつけて、散々なシュウちゃん自慢をして帰るのだ。

 しかも、カッコつけの次男坊の伯父のところの、シュウちゃんと同い歳の従兄が、シュウちゃんが受かった同じ年に、シュウちゃんの大学よりはるか下のレベルの大学を受けて、落っこちてしまったのだった。

 To be continued...

 画像は、モディリアーニ「学生」。
  アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani, 1884-1920, Italian)

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