猫と暮らせば

 
 3ヶ月くらい前、遠方の公園を通りかかったところ、アスファルトの道路の真ん中に、黒猫の子猫が落ちていた。耳をペタリと垂らして、溶けた餅のような形でうずくまっている。
「あ、猫!」
 私の声に、公園で遊ぶ子供たちが、猫? 猫! と一斉に騒ぎ出す。子猫はとっとと藪のなかに逃げ込んでしまった。

 子猫が動いたので一安心したけれど、親猫がいなければ生きてはいけまい。気になって、その日から朝夕と、様子を見に公園に通った。で、ある日、公園の近所のおばさんたちが、子猫をつかまえようとしているところに遭遇した。
 聞けば、雨が降りそうなので、「拾ってください」と貼り紙して箱に入れ、屋根の下に置いておくつもりなのだという。誰も飼えないということなので、私が連れて帰ってきた。

 獣医に診てもらい、家で食事やトイレの躾をしながら、里親を探し始めた。可愛らしい子猫だったので、当初からたくさんの応募があったが、話がまとまらない。地元の譲渡会に参加させてもらうようになった頃に、相棒が、「手放さなくてもいいんじゃないか」と言い出した。

 肩乗り黒猫ムスタファ以降、毎年、黒猫が私たちの前に現われる。猫たちはみな、私たちの生活に、唐突に入り込んできて、しかもまったく自然に、ぴったりとおさまる。
 が、何度、猫たちが現われても、私たちは、一年のうち、長ければ数ヶ月不在する自分たちの生活では、猫は幸せになれまい、と決めつけて、それしかないと思って里親を探した。

 今年の黒猫は、相棒がくも膜下出血になった、ちょうど2ヵ月後に、相棒の前に現われた。獣医によれば、このとき子猫は2ヶ月齢。なので相棒は、子猫が、自分がくも膜下出血になったちょうどその日に生まれたのだ、と思い込んでいる。
 自分と同じ、九死に一生を得た境遇の子猫。この猫が現われて以来、幸運続きの相棒は、子猫のことを、「幸運のザー猫」と呼ぶ。ザー(SAH)とは、くも膜下出血の略語のドイツ語読み。

 一度死にかけた人間には、何だってできる。相棒、世界を放浪してまわるという以前からの計画を譲らないまま、家にいるあいだは猫と暮らす、という計画を付け足した。
「場所と金と工夫とネットワークがあれば、世界じゅうを行き来しながら、猫を飼うことだって可能だろ? まずは猫を飼える一軒家に引越しだ!」

 ……というわけで、現在、私たちの生活は猫仕様に一変。おまけに、引っ越すために、身辺を整理中、というわけ。元気でやってますのでご安心ください。

 人も猫も、生きていくって厄介だ。

 画像は、竹久夢二「黒船屋」
  竹久夢二(1884-1934, Japanese)
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