解き放たれた魂

 
 私の亡き友人は父親にピアノを、執念のように強制されて、父親と、そして音楽とを憎んでいた。夜ごとに父親を殺す夢を見るほどだった。 
 私はずっと彼の傷に触らないように気をつけていた。なのに、彼に音楽を憎んでもらいたくはなかったからだろう、どういうわけか、あるとき不意に、彼の父親のことを口にしてしまった。
 
 このとき、彼は怒ったように私に背を向けていた。彼は沈黙で武装していたし、私もまた、彼の背が彼の万感を語っているようで、どんな言葉もかけかねた。彼の表情は見えなかったけれど、全神経を集中して私に耳を傾けているような気がした。
 今でも私は、どういうはずみでこんな勇気が自分に飛び込んできたのか、よく分からない。が、彼の背中にかけた声が、彼の魂を解放したのだった。 

 とにかく私は、こんなことを言った。
 
 抑圧者は、最後まで抑圧できなければ、そこで負けなのだ。なぜあなたの抑圧者が抑圧しきれなかったのか。それは、その人自身があなたに、音楽という武器を握らせてくれたからだ。でもその武器は、あなたを繋ぎとめている鎖を解くことができるだけで、あなたが復讐に、その抑圧者の胸を刺し貫くことまではできない。
 だからあなたは、なんの罪も犯さないまま自由になることができるのだ。そして私は、そんなあなたが好きなのだ。……

 このとき以来、彼は次第に父親を殺す夢を見なくなった。

 画像は、亡き親友。

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クリスマスの思い出(続)

 
 真っ黒な空に、街路に灯るクリスマスの明かりに照らされた雪が、不意に宙に現われては舞い降りてくる。この雪のせいで殊更、ショーウインドウの夢のような光景が、僕の眼に焼きついたんだろうね。
 クリスマスツリーとポインセチアのそばに、たくさんのおもちゃに囲まれて、毛糸の帽子をかぶった小さな子供が二人、男の子と女の子がね、仲良く遊んでるんだ。そこじゃ、女の子が汽車を走らせ、男の子のほうが人形を抱いている。……僕はこんなふうに、幼な友達と無心に遊んだことがあっただろうか。そう思うと、溜息が小さな白い雲となって、僕の口からぽっと出たよ。

 ところで親父は、この飾りつけを僕に見せようと立ちどまったわけじゃなかったんだね。どこの家の窓からか、ピアノの音色が聞こえてたんだ。あいつの関心は結局、いつだってそうなのさ。
 このピアノがまた実に下手糞でさ、僕はショーウインドウのせいでしばらく気づかなかったけど、そのうち親父の奴、こんなふうに言い出した。「おい、今あそこでショパンが殺されてるぞ」って。

 行き交う街の人々がこの物騒な言葉にぎょっとなって、立ち止まったり振り向いたりした。でも親父は構わず僕に向かって叫ぶんだ。
「ショパンが殺されてるぞ! なんとかならないか」
 僕は思わず吹き出した。それから、つい、あははって笑ってしまった。親父は大真面目に、僕の肩をぐっと引き寄せたよ。

「いつも言ってるだろう、音楽は流れるように弾かなくちゃいけない。それには訓練が必要だ。ステップを踏んで、丁寧に稽古すれば、どんな曲目だって自在に弾けるようになるんだのに、あれは生活の隙間を満たすために弾いてるような音だ。あんな聞き苦しい、まずいショパンはな、弾き手のただの自慰行為にすぎないんだぞ」

 僕は、それでも親父の大袈裟ぶりに、にこにこと笑ってたっけ。まったく、子供になんて言い方するんだろうね。……

 To be continued...

 画像は、ヒッチコック「クリスマスの夢」。
  ジョージ・ヒッチコック(George Hitchcock, 1850-1913, American)

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クリスマスの思い出

 
 私の亡き友人はピアニストとなるべく、父親から病的に、執拗にピアノを弾かされて育った。
 おかげで彼は、自分を束縛する父親とともに、父親のあてがうピアノをも憎んでいた。音楽は彼の呪縛だった。
 
 で、これは私が、微笑んだ彼の絵を1枚描いたときに、彼から聞いた話。……

 この絵をもし親父が見たら、驚くだろうな。もう十年来、あいつは僕が笑うのを見た憶えはないはずなんだから。本当さ。十年前のクリスマスに笑ったのが最後だった。僕のクリスマスの、たった一つの思い出だよ。
 
 その日、僕が親父と街を歩いてたときのことだった。足早に往来を歩いてる親父が、突然立ちどまったんだ。僕はあいつの背にぶつかった。
 そこには、クリスマスのデコレーションをきれいに施したショーウインドウがあった。僕は一瞬、あいつがそれを僕に見せてくれるために立ちどまったんだって考えた。元来そんな奴じゃないのにさ。親父にしちゃ珍しい、雪でも降るんじゃないか、って。
 すると本当に雪が降ってきた。ホワイトクリスマスになった。……

 To be continued...

 画像は、我が家のくま、デュイ。

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地図作り

 
 私は世界旅行のポイントをチェックした世界各国の地図を、手許に持っている。
 図書館で旅行ガイドブックを借りて地図をコピーし、いい感じー、と思った風景の地方をチェックする。サイトで観た、いい感じー、と思った絵を所蔵する美術館の場所も調べて、その地図にチェックを入れて書き込んでいく。ついでに、文学や音楽にゆかりのある地方もチェックする。
 で、次から次へとチェックするうちに、私の分厚い地図の束はチェックだらけになってしまった。一つの街や村に2~3日滞在するにしても、とても10年やそこらでは周れそうにない。どーしよー。

 日本社会はいよいよファシズムの色を濃くしているし、徴兵制だってもう絵空事ではなくなってきている。
「アホしか我慢できない社会だ」と相棒は言う。「早く日本を脱出しなきゃならない。永住権を取るとなると簡単じゃないから、3ヶ月くらいその国を旅行して、期限が来たら次の国に移動して、また3ヶ月くらい暮らして……というふうに、旅行し続けたらどうだろう」と言う。

 相棒がこう言い出したのは、もうかれこれ6~7年前。私も最初はそれを話半分にしか聞いていなかった。でも、ここ数年の間に、日本はあっと言う間に馬鹿になった。そして危険になった。
 で、私も地図を作り始めた。絵の練習もし始めた。

 画像は、フィッセル「ニューイングランド地図」。
  クラース・ヤンツ・フィッセル(Claes Jansz. Visscher, 1587-1652, Dutch)
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科学と労働者

 
 山崎豊子「白い巨塔」は子供の頃、私の実家の本棚に置かれていた数少ない本の一つだった。私はそれを中学生のときに読んだ。
 
 医学部教授選や医療裁判など、派手な問題を取り上げた割には筋がしっかりしていたのは、財前と里見という対立するキャラクターが、上手く書けていたせいだと思う。

 原作では、財前を支持する鵜飼医学部長と里見との価値観が対立するシーンが、確かあったような気がする。
 今ではもう、うろ憶えだけれど、鵜飼が、
「患者にとって医者とは信仰のようなものだ。患者には理解する能力などない。患者は医者の言葉を信じて治療を受けるのだ」と諭したのに対して、里見が、
「医者は患者の信仰であってはならない、患者もやはり医者の言葉を自分で理解し納得して治療に向かうべきだ」と返した。
 これが、ストーリーを貫くテーマだったように思う。
 
 最近のドラマ版では、これは、江口洋介扮する里見が「医者も人間だ」と言ったのに対して、唐沢寿明扮する財前が「いや、僕は神だよ」と答えるシーンに代わっていた。
 随分と安直なやり取りに変えてしまったもんだ。原作での鋭い対立が、ドラマでは曖昧にぼやけてしまった。

 社会科学にも、これと似たような対立があった。某大学教授のピエーロ氏は、
「労働者にとって科学とは信仰のようなものだ。労働者に理解する頭などない。要は信じるだけの度胸があるか、ないかの問題だ」と言明していた。
 相棒はいつもそれを、
「労働者だろうが誰だろうが、科学的な認識を踏まない以上、真の力にはなりえない」と批判していた。

 ピエーロ氏は、「科学など存在しない。科学などというものは“科学的イデオロギー”にすぎないのだ」と豪語していた。

 私は学生の頃、このイデオロギーの権化ピエーロ氏を、鵜飼医学部長のようにさりげなく登場させて、相棒の小説を書こうと思っていた。もしそれをピエーロ氏が読んだら、どんな顔をするだろう。
 ……だがピエーロ氏は数年前に、膵臓癌でぽっくり死んでしまった。

 画像は、ケーラー「ストライキ」。
  ロバート・ケーラー(Robert Koehler, 1850-1917, American)
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