夢の話:閉鎖系の恐怖 その2(続々)

 
 一度階段を見失うと、もはや天井や床をスルーして先へ進むしか道はなくなる。私の特殊能力など呪われてあれ! 超高層ビルは、一フロアに巨大な一部屋しかない、奇妙な空間と化す。
 スルーするたびに、さっきとはまったく別の部屋が現われる。それはまるで、幾十、幾百の異次元を、次々とめまぐるしく通り抜けていく感覚。

 床をスルーして階下に降りるよりも、天井をスルーして階上に昇るほうが怖ろしい。なぜなら、私は背中からしかスルーできないので、スルーした瞬間、その勢いで床から一気に天井近くまで浮かび、天井に張りつく形で部屋全体を見下ろすことになるのだが、その見下ろした部屋の情景が怖ろしいからだ。

 仰向けに横たわり、床を背中からスルーして、下へ下へと降りていくときには、視界に広がる光景は、ただ、ニュアンスを伴う暗色の天井ばかり。背中全体に受ける、痛みに似た得体の知れない戦慄のほうが、耐えがたい。
 だが、昇っていくときには、眼下に展開する光景ははっきりと眼に焼きつく。紙だらけのオフィスや、ダンボールの積み重なる倉庫、怪しげな実験器具ばかりのラボのような、雑然とした部屋々々の合間々々に、いかにも見てはならないような、ぞくりとする部屋が現われる……

 おかっぱや三編みをした、もんぺ姿の女学生たちが、授業を受けている部屋。鉄の囲いのなかで青々と育った稲に、機械が自動放水している部屋。飼育された太古の虫たちが、おぞましく蠢いている部屋。ガラス張りの棚の上に、胎児の入った何百という試験管が並んでいる部屋。無造作に折り重なった、何千という死体が、まるでごみ屑のように焼却されている部屋。
 私はうつぶせの格好で、上へ、また上へと昇り、眼下には常識離れした数々のシーンが、現われては遠のいて消え、また現われては遠のいて消えする。

 これは怖ろしい感覚で、こうなるともう、私は自分の意志によらずに、はるか上まで延々と上昇し続ける。やがて私は天の、宇宙の存在を感じ始める。ああ、もうこんなに上まで来てしまったのだ。早く地上に戻らなければ……

 私は上昇・下降をコントロールできなくなり、いつしか気を失う。気を失うと初めて、閉鎖系ではない空間へと瞬間移動できる。閉鎖系ではない空間とは大抵、現実の空間であって、つまり、私は眼を醒ます。

 To be continued...

 画像は、ムンク「宇宙での邂逅」。
  エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年-1944, Norwegian)
 
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