世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
叙情の信仰
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ミハイル・ネステロフ(Mikhail Nesterov)は、クラムスコイ率いる移動派に参加した画家の一人。なのだが、その絵を観るとどうも、移動派のイメージよりもはるかに先を行っている。実際、ネステロフはロシア画壇における象徴主義の先駆者として評価されているらしい。
彼が描くのはロシア以前のロシア、中世ルーシの宗教的な世界。
若くして結婚するが、その翌年に出産で妻を亡くした彼は、後に、妻の死によって自分は芸術家となった、と回想している。自分の絵には感情がなかった、と。こうして彼は、宗教のシーンではなく、そのムードを描くようになる。
前面に、ロシアらしい衣装を着た人物がすっくと立っている。そして人物の向こうに、白樺の木立や森や湖、古風な木の教会など、ロシアらしい開けた風景が広がっている。人物たちは大画面の風景のなかに埋もれながら、ほとんど動くことなく、隠遁し、思索し、自然の声に耳を傾け、音楽を奏でる。形は単純で、色は緩弱。そんな人物は風景と溶け合って、繊細で叙情的な雰囲気を漂わせている。
この独特の詩的な趣は、中世ルーシの信仰の芸術的な解釈なのだという。
ウラルの商人の家に生まれ、技能教育のために両親に連れて来られたモスクワで、絵画に出会い、すっかり魅了されてしまったネステロフ。以来、絵を学び、やがてアカデミーに入学、移動派や、鉄道王マモントフの支援する芸術家村、アブラムツェヴォに参加した。
敬虔な正教徒だったので、宗教美術の復興を願うのだけれど、彼が惹かれたスタイルは中世ロシアのイコンよりも、むしろフランスのモダニズム。
好きなんだから仕方がない。彼はモダニズムの手法でロシア正教を描き、ロシアにおける現実(=世俗)風景のなかの宗教像、という絵を作り出す。これは、従来の宗教画の克服でもあった。
しばしばロシア辺境へと旅をし、いかにも聖者や隠者が住みつきそうな修道院や草庵などに身を置いたというネステロフ。彼が内的に描きたかった信仰の表現というのは、こうしたいにしえの時代の形見にその名残を感受し得る、古いロシアの精神性・叙情性のイメージそのものだったのではないかと思う。そうしたイメージにフィットしたのが、宗教という形だったのではないかと思う。
百花繚乱の世紀末ロシア芸術界で、社会悪を克服する力としても、美を創造する力としても、リアリズムがかつての意味を持たなくなったとき、精神性・叙情性そのものを尊重してきたネステロフの絵は、ロシア象徴主義へと引き継がれていく。
が、彼自身は革命以降、完全に宗教画を捨て去って、肖像画だけを描いて暮らした。どういう心境でだったのかは、よく分からない。あるいは単に、想像力が枯渇しただけなのかも知れないけれど。
画像は、ネステロフ「聖なるルーシ」。
ミハイル・ネステロフ(Mikhail Nesterov, 1862-1942, Russian)
他、左から、
「若きヴァルフォロメイの幻視」
「ヴェールを着けて」
「皇子ドミトリイ」
「丘の上」
「池のほとりの娘」
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音楽の誇り(続々々々)
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観光客たちは観光しに教会に来るのだから、彼らが音楽を聴かずに、ただ教会内を見てまわるのは、彼らの自由だと思う。けれども、ここは教会なのだから、他人の耳に障るほどの話し声は、遠慮すべきだと思う。教会内で音楽が流れている場合には、それを邪魔するべきではないと思う。
相棒は唐突に、相変わらず後ろで喋る中国人たちにはもう見向きもせずに、毅然としてすっくと立ち上がると、ピアニストのすぐ後ろの席へと移っていって、ストンと座った。私もへろへろとそれに続く。
すると、喧騒は俄かに落ち着いてきた。件の中国人の一団が出て行ってしまうと、教会内は静かになり、次の団体客、そのまた次の団体客が入れ替わり立ち替わりやって来ても、静かなままだった。
ときおり、他に聞こえるほどの音量で喋る声があると、即座に、シイーッッ!! と別の声が制するようになった。相棒の席より前に来る観光客もほとんどいなくなった。
中国人のさらなる団体客たちが入ってきたが、教会内が静かなので、そういうものかと思ったらしい。彼らも敢えて喋ろうとはしなかった。ただ、相棒の席の前まで進み出て、ピアノを弾くピアニストを背景に、自慢げにポーズを取って、パチパチと記念写真を撮り合う。
音楽が分からないのにピアノとピアニストを撮る。音楽を聴かずにピアノとピアニストを撮る。彼らはやはり倣岸不遜だ。
やがて演奏が終わった。楽譜をしまっているピアニストに、相棒が近づいていって、声をかけた。
「僕は態度で抗議しました」
ピアニストはにっこり笑ってうなずいた。
この日、私たちは岩の教会に行き、そこで音楽を聴いて、……他をまわる時間がすっかりなくなって、そのまま空港へと向かったのだった。
画像は、ヘルシンキ、テンペリアウキオ教会。
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音楽の誇り(続々々)
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ピアニストは何の前触れもなくピアノを弾き始めた。即座に相棒、真剣になって音楽を鑑賞し始める。
もうこうなったら、ここに座っているのは、暑さにやられた私の休息のためなんかじゃない。ま、いっか。私も身体がしんどいんだし。
彼女のピアノはさらりとしていて、あとで相棒が評した言葉によれば、「強弱は端折って、流して弾いていたけれど、どの曲も自分のものとして弾いていて、演奏家としての腕前は一流」。
相変わらずの観光客で、がやがやとしていたけれども、それでもヨーロッパ人の団体客らしく、常識的な範囲だった。
ところが突如、中国人の団体客がどやどやと入ってきた。
彼らが中国人だというのはすぐに分かる。傲慢な、不遜な、横柄な、尊大な、高飛車な、無礼無遠慮無神経な、非常識な、ぞんざいな、鉄面皮な、節度を越えた、恥知らずな、図々しい、厚かましい、傍若無人な騒ぎよう。大声でしゃべくり、物音を立て、他を押しのけて写真を撮る。
彼らに眉をひそめる人々もいたが、逆に遠慮を捨てて喋る人々も出始めて、その中国人団体客が早々に出ていってからも、全体として教会は騒がしくなった。
そこへ、別の中国人団体客が入ってきた。やはり同様に大声で騒ぎ立てる。
教会のなかは喧騒の渦と化した。……日本人の団体客も結構糞だが、中国人の団体客はそれに輪をかけた糞だな!
相棒、すぐ後ろでぺちゃくちゃ喋る中国人たちを振り返り、ギッ! と睨んで抗議した。
「うるさいぞ、静かにしてくれ!」
ところが彼らは取り合わない。平然とぺちゃくちゃ喋り続ける。
ピアニストは弾きながら、明らかにイラッとしているらしい。鍵盤をすべる指に力がこもり、さらりとした弾き方だったのが、はっきりとしたフォルテで弾くようになった。
彼女は音楽をもって抗議しているようだった。
To be continued...
画像は、ヘルシンキ、テンペリアウキオ教会。
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善意の道の行き着く先は
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ライレブ氏の意見をご紹介します。市民F氏との対話です。文責はチマルトフにあります。
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「これからは大人が汚染を引き受けるべきだと思います」
「“地獄への道は善意で敷き詰められている”ということだけは、肝に銘じておいたほうがいいね」
「子供だけは何としても死守したいのです」
「そりゃ、意図はそうかも知れないがね」
「もはや汚染されてない世界などないのです」
「それを仮に政府が言ったとすれば、一考に価するだろう。そんな提言をする政府ならおそらく、すべての汚染情報を開示し、国民を被曝させない対応、つまり、土壌も海洋も、そこから採れる農畜水産物も、あまねく調査して汚染値を公表した上で、国際的合意の基準値以上のものを流通させない、という対応を、徹底しているだろうからね。だが、そんなことには一貫して無縁だった政府じゃないか。逆に、政官財学報が五位一丸となって汚染情報を隠匿し、汚染を全国に拡散させる始末だ。女子供を有無なく強制退去させた旧ソ連の強引さがあればまだしもだが、未だに、チェルノブイリ強制避難区域以上の汚染地域に、国民が住むのを放置しているんだからね」
「政府がやらないから、心ある大人たちがやるんです」
「信頼に足る科学者先生が同じことを言ったとするね。先生は科学に対して誇りを持っているから、科学的真理についてはどこまでも冷徹だ。が、科学以外のことになると、途端にセンチになる。そりゃ、かなり先の未来まで見通す科学を知っている先生がだよ、未来を諦観してそんなふうに言ったなら、その言葉には重みがあるだろう。だがそれは、先生の生きざまに関わる領域だよ。なのに、ろくに科学を知らない奴らが、先生の言葉の、どれが科学でどれがそうでないかを区別できずにだね、その言葉すべてを信頼して同じ言葉を真似したら、どうなると思うね?」
「先生と同じにはならないでしょうか」
「ならないね。それこそ、汚染に責任を取ろうとしない五位一体集団の思う壺だよ。責任を肩代わりする、と自ら言うに等しい。汚染を引き受ける、つまり、政府が法規制を犯して流通させる汚染物を大人が率先して摂取する、ということはだね、汚染の現実を受け入れる以上のこと、汚染を拡散する政府の不作為を容認するということなんだ。したがって、子供を助けることはできないし、自分も助からない。畢竟、生き残るのは、善意のない大人ばかりってわけさ」
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画像は、クレー「釣り人」。
パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940, Swiss)
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音楽の誇り(続々)
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座り込んで一息吐いてから辺りを見まわした。へたばっている私に相棒が、「いつまでも、居たいだけ居ていいからね」と言ってくれたが、そうでなくてもこの教会には、長く飽かない独特の雰囲気があった。
教会の内部は不思議な空間。教会は丸く、地下にある。岩を削り、岩を積んで、自然の岩盤をそのまま利用したという無骨な壁。その上部には、360度のぐるりを、支柱に区切られた細長いガラス窓、そして銅の天蓋が、円盤状に乗っかっている。
高窓から光が差し込んで、ごつごつとした岩肌に縞模様の影を落としている。光は柔らかく、象徴的で、日照時間の短い北欧の、太陽への讃歌を感じさせる。
すべてが岩と光という自然を超えない、控えめな色彩で統一されている。
ひっきりなしに出入りする観光客で、がやがやと騒がしいのに、それが名状しがたい一つの音の響きとなって満ちわたり、静寂が支配しているようにすら錯覚させる。
光の反射と音の反響。ここは祈りの空間だと思う。原始にもあったし近未来にもあるはずの、太古からの聖霊への祈りのための、神異の空間だと思う。
壁の一隅に金古美色のパイプオルガン、そのそばに黒いグランドピアノがある。この教会は音響効果が見事で、しばしばコンサート会場としても利用されるのだという。
随分と具合が良くなった頃、私はふと、テンペリアウキオ教会色をした若い女性が一人、すたすたと歩いているのを見つけた。テンペリアウキオ教会色というのはつまり、彼女の髪は金古美色で、着ているシャツは、椅子の紫ピンク色とピアノの黒色とのチェック模様なのだった。
洒落た女性もいるもんだな、と思っていると、彼女はごく当然のようにピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けて、楽譜を並べ始めた。
……あれ? 彼女はこの教会のピアニストだったんだ。
To be continued...
画像は、ヘルシンキ、テンペリアウキオ教会。
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